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カテゴリー「日野」の記事

2010年11月17日 (水)

新選組を作った日野宿大火・日野宿めぐり⑹

ペリー来航4年前の嘉永2年(1849)、日野宿で大火が起き、脇本陣の佐藤彦五郎家では、乱心者に祖母が殺された。

彦五郎は自力防衛の必要性を痛感し天然理心流の門を叩き、家の敷地に佐藤道場を開いた。すでに八王子千人同心の井上松五郎が近藤周助の門人だった。彦五郎の家と松五郎の井上家は、甲州街道をはさんで近い。

こうして彦五郎は近藤勇の弟弟子になり、松五郎の弟の源三郎、遅れて土方歳三らが稽古に通ってきた。

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脇本陣の門は、大正15年に火事で焼ける前は長屋門で、ここに道場が作られた。現在の門の左側、駐車場になっているあたりに道場があった。

ところで「祖母殺し」の犯人は「乱心者」で片付けられ日野宿では封印されているらしい。その背景に上佐藤と下佐藤の間に「歴史的紛争」がありそうだと睨んだのが神津陽氏の「新選組 多摩党の虚実 土方歳三・日野宿・佐藤彦五郎」(彩流社)。

日野の草分け名主は、永禄年間(1558〜70)に美濃の国から日野に移住してきた佐藤隼人家。これを補佐してきた谷帯刀家が絶家となったため、使用人の彦兵衛が新名主・問屋に取り立てられた。正保2年(1645)のことだった。

同姓を区別するために、隼人家を上佐藤、彦兵衛家を下佐藤と呼ぶようになった。

大田蜀山人は文化6年(1809)に2度、下佐藤家に投宿している。勘定方の公務だ。日野のそばを絶賛、著書の「玉川砂利」のなかの「蕎麦の記」に詳しいらしい。その折りに蜀山人が残した文章が下佐藤家に残っている。

勘定方は本陣に泊まるのが筋なのか。脇本陣なのか。本陣でなく脇本陣を選んだとすると当時、下佐藤の方が名が通っていたのかもしれない。

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上と下、いろいろ張り合っていたのだろう。では祖母殺しの犯人は?。神津氏が研究者から興味深い話を聞いているが、私は判断の材料を持たないので、著作を読んでいただこう。

「下佐藤」佐藤彦五郎の妻はのぶ。歳三の姉だ。そんなことから歳三は姉の家にきて遊んでいた。両親を亡くし、兄が継いだ実家の居心地が悪かったのかもしれない。

土方家の石田村と日野宿までは歩いて30分くらい。昔の人は足が速いから20分もかからなかったかもしれない。

歳三は彦五郎にかわいがってもらい、姉の嫁ぎ先でくつろいで過ごした。ごろ寝を楽しんでいたという。写真は入り口から外を見たところ。10年かけて建て直しただけあって立派なもんです。

この家には歳三の最期を伝えにきた市村鉄之助が隠れ住んだ部屋も残っている。賊軍のほとぼりが冷めるのに3年がかかった。

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これは縁側。ひなたぼっこをしてみたい。

日野宿本陣ではボランティアが案内してくれます。昨年、初夏に行ったときはガイドが終わると麦茶をサービスしてくれた。うまかった。また飲みたかったんだけど「夏だけなんです」。

「そのかわり、おひな様の頃にきてください。おひな様を見に来られる方も多いんです」。旧家のおひな様を見るのもいいな。すごいんだろうな。

2010年11月16日 (火)

日野宿本陣は「脇本陣」に格下げされてた・日野宿めぐり⑸

ーー雨中、乞食の風体で武州日野宿はずれ石田村の土方家の門前に立った。当時、函館の賊軍の詮議がやかましいという風評があったため、こういう姿で忍んできたのであろう。

『お仏壇を拝ませていただきたい』

といい、通してやると、

『隊長。——』

と呼びかけたきり、一時間ほど突っぷして泣いていたという。

土方家と佐藤家では、鉄之助を三年ほどかくまってやり、世間のうわさのほとぼりも醒めたころ、…故郷の大垣に送ってやった

------司馬遼太郎「燃えよ剣」の結びです。小説は数行だけ「お雪」のその後に触れて終わる。

五稜郭が落ちる直前、土方歳三は小姓の市村鉄之助を呼んで、英国船に乗るように命じた。

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泣いて残留を乞う鉄之助だったが、「これは任務である」と歳三は怒って、「日野の佐藤彦五郎方へ行き、函館の戦闘の経過を説明せよ」と告げた。(司馬さんは土方家の門を叩いたとしているが、佐藤彦五郎宅だ)。

そして鉄之助に遺髪や写真などを持たせた。函館にきてから撮ったこの写真が、現存する歳三の唯一のものとなった。3カ月後、鉄之助は官軍の包囲網をくぐり抜け彦五郎宅にたどり着いた。その時の描写だ。

すでに歳三はこの世になく戊辰戦争も終わった。年号も明治2年(1869)になっていた。

鉄之助がくぐったのが、この門だ。嘉永2年(1849)の大火で焼け落ちたが、再建して元治元年(1864)から住み始めているので、鉄之助はここから案内を乞うたのか。この門は大正15年(1926)の火災で被害にあったが、親柱、大扉、潜り戸などは類焼を免れたという。

ところで、観光案内などでは「日野宿本陣」となっているが、正確には脇本陣。日野宿には2軒の佐藤家があった。今の日野駅寄りは佐藤隼人家で、こちらが本陣。大名の宿泊などの御用をつとめた。

今の通称本陣は脇本陣で、幕末には本陣を務めたこともあったという。本陣を上佐藤、脇本陣を下佐藤という。

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とはいえ本陣の建坪117坪に対し、下佐藤の脇本陣も112坪。ほぼ同じで同格というか張り合い、日野の渡しの荷物の継ぎ立てを行う問屋場の役目は、1日から15日は下佐藤、15日から晦日は上佐藤が分担していた。

去年もらったリーフレットではキャッチフレーズが「都内に残る唯一の本陣」となっていたが、先日もらってきたものは「都内に残る唯一の本陣建築」と変わっていた。

本文も「日野宿本陣は、都内に現存する唯一の本陣であり、日野市内でも指折りの貴重な文化遺産です」が、「日野宿本陣は、都内に現存する唯一の本陣建築であり、平成22年3月23日に東京都指定遺跡『日野宿脇本陣』として、指定を受けました」と修正された。

ことしから変わったんだ。都の指定で正確を期することになったのだ。

続きます。次回は家の中に入る予定。


「新選組のふるさと歴史館」入り口に飾られている歳三の写真。これを鉄之助が苦労して運んだんだ。

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2010年11月15日 (月)

日野宿本陣の前に八坂神社・日野宿めぐり⑷

「新選組のふるさと歴史館」を出て日野宿本陣へ。その前に八坂神社にも参っておこう。ここには天然理心流一門が奉納した木刀つきの額が奉納されている。

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安政5年(18589)というから井伊直弼による安政の大獄の年だ。近藤周助、勇、惣次郎(沖田総司)、井上松五郎・源三郎兄弟ら試衛館の一門26人が天然理心流の剣術上達を祈年する額を納めたのだ。

土方歳三の名前はまだない。入門するのが翌年だからだ。(額の公開日は確認してください)。

「八坂社」とある下の建物が本殿です。白天井、白壁の建物は覆屋です。全体を覆って保存しているんです。「江戸後期の彫刻装飾の粋を集めた力作」と「東京都の歴史散歩」にある。

写真では分からないですね。

由緒には「昔、土淵の庄の多摩川沿い土淵から拾い上げた牛頭天王像を勧請したのが当社の初めとされている」とあるから相当に古そうだ。

それにしても、観音様は隅田川に、牛頭天王も土手に落ちている。水の流れを伝って仏教が広まって行った記憶が、こうした伝承を作っているのか。

面白いもんだ。

境内では七五三のお宮参りが一段落したのか、片付けをしている。

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建物は本殿ではありません。覆屋です。

さて、日野宿本陣へ行くか。甲州街道を歩いて3分くらいだ。

2010年11月14日 (日)

新選組のふるさとと自由民権・日野宿めぐり⑶

中央線の線路沿いに旧甲州街道の坂を上がりきって左に行くと「新選組のふるさと歴史館」がある。


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2005年にオープン、今年3月から常設展示を行っている。設立趣旨は「まさに日野市は『新選組のふるさと』と言うに相応しい土地であり」と胸を張る。

さらに「新選組を時代小説の対象としてだけではなく、日野と多摩地域の歴史と文化を学術的に明らかにしながら、新選組総体として位置づける必要があります。それは、近世後期から近世初頭の自由民権運動までを見通した、新しい地域史の試みでもあります」と、宣言している。

意気高らかでかっこいいね。そうなんだよね。新選組を物心両面で支えたのは多摩の豪農たち、さらにその豪農たちが明治になって自由党に参加して行く。

「未完の『多摩共和国』新選組と民権の郷」(凱風社)という本がある。著者の佐藤文明氏は「戸籍って何だ――差別をつくりだすもの」(緑風出版、2002年)、「戸籍」(現代書館フォー・ビギナーズ、1981)などの著書がある戸籍研究者。

日野に生まれ日野に育った。名字が示すように日野の名主佐藤家に連なる。タイトルが示すように、新選組と多摩の豪農、そして自由民権運動へとつらなる多摩の風土に「共和国」の遥かな夢を見る。

「(多摩は)日本の歴史の中でもきわめて貴重な自主と自治の郷なのである。幕末、多摩の百姓の固有の歴史が再び目覚めた。(中略)新選組とは、そうした流れの中で産み落とされた確かな傍流に他ならない。本流は維新後もとうとうと流れ続け、自由民権運動へと受け継がれる」。

歳三の甥や土方一族の有力者はこぞって自由党に入党、当時の神奈川県南多摩郡の県会議員はいずれもが地元の旧家出身者だった。

こういう思い込みは好きだね。略歴を見ると1948年生まれ、都立立川高校卒。法政大学在学中に東京都の職員となっている。

荒井晴彦の「シナリオ神聖喜劇」の略歴にも「都立立川高校卒」とある。大学に行った人はふつう高校名は書かないよね。立高卒が誇りなんだ。ほったらかしだったけど、それが自己形成につながる校風で、のびのびしてた田舎の高校だった。多摩の気風が受け継がれていたのだろう。

いまでも三多摩の市長に立高出身者は多い。

「歴史館」では当然、土方歳三の写真が迎えてくれる。管轄している「日野宿本陣」との共通入場券で300円。

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人気があったのが新選組屯所。前川邸の写真が大きく伸ばしてある記念写真スポット。新選組の法被も貸してくれます。

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2010年11月13日 (土)

新選組六番隊隊長が眠る宝泉寺・日野宿めぐり⑵

宝泉寺は日野駅のホームからも見える。裏は高台になっている。多摩川が削ったのだろう。

駅から3分、すぐつきます。立派な本堂の左手が墓地。ライトブルーの旗が目に入る。井上源三郎の記念碑だ。

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「新選組副長助勤 井上源三郎之碑」。裏には「性真摯篤実寡黙実行の人」と刻まれている。

井上家の墓地はもっと奥だ。旗を目がけて行けばいい。墓誌には江戸時代からの名前が刻まれている。八王子千人同心として日野に根を張った井上一族をしのばせる立派な墓だ。墓誌に源三郎の名前はない。

ノートがプラスチックのケースに入れられている。十数冊入っている。右側が源三郎の墓だ。法号は「誠願元忠居士」。

源三郎は近藤勇や土方歳三の兄貴分だった。父や兄とともに天然理心流に入門、佐藤彦五郎の屋敷に構えた道場で剣を学び、近藤らと知り合った。

井上家の分家の次男林太郎が沖田家に婿入りしている。沖田総司の姉ミツと一緒になり、総司(惣次郎)を大火の後の日野に連れて行き、天然理心流入門のきっかけを作った。歴史というのは面白いものだ。

大人気だったテレビ朝日「新選組血風録」(1965)や「燃えよ剣」(1970)で源三郎を演じたのは北村英三(当時は喜多村)。数多くのテレビ、映画で脇をつとめた。渋いというか、どんな役でもなりきっていた。個性を捨ててなりきっていたといってもいい。

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新選組が大衆化したのは、2本のドラマから。原作は司馬遼太郎。栗塚旭の土方歳三、島田順司の沖田総司が若い女性にモテモテだった。思えば「歴女」の走りだったのかな。

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源三郎は鳥羽伏見の戦いで銃弾に倒れた。錦旗に恐れをなした徳川慶喜はさっさと船で江戸に逃げ帰り、以後ひたすら謹慎する。

宝泉寺の前の通りが旧甲州街道。今は線路をくぐり、緩やかにカーブするように変わっている。どうせなら古い道がいい。ここを甲陽鎮撫隊が意気揚々と甲州を目指したんだ。

幕臣となった近藤、土方はさぞかし得意だったろうが、源三郎の姿はない。坂の途中に坂下地蔵堂が建っている。近在の人々が地蔵菩薩を納めた。

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ここからの坂が結構きつい。坂を上りきって左に行けば「新選組のふるさと資料館」があるはずだ。いい散歩だ。

2010年11月12日 (金)

「誠」たなびく日野宿ぶらぶら・日野宿めぐり⑴

中央線日野駅の東側、甲州街道に沿った町並みはレトロな感じで落ち着いてる。高いビルも大型スーパーもない。

日野宿本陣前にある図書館も景観を壊さないでとけ込んでる。

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いいねえ、この町並みは保ってもらいたい。

本陣を目指すんだけど、その前にどこに行こうか。日野市役所の近くに「新選組のふるさと歴史館」がある。まだ訪ねたことがないので行ってみよう。宝泉寺に寄って井上源三郎の墓に参ってからにしよう。

宝泉寺は駅から3分くらい。井上は近藤勇よりも年長で、新選組の副長助勤、六番隊組長。井上家は八王子千人同心で、日野に住んでいた。

もとは今川家の家臣、桶狭間の戦い後に武田家に仕え、武田家の滅亡で日野にやってきた。

だからお墓も日野にある。甲州街道の反対側には「井上源三郎資料館」があるが、第一と第三日曜日が開館日。「土方歳三資料館」「新選組資料館」も同じ日しか開いてないので、きょうはパス。新選組のファンは第一、第三を目がけてやってくるようだ。

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駅前にはこんな地図があります。下が日野駅。駅右手の卍が宝泉寺。駅前通りがぶつかっているのが市役所通り。これを右折して坂を上りきって左折すると「新選組のふるさと歴史館」がある。

市役所通りと甲州街道がぶつかったT字路の左に井上源三郎資料館、甲州街道と川崎街道がぶつかる手前に日野宿本陣、その裏手に新選組資料館…といった具合。

土方歳三資料館は、多摩モノレールに乗って万願寺駅が近い。モノレールの甲州街道駅までは日野駅から1㌔はあるから、ついでに万願寺まで歩いてもわけはない。

でも、ファンだったら歳三の墓がある石田寺にも参りたいよね。そしたら殉節両雄之碑があるゆかりの高幡不動にも足を伸ばしたい。

1日でまわるのは結構強行軍になる。

こちらは地の利を生かしていつでも来れるから、まだ駅前だもんね。

てなわけで続きます。

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