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カテゴリー「国分寺市」の記事

2016年1月11日 (月)

野川の源流の1つ新次郎池@東経大構内・国分寺市

小金井の貫井神社近くに用事があったのでJR国分寺駅から徒歩。

殿ヶ谷戸庭園に寄ろうと考えたが思いなおして新次郎池に変更。

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野川の源流の1つです。

東京経済大学の構内に豊富な湧水があります。

もっと上流では日立中央研究所、お鷹の道などの湧き水が流入。

ここも「東京の名水57選」に入ってるのに訪ねたことがなかった。

高校同級生の家が近くで何度も通ってますが、その頃は関心もなかった。

守衛さんに断わって入れてもらうのかと思ったら公開地で自由に入れます。

なるほど。国分寺涯線の下から地下水が流れてる。

北澤新次郎学長時代(1957〜1967)に池として整備したので新次郎池。


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湧き水は小川となって道路沿いを流れてますがすぐに野川に注ぎます。

この間、100メートル足らず。野川では小サギやカモがゆったりしてました。

確か友人の家のすぐ前を流れてたはずなのに流れが変わってます。

友人によると、たびたび氾濫するのでまず住宅地をかさ上げ、その後、流れを緩やかなカーブにして蛇行か所を埋め立てたそうです。

確かめてみましょう。向こうの橋の手前です。

昔の流れが埋め立てられ、「湧水の道」になってます。

湧水の道の前に友人の家がありました。これで納得。

友人宅ではお世話になった友人の母上のしのぶ会の相談。

桜の季節に行うことになりました。


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新次郎池の近くではオオイヌノフグリが。

ブルーが出てませんね。カメラのせいです。

実際はもっと青くてお星様みたいです。

近くにはフキもいっぱい。

小川が流れて適度な湿り気があってるのでしょう。

もしかしたらフキノトウ、探してみましたがまだでした。

横浜の方じゃ、もうフキ味噌を作ったなんて話も聞きました。

早く出てこないかな。


2015年2月 7日 (土)

10分の1でも見上げるよ・武蔵国分寺七重塔復元模型@国分寺お鷹の道

久しぶりにお鷹の道散歩。湧き水がつくった小川が気持ちいい。

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緑の中に赤いのが目立ちます。

じっくり見てないので武蔵国分寺跡資料館に入ってみましょう。

庭に建てられてます。

奈良時代の人々はびっくりしたろうなあ。

天平13年(741)の聖武天皇の詔によって諸国に建てられた国分寺の七重塔。

武蔵では最初に七重塔が造られた。

高さ60㍍。はるか遠くから望めたでしょう。

こんなものを建てる大和朝廷の威力をまざまざと見せつけられたわけです。

南の府中には国府が置かれた。

人々が暮らしていたのは竪穴住居。

こんなのを見せられてはおとなしく年貢を納めるしかないね。

模型は市内の棟梁が復元模型設計書をもとに10分の1の縮尺で製作。

市役所旧庁舎前に置かれていたが、平成24年にここに移設された。

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「関東地方でもっとも古い」という白鳳仏。

銅造観世音菩薩立像で古代の東山道武蔵路から発見された。

法隆寺の夢殿観音、六観音に類似しているので、白鳳時代後期(7世紀末〜8世紀初頭)の制作と考えられている。

さらに「現在、関東地方で知られている白鳳仏の中でももっとも古い像」と説明がある。

深大寺の釈迦如来倚像も白鳳だ。

それよりも古いということか。

国分寺が置かれる前にすでに都の文化を伝える人がここらに住んでいたんでしょうか。


2014年9月29日 (月)

ここにもあるぞキレンゲショウマとカラスビシャク@殿ケ谷戸庭園・国分寺駅徒歩2分

ラジオを聴いてたら「殿ケ谷戸庭園で野草観察会」と告知してた。

殿ケ谷戸は久しぶりなので参加しましょう。

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もとは岩崎家の別荘。

開発計画があったが住民運動で庭園として保存されました。

そんないきさつはこちら

定員30名なので1時半の30分前には到着。

案内してくれるのは植物多様性センター(神代植物公園)の職員さん。

予定していた人が病気だかで急きょ、呼ばれたようです。

萩のトンネルをくぐって萩の見分け方などを教わりつつ園内一周。

アカマツとクロマツの違いなんてのも。

細い葉に手のひらを当ててみて痛くないのがアカマツ。

ホントだ。知りませんでした。


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ここにもレンゲショウマがかなりの数、植わってる。

来年は見にきてみましょう。隣にキレンゲショウマ。

まだつぼみが残ってます。

神代植物公園のは、もうぽろっと落ちてるのに息が長い。

でもきっと花は開きません。

おそらくこの状態で役目を終えてしまう。

高山の植物なので平野では条件が揃わないんでしょう。

調布の野草園のも半開きでおしまいです。

ちゃんと開いたのを見たいもんです。

カラスビシャクもいっぱいあって初夏にはあのユーモラスな花が見られるようです。

20日のことでした。


2014年6月 9日 (月)

ハケをたどって新田開発の苦労をしのぶ@国分寺崖線探索会・国立駅北側

崖下を歩いていたら、お庭に山が作られてます。

3メートルはあるだろうか。

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塀からのぞいてる頭には溶岩が積まれている。

もしかしたら富士山を個人宅にこしらえた?

富士講にはちょいと関心があるので興味津々。

坂の中腹にある門まで行くと、タケムラ君がまたしても

「知り合いのお宅だ」

驚くほど顔が広い。

ご主人がいらしてお話を伺う。

代々庄屋をつとめたお宅だそうです。

山は築山でとなりに書院、句会や思索用に築いたそうです。


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ちょいと行くとこんもりした森が。

急に崖が高くなった印象です。

中藤新田を開発したときに祀った神明社。

急な階段でしょ。

中藤新田は今の武蔵村山市の中藤の人が中心になって開いた。

狭山丘陵に近い方です。

亨保15年(1730)ころのことです。

隣は観音寺。

武蔵村山市で創建されたが亨保年間の新田開発にともないこの地に移築された。

武蔵村山には観音寺の地名だけが残ってます。

もちろん中藤地区。

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何を見てるんでしょう。

鳥居の内側に妙な遺構が。

かつては橋だったんです。たいこ橋。

玉川上水の分水がハケ下を流れ畑をうるおしていた。

分水が引かれたので次々に新田が開かれた。

ここは国分寺市光町の稲荷神社。

摂社に御岳神社も祀られていて、狛犬に牙がある。

狼かなとも思ったがしっぽが長い。

白狐みたいです。

お祭りでは白狐の装束の子供が舞うみたいだ。

この後は国立駅北口近くの崖をたどる。

国立駅の南口はよく利用したが北口は初めて。

南口の広くて平坦な大学通りとはまるで趣きが違います。

東側は急坂ばかり。

ちょっとびっくりしますよ。


2014年6月 8日 (日)

宅地化され面影をとどめないハケの始まり@国分寺崖線探索会・中央線の北側

ハケ(国分寺崖線)には毎日お世話になってます。

野川公園、深大寺、調布市野草園、いずれもハケ沿いに立地。

豊かな自然を楽しませてもらってます。

ハケの始まりはどこからなんだべ(三多摩弁です)。

武蔵村山市あたりのようですが、立川市幸町説もあるので、そこから始めてみましょうか。

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中央線北側でハケ伝いで歩いたことのあるのは国分寺の姿見の池、日立中央研究所くらい。

その先はどうなっているのか。

ずっと気になってました。

立川市立けやき台小の西側がはじめの一歩。

おおっ、もう崖が始まってます。

ハケの始まりを見ただけですが、念願を叶えた喜びがあふれてきます。

でも緑に覆われたハケではありません。

農地も切り売りされて景観はとどめてません。


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崖下の道は国分寺市が北側に突き出ていて国分寺市西町。

もとは中藤新田村だったようだ。

このあと偶然に中藤新田の庄屋さんだった家にお邪魔します。

坂を登ってみます。

高低差は10㍍はあるでしょうか。

電動アシストでないと自転車では大変です。

ところどころに旧家は残ってますが、ほとんどが宅地化されている。

国分寺の南側から調布までは緑が残されてるのは、傾斜がさらにきつく開発できなかったのが幸いしたのか。

国立駅の北口まで歩きます。

だいたいこのへんです。↓


大きな地図で見る


2012年5月29日 (火)

岩崎家の別荘だった殿ケ谷戸庭園のシライトソウ@JR国分寺駅徒歩3分

シライトソウを見に国分寺の殿ケ谷戸(とのがやと)庭園に。

昨年秋、国の名勝に指定された和洋折衷の回遊式林泉庭園です。

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林があって湧き水を貯めた池があるから林泉庭園。

こんな言葉があるんですね。

ハケ(国分寺崖線)を利用して西洋式と和の両方の庭がある。

先日訪ねた旧古河庭園(東京都北区)と同じです。

部屋からながめるのは西洋式、崖を下りると日本式。

あんなに広くはないですけどね。

あちこちに別荘がある岩崎家にとっては、東京近郊の手軽な施設だったんでしょうか。

多摩川の鮎などを供したのかな。

国分寺駅南口から歩いて3分。

こんな場所が残されたのは、住民パワーのおかげです。

マンション建設だかの話が持ち上がり、

緑を残せと住民が反対運動を展開。

結局、東京都が買収、公園として公開することになった。

1974年(昭和49)のことです。

都知事は美濃部亮吉さん。

隣町小金井の滄浪泉園も同じ経過をたどっている。

(滄浪泉園のブログはこちらにつづいてます)。

おかげで名勝が残された。


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シライトソウは、崖中腹の下の方に、けっこうまとまって咲いてました。

見た通りの名前。

ちょっと遠いのが残念。

白い花が何本も真っすぐ上を向いていて、自然と顔がほころびます。

けなげでいとしい。

いいものを見たなあ、と和やかな気持ちになりました。

藤棚の下や茶室前ではお年寄りのグループが、お弁当を広げてました。

緑あふれる5月の風が、さわやかに頬をなでていきました。


2011年2月 6日 (日)

史跡の駅「おたカフェ」と東山道武藏路

サイモンとガーファンクルの「冬の散歩道」などを口ずさみながらせせらぎとともに「お鷹の道」を歩いた。真冬のウイークデーなので訪れる人も少ない。(散歩したのは1月13日のこと。アジア杯などがあってアップするのが延び延びになってました)。


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中央線の国分寺駅から歩いて15分くらい。大きな農家の間の小径を整備して、真姿の池湧水群から湧き出る水を集めた小川にそって歩く。静かだ。聞こえるのは流れる水の音だけ。

途中におたカフェがある。

こうして見ると、ケヤキの大木の邪魔をしないように建ててるんだ。客はひと組だけ。隠れ家の喫茶店の趣き。

向かいに「武蔵国分寺跡資料館」がある。東山道武蔵路発掘の成果を展示しているというので入ってみる。

東山道武蔵道は東山道の支線。相模国府あたりと群馬の新田を結ぶ道だ。

詳しくは「古代の道ははこんなに広いぞ」で取り上げたのでよかったら参照してください。

資料館は大きな農家の母屋のあとに建てたもので、広い庭が楽しめる。

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相模から上毛野までほぼ一直線に貫いている。

相模の箕輪駅は今の平塚辺りに比定されている。ここから三浦半島を通って房総半島に渡るのが、古い東海道。だから南が上総で北が下総。都に近い方が「上」となる。

東山道では群馬が上毛、栃木が下野。

「東海道」「東山道」といっても道の名前ではなく、地域を指す。北海道みたいなもんです。後に武蔵は東山道から東海道に編成替えになる。

武蔵路は府中にあった武蔵国府の横を通り、国分寺を抜け、所沢、川越へと北上していた。

とにかく広い。

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発掘の結果、こんなに広かったことが判明した。大和朝廷の勢威を見せつけたんですかね。まっすぐ行くと姿見の池を貫いている。大岡昇平「武蔵野夫人」のヤマ場のくだりに出てきます。地名は恋ケ窪。主人公が「恋」と気づく場面。

溝口健二監督の映画では田中絹代がポッと顔を赤らめてた。(モノクロ作品なので実際は赤くはないが、赤くなったと感じさせる)。

これが農家のあとに造られた資料館。庭は保存されている。

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1階が展示室。景色を邪魔していないのがいい。ひと通り展示を見た後に庭で深呼吸するのが気持ちいい。

これは資料館の門。国分寺村の名主、旧本多家の長屋門を残したもの。弘化5年(1848)に建てられた。東側には2間の座敷があり、幕末には名主の子息の本多雖軒(すいけん)が開業していたこともあったという。

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お鷹の道から国分寺跡を訪ね、武蔵路あとにびっくりして西国分寺駅から帰途につくーー古代の余韻に浸れるいい散歩道です。

2010年10月27日 (水)

お鷹の道の周りは本多さんちだらけ

久しぶりに国分寺のお鷹の道を歩いた。武蔵国分寺跡の史跡公園のすぐ北側です。月曜日だったので「おたカフェ」も「武蔵国分寺跡資料館」もお休み。そこで「本多さんめぐり」に変更した。

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このあたりの農家は本多姓が多い。本多家の先祖が切り開いたのだ。史跡公園の中に本多家のお墓もある。公園に食い込んで畑もある。鎌倉時代末期の分倍河原の戦いで国分寺が消失した跡、どんどん切り開いて行ったんですね。

真姿の池湧水群の脇で野菜の庭先販売を行っているのが本多俊一さんの家。これは蔵。「本」の字が白壁にくっきりと浮き上がってます。値段を見るとスーパーより50円は安いが、きょうは野菜を買うのはパス。

湧き水に沿って行くと立派な長屋門が。これが本多俊一さんの家の門だ。左側はカーテンがかかっているので、子供の部屋にでもなっているのか。

野菜販売の向かいも本多さん。


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何坪あるんだろう?家の向こうは、小高くなっている。いわゆるハケ。ここでも野菜や果物を売っていた。柿やイチジク、みかんもある。

国分寺跡の方からお鷹の道の一本南側に行ってみる。ここも本多さんだ。

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さらに歩いてみる。大きな農家がある。通用門があって、ここも本多さん。

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どこの家も敷地が広い。分家ではなく、それぞれが本家なのか。いつごろから住み着いているのだろう。中央線国分寺駅の北側には「本多」という地名がある。玉川上水の南側だ。上水ができたので新田を開墾したのだ。本多家の次男、三男が移って行ったのだろう。

多摩新田開発の典型的なパターンだ。ということは、その前から、こちらにいたのは確かだ。

2010年9月14日 (火)

「姿見の池」は野川の源流か?・国分寺

多摩川の支流、野川の源流は国分寺の日立中央研究所の中ということになっている。研究所には池があり、そこにそそぐ湧き水が数カ所ある。

大岡昇平は「武蔵野夫人」で姿見の池を源流とし「鎌倉武士と傾城の伝説のあるところ」と特定している。しかし今では野川とは連続していない。

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池の手前に案内板が立っていた。それによると、(途中で途切れているようでもあり、はっきりしないが)池から流れた小川が野川にそそいでいるようにも見える。

玉川上水の恋が窪村分水とは別に、武蔵野線の西側からも小川が流れ込んでいる。昭和20年代には、こっちが源だったのかもしれない。

東福寺で遊女の墓に参る。境内はコンクリで整備されているが大きなケヤキがまっすぐに伸び、歴史を感じさせる。

かたわらに「傾城墓」と書かれた小さな墓標が建ち、隣には立派な「傾城墓由来」碑がしつらえてある。

その隣に植えてあるのが「一葉松」。里人たちが、池に身を投げた夙妻(あさづま)太夫をしのんで塚をつくり、その上に植えた松だという。

東福寺の門前あたりは鎌倉街道が通じていたらしい。古くから開けていたようだ。傾城に託して畠山重忠をしのぶ松を植えたのかもしれない。


▼東福寺境内。右手に傾城墓と一葉松がある

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重忠は、「鎌倉武士の鑑」ともいわれ、武藏武士団の首領的な存在だったが、北条氏によって滅ぼされてしまった。

表立ってしのぶわけにはいかないので傾城に仮託したと見ても、あながち間違いではないだろう。

2010年9月10日 (金)

恋ケ窪名物「純米酒」とラーメン屋

公園を出ると目につくのが白壁の藏。「純米酒恋ケ窪」の看板がかかっている。ネットで調べると、10年ほど前に、地名にちなんだ商品をと酒屋さんがつくったようだ。

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右手を見ると中華料理一葉松の赤い看板が飛び込んできた。夙妻太夫の墓があり、一葉松が植えられている東福寺の門前にあるので店名にしたようだ。特に太夫にちなんだ料理が料理を出すというわけでもなさそうだ。

この2つが、ちょっとだけ「観光地」の雰囲気を醸し出している。

ここを訪れるのには国分寺で降りてもいい。北口から西へ向かい「だんごの輪島」をすぎて、なおも行くと日立中央研究所にぶつかる。その南側が遊歩道になっている。右手は研究所の雑木林、左手は中央線。

塀にそって進むと姿見の池遊歩道になる。西国分寺駅からは逆の方から公園に入ることになる。


紅葉の季節には中央研究所の庭園が市民に開放される。ことしは11月21日(日)、年に2回だけ野川の源流が見られる。もちろん、武蔵野が保たれているので、のんびりするにはいい機会だ。

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