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カテゴリー「府中市」の記事

2017年1月 1日 (日)

まだ滞在中だよニシオジロビタキ@武蔵野公園・府中市

熱心なバーダーさんがどのくらいいるのかな?

初詣は後回しにして元日は武蔵野公園。

きっとニシオジロビタキはまだとどまってくれてるでしょう。

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12月にいたバーベキュー広場のあたりを目指すが誰もいない。

はて、カメラマンの多さに嫌気がさして、他に移ってしまったのか。

他の鳥を狙ってたおじさんに聞いてみると「ほら、あっち」

いました。

場所を変えたようです。

どうやら常緑樹から落葉樹の方に誘導したようです。

ロウバイの植え込みに餌をまいて葉に邪魔されないようにした。

10分も待ってると来ました来ました。

ロウバイ林じゃなくて近くのこの杭がお気に入り。


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ロウバイの梢にもやってきます。

ずっと狙ってるおじさんが「ロウバイが開いてきたよ。暖かいからね」

「あしたあたりは花とニシオジロビタキが撮れるぞ」

おそらくシベリアから渡ってきた珍鳥は、あちこち飛び回ってますが、必ず杭のあたりに戻ってきます。

珍鳥の習性などはこちらで触れてます。


私のカメラはキャノンのコンデジ。

ズームは30倍まであるので十分に狙えます。


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この日のバーダーさんは正午過ぎで十数人。

元日にこの人数は多いのか少ないのか。

ニシオジロビタキは10分に1回くらいは来てくれるので狙いやすいですよ。


2016年12月26日 (月)

ひと月違いのダイアモンド富士@府中市のどこからでしょうか

♪夕陽が沈む 夕陽が沈む

  恥ずかしそうに 夕陽が沈む

 今日から二人は 恋人同士

 手を取り合って  二人で見れば  (フォア・ダイムズ「夕陽が沈む」)


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夕陽を見ると、記憶の片隅に残ってるこの歌が流れます。

グループの名はほとんど忘れてます。慶大のカレッジフォークだったようです。

1966年の曲。そこそこヒットしたような・・・。

昼間はお日様が照りつけて暑いくらいだったのに日が傾くとやっぱり寒い。

午後からずっと日向ぼっこ。

太陽が沈んでいきます。横にはくっきりと富士山。


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丹沢の山の陰に太陽が隠れていきます。

近くの富士見百景にも選ばれている浅間山(せんげんやま)公園のダイアモンド富士は11月21日と1月21日。

ちょうど中間なので南の方に沈みます。

ビルが建ってますが全く邪魔にならない。

隠れた富士見スポットです。

座席はあるし、高尾山のように混雑もしない。

場所取りなんかしなくてもダイアモンド富士が堪能できそうです。

さてどこでしょうか?


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人が大勢います。

きっと何万人も入場してるよ。馬も走ってないのに。

有馬記念当日の東京競馬場でした。

レースは中山競馬場で行われるんですが、馬券を買いに府中にもファンが集まります。

京王電車だって特急が東府中に臨時停車します。

(普段は府中で競馬開催の時だけ停車しますが有馬記念は特別)

3時半頃に終わった有馬記念の馬券はもちろん外しました。

なので寂しく夕陽が沈むのを見送っていたんです。

年末はは府中に集まって有馬記念を楽しんでから忘年会というのが恒例です。

最終レースも外して帰ろうとしたら仲間が「獲ったぜ」

今年最後の「2016ファイナルステークス」をゲットして払い戻しが36万円余り。

忘年会のお酒はもちろんゴチになりました。

いい年だなあ。

2016年12月13日 (火)

珍鳥ニシオジロビタキが来てるので大にぎわい@武蔵野公園・府中市

相当に珍しいみたいです。

カメラマンの数はざっと6、70人。

枝や葉の陰から姿をのぞかせると速射砲がバシャバシャ。

フィルム時代より音は静かですがね。

何が飛来してるのかというとニシオジロビタキ。

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わたしゃ、珍しいのかどうかも全く知りません。

でも、あれこれ調べると日本に渡来するのはまれで、繁殖地はユーラシア大陸の北部。

冬季は東南アジアなどに渡って過ごす。

スズメくらいの大きさなので海を越えないのですが、何の加減か日本列島に迷い込むのがいる。

葉の陰になってるので羽の色がわかりません。


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これならどうだ!

長玉を構えたバーダーさんたちに混じって敢然とコンパクトカメラで立ち向かいます。

ズームにして待ち構えると、どこに行ったのやらフレームに入らない。

このへんだろうと、やみくもにシャッターを押して写ってたのが何枚か。

「来てるよ」と教えていただいたのは野川公園のボランティアさん。

オジロビタキと少し異なるニシオジロビタキと言ってた。

ノドのオレンジ色の様子で区別する。

別種としない見解もあるようですが、オレンジの部分が大きいようなのでニシオジロビタキとしておきましょう。

ニシは名前の通りにヨーロッパの西部が繁殖地。

どうやって迷い込んだんでしょうか。不思議です。

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動きはせわしない。

あちこちの枝を移動しては地面に降りて虫を捕まえてるようだ。

地上で捕食するのはキビタキ類では珍しいらしい。

つられてシャッターを切ったら奇跡的に写ってました。

虫は捕まえたんでしょうか。


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カメラマンの砲列。

ニシオジロビタキは12月の初めからいるみたいです。

冬はここで過ごすのかな。

場所はバーベキュー広場の近く。

いい匂いが風に乗ってくる中、じっと我慢してひたすらにカメラを構えてます。

あたしゃ20分ほどで引き揚げました。

高さ2メートル足らずの枝に止まりますので割りに写しやすいです。


2016年11月11日 (金)

ため息が出ちゃうよ・企画展「埴沙萠」@牧野記念庭園・練馬区大泉

このポスターを見たらすっ飛んで行きたくなるでしょ。

かねてから訪ねたかった牧野記念庭園。

牧野富太郎博士の旧居跡が開放されてます。

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埴沙萠(はに・しゃぼう)さんについてはNHKスペシャル「足元の小宇宙〜生命を見つめる植物写真家」で知りました。

ふだんは気づかない植物の小さな世界が、驚きの宇宙へと変貌する。

思わず息をのみました。

オンエアは2013年ですか。興味を持たれた方はアーカイブで探してみてください。

企画展「埴沙萠〜レンズで奏でるいのちの輝き」のポスターに使われているのはクロマツの芽生え。

まだ殻の帽子をかぶってます。

殻の帽子が取れるとあの松の細い葉が広がるんでしょうか。

この様子だと双葉じゃない。

針葉樹の芽生えってこんななんですか。


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企画展用のポストカード。

タマゴタケの胞子の舞。

森を歩いていた埴さんは、けむりを出しているキノコに出会います。

朝日に輝いたけむりは見逃しません。

埴さんのレンズを通すと、動かない植物が躍動感あふれるいのちの営みに変わるんです。


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ポストカードのコラージュ。

右中はワレモコウの葉が作った水玉。

雨の水滴ではないんです。

ワレモコウが根から吸収した水分が役目を終えて葉先から排出されてるんです。

一瞬の出来事です。

すぐに蒸発してしまうんだそうです。

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そこまでやるのかと恐れ入ったのはツリフネソウの実がはじける瞬間。

ちょっと触れるとパチンパチンとすごい勢いで4、5メートルも飛び散ります。

埴さんは、運悪くタネが命中したハナバチが脳震盪を起こして墜落したのを目撃したそうな。

そんなスピードの一瞬を撮るのにどうしたか。

ゴム鉄砲を作ってタネを実に命中させる。

命中した時の音でシャッターが切れるようにして撮影したそうです。

ゴム鉄砲が展示されてました。

企画展は12月11日まで。入場無料。

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埴沙萠 本名杉山繁。1931年大分県生まれ。

1951年、東京農大に砂漠植物研究室を創設。1968年以降は写真家として植物の生態撮影に専念。

2016年2月永眠。


2016年4月30日 (土)

見頃は連休後半だなムサシノキスゲ@浅間山公園・府中

緑一色の中ですっくと立ち上がったムサシノキスゲの黄色い花が映えてます。

開花は順調です。強い北風に押し戻されながらもチャリンコでえっちらおっちら遠征してきました(29日)。

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近頃はあちこちに移植されてますが、ここが唯一の自生地です。

浅間山(せんげんやま)は標高約80㍍の低山ですが、豊かな自然が保たれてます。

ムサシノキスゲまで残してくれた。

この山が古多摩川の削り残しだいうこととと関係がありそうです。氾濫を繰り返した古多摩川が周囲の土砂を押し流し、植物にとっての環境が変化してしまった。

だけどここだけ大昔の地質が残されたんです。

氷河期には低地にも生育していたニッコウキスゲも取り残された。

温暖化に適応するために少しだけ変わって変種のムサシノキスゲになった。

ニッコウキスゲと違って夜でも花が閉じないといいます。夜に見たことはありませんが。


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赤みがかってるのは私の腕が悪いせいです。

比較的にまとまって咲いてるのは堂山から中山への下り斜面。

あずまやの周辺。中山の西斜面。

例年通りです。

キスゲフェスティバルも5月7、8日と14、15日に開催。

でもギンランは見かけなくなった。

ギンラン、ササバギンランを見たのはほんの数株だけ。

小さすぎたり、遠すぎたりで写真には撮れませんでした。

クゲヌマランが混じってないか探したかったんですが、数が少なすぎてそこまでもいきませんでした。

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キンラン、特に堂山から中山への下りにはびっくりするくらい咲いてます。

間伐や枝の伐採で日当たりが良くなったのが原因でしょう。

あちこち見て回ってたら、おばちゃんが私の顔を見てます。

「あらっ」とか言われたけど誰だっけ。

「Kさんでしょ」と確かめられてしまった。

お名前をうかがって判明しました。

ごく近所の方でした。こちらは知らなくてもご近所の方は私のことを分かってる。

悪いことはできません。

なんでも後日、老人会のウォーキングでくる予定で、その下見に訪れたそうです。

2015年12月28日 (月)

玉川上水ムダ堀の謎・公式見解は?・後編@府中市郷土の森博物館

ムダ堀は玉川兄弟の失敗工事だったと最初に主張したのは三田村鳶魚。

1942年に東京日日新聞に連載した「埋もれた功労者 玉川上水開鑿の記録」。

ここから失敗堀説が世間に広まっていく。

これに江戸時代の「玉川上水紀元」などをもとに杉本苑子が「玉川兄弟」(1974)を出版してムダ堀の存在が注目されてきた。

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府中市郷土の森博物館の企画展「ムダ堀の謎をさぐる」をのぞいてます。

以前にも三田村鳶魚や杉本苑子の失敗説をこのブログで取り上げてます。

よかったら以下を参照してください。

「玉川兄弟って何ものだったんだろうか@出自をめぐるナゾ」

「かなしい坂・玉川上水掘削失敗の伝説は事実なのか・その1@府中市清水が丘あたり」

「玉川上水の「府中宿失敗堀」伝説地を歩く・その2@府中市競馬場近く」

「『府中宿』『水喰土』2度の失敗伝説を流布したのは三田村鳶魚@玉川上水工事のナゾ」

「かなしい坂」「水喰土」2度の失敗説を世に出し玉川兄弟をおとしめた三田村鳶魚の意図は@難工事の玉川上水をめぐって

これを書いた後に羽村から四谷まで玉川上水をたどって歩いたりしてます。

リタイアしたばかりで意欲にあふれてました。

懐かしいなあ。

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今回、企画展を訪ねた動機は私の仮説が正しいのかどうか検証してみたかったのが第一。

玉川上水を取り上げた小説が杉本苑子以来久々に出版されてるんですね。

松浦節(たかし)の「伊那半十郎上水記」(2002、新人物往来社)

ここでもムダ堀が取り上げられてるそうだ。

失敗節なのか?読んでみましょう。

失敗節だったら現地を歩いてないことになる。だって立川段丘面から、あの武蔵野崖線をどうやって水を登らせるんでしょうか。

企画展の結論はこうなってます。

「どちらの場合(注:調布方向と多摩墓地方向)でも武蔵野段丘面へ水を引くことは、不可能と判断された」


「要するに、玉川上水失敗伝承を全面的に否定してしまうことにはためらいを感じるが、江戸への導水を意図したならば、その計画はあまりにもお粗末であったといえよう」

そんなお粗末な計画を玉川兄弟は立てていなかったのです。

でも誰が何のためにムダ堀を掘り進めたのかの謎は解けないままです。

ここから先は今後の調査結果を待ちましょう。

2015年12月27日 (日)

玉川上水ムダ堀の謎・失敗だったのか・前編@府中市郷土の森博物館

玉川兄弟は初め今の国立市の青柳あたりから玉川上水を掘り始めたが失敗に終わったという説が流布されてます。

本当にそうなのか。以前、実際に歩いてみましたが、立川段丘面から武蔵野段丘へ水路を登らせるなんて考えられない−−が私の結論でした。

だってそうでしょ。府中から水路を作ってあの国分寺崖線(ハケ)の上に水を引くなんて考えられない。

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郷土の森博物館で企画展「ムダ堀の謎をさぐる」が開催中。

ロウバイの小径も見頃だし、一石二鳥とお出かけ。

ムダ堀とはいえすごい規模だ。

入り口に飾られた大きな写真にまずびっくり。

案内板を写してきたんですが「ムダのム」のところが発掘現場です。

測量をしてる人があんなに小さいんですよ。

白いのが3つ底にあるでしょ。人間なんです。

ムダ堀が発掘されたのは1996年のこと。

上幅14㍍、深さはなんと5㍍。

ローム層を掘り抜いて礫層を3㍍も掘り込んでいた。

発掘した場所は京王線東府中駅の南側です。

このあたりまでは北東に作られ、つまり京王線や甲州街道方面に向かっていた。

やがて南西へと向きを変えていた。

かつてムダ堀は帯状に伸びる窪地として確認できたらしい。

しかし現在では跡をとどめていない。

府中市が調査したところ、東隣の調布市の飛田給(アベベが走った東京オリンピックのマラソンの折り返し地点)、

さらに北の多磨霊園の東あたりにも痕跡が見つかったらしい。

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博物館ではこの堀跡をどう見ているのだろうか。

展示から引用する。「ムダ堀は、沖積低地から立川段丘面に水を引き上げることを目的に掘られた可能性が高い。それは玉川上水の完成年より前である。だが、実際に水路として機能した形跡はない」

誰が何のために、こんなに巨大な溝を掘ったのか。

幕府の記録にも表れていない。

謎は深まるばかり。


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江戸時代の測量技術が相当に優れていたことは完成した玉川上水をたどってみればわかる。

高低差の少ないところを見事に尾根に水路を作っている。

では誰が何の目的で失敗伝説を流布したのか。次回へ。

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これまでの玉川上水掘削関連のブログです。よかったら覗いてください。

「玉川兄弟って何ものだったんだろうか@出自をめぐるナゾ」

「かなしい坂・玉川上水掘削失敗の伝説は事実なのか・その1@府中市清水が丘あたり」

「玉川上水の「府中宿失敗堀」伝説地を歩く・その2@府中市競馬場近く」

「『府中宿』『水喰土』2度の失敗伝説を流布したのは三田村鳶魚@玉川上水工事のナゾ」

「かなしい坂」「水喰土」2度の失敗説を世に出し玉川兄弟をおとしめた三田村鳶魚の意図は@難工事の玉川上水をめぐって


2015年12月26日 (土)

名物ロウバイの小径が早くも見頃@府中市郷土の森博物館

気のせいかな。

入り口で入場券を買ってたらかすかにロウバイの香りが・・・。

急ぎましょ。

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掲示板には5分咲きとなってたが、7、8分はいってるでしょう。

梅園の一角がロウバイの林になってます。

近づくと体じゅうが香りに包まれます。

入り口で香ったように感じたのもあながち錯覚とはいえない。

市街から離れた多摩川沿いで空気もいい。遠くまで運ばれてもおかしくはない。

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名付けてロウバイの小径。

約100メートルの小径ぞいに約90本のロウバイが植わってます。

ロウバイにソシンロウバイ、マンゲツロウバイ。

今年初めに訪ねたのは1月中旬だったから、相当に早い。

こうなると梅も早そうだ。

この冬の花の追っかけは忙しくなるかもしれないな。


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早咲きの梅はちらほら。

これは寒紅梅。

「浮気うぐいす 梅をば焦らし わざと隣の桃に鳴く」

「鶯を留めて しっぽり楽しむ梅を そっと見ている野暮な月」

正月は雪見酒ではなくて梅見で一杯ですかね。

2015年3月31日 (火)

桜吹雪がはらはらと・・東郷寺のシダレサクラ@府中市

都心の気温が23度越え、満喫してきました東郷寺のシダレサクラ(30日)。

「山峡(やまがい)に 咲ける桜を ただ一目 君に見せてば 何をか思はむ」

病床の大伴家持から贈られた悲歌への旧友大伴池主の返歌です。

山門下を埋め尽くすシダレサクラが満開、見事なもんです。君にも見せたいと思うのは人情でしょう。

ちょいと狙いを変えて山門上から見下ろす桜をご覧ください。


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椅子を置いてあかずながめているご婦人がいました。

時おり風のいたずらで花びらが上がってきます。

ぜいたくなお花見です。


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近在の人たちが次から次にやってきます。

東郷平八郎元帥が開祖。

東郷家の別荘・農園あとに旧海軍関係者が建立(1939年)したので山号は聖将山。

府中崖線の高台に位置しているので急階段です。

危なそうなので横の歩道で上がりました。

総ケヤキ造りの三間三戸の八脚門がそびえるように建ってます。

黒澤明監督「羅生門」のモデルになったのは有名な話です。

そんなことはこちらで書いてます。

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桜は身延山から分けてもらったもの。

「英霊のため」と説明があったので大戦後のことでしょうか。

京王線の多磨墓地駅から歩いてすぐです。


2015年1月20日 (火)

やはり古代には大国魂神社はなかったようだ@府中市郷土の森博物館

ロウバイの小径散策のあとは博物館へ。

昨秋リニューアルされた常設展をのぞきます。

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石器時代から現代までの府中の歴史が分かるように工夫されてます。

私ゃ、大国魂神社がいつごろから存在するのかに関心があります。

役人が地方政治を行う国府が府中に置かれたのは和銅3年(710)ごろ。

そのころの様子を再現した模型です。

左下の水色が多摩川。

画面中央が国衙で、その右には廃寺となった多磨寺。

国衙の左が現在の大国魂神社境内。

神社らしいものはつくられてません。

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下の模型は鎌倉時代ごろかな。

景観が一変します。

でんと建てられてるのは六所宮(大国魂神社)

解説には「奈良・平安時代に官庁街があった一画には、武蔵国の主要な神々を合せ祀った六所宮(現 大国魂神社)が誕生しました」とあります。

六所宮は鎌倉時代の創建と読めます。

国衙跡は六所宮の神主や禰宜の家になってます。

境内に入って参道を進んで随神門の手前を不自然に道路が横切ってます。

創建よりも前に道路があったので、そのまま残したんでしょう。

創建1900年余といわれている大国魂神社。

実際には1000年くらい前なのかな。


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でっかいセイノカミ(サイノカミ、どんど焼き)が目を引きました。

1月15日、小正月の行事ですね。

正月飾りがべたべた張られていて、けっこう派手です。

近ごろは衰退して行ってるところは少ないようです。

このセイノカミは府中市車返(白糸台)のものを再現。

直径は3・5㍍、高さは約6㍍。

これでもこれまでつくっていたものの半分の大きさだそうです。


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