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カテゴリー「映画・テレビ」の記事

2016年11月14日 (月)

長編復活?「終わらない人 宮崎駿」@NHKスペシャル

番組タイトルで検索するときのう13日とは様相が一変してました。

番組予告がずらっと出てきてたんですが、宮崎監督がドワンゴ川上量生会長に不快感を示した一部が大きな話題になってました。

そのシーンもハッとしたんですが、ジジイと自嘲する宮崎監督が次第にエネルギーがみなぎり、ついには「長編企画 覚書」を鈴木敏夫プロデューサーに見せるまでになっていく変化に驚きました。

縮こまってちゃいけないんだと、改めて我が身を叱咤しましたね。

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いつ見ても紅葉してる感じの園芸種ノムラモミジ。

他のカエデももう少しです。

植物多様性センターです。

         snow     snow       snow

番組は2015年1月15日から始まる。

雪の日だった。

宮崎監督が長編からの引退を宣言してから1年数ヶ月。

制作部門が解体したスタジオジブリはがらんとして誰もいない。

宮崎監督はひとり黙々と絵コンテを描き続けている。

「お茶でも飲もうか」

自らコーヒーを淹れてくれる監督だが、話題は年齢のことばかり。

「こないだ免許の講習に行ってね。まわりが年寄りばかりなんだよ」

多分、75歳で受ける講習のことだと思う(免許持ってないので不確か」

なので同い年の人が受けに来ている。

「ジジイがジジイにびっくり」

私だって「この人が同い年?」って愕然とすることがあります。

自分じゃ、どのように見られているか気づいてないんです。

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取り掛かっているのはジブリ美術館で上映する短編アニメ「毛虫のボロ」

手書きでなくCGなので若い技術スタッフも集合。

まずは冒頭のシーンを作ってみるが気に入らない。

毛虫のボロの誕生シーンだ。

CGだからではなく何かが足りないのだ。

悩み続ける監督。ついにボロのまわりに生き物を配置することで絵の全体が躍動してくる。

そう。トトロ出現のシーンを覚えてますか。

木や草がぴょんぴょんと芽生えてきて画面が生き生きしてましたよね。

ナウシカの腐海も想起した。

      

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イソギク。

ハチが美味しそうに蜜を吸ってます。


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このへんからの監督は動きもスピーディになり表情にも生気がみなぎってくる。

そんな時に訪れたのがドワンゴの川上会長。

人工知能に動きを覚えこませたCGを見てもらいたいと持参したのだ。

それは軟体動物のような奇妙な物体。

「毎朝会うんですよ。体に障害のある友人と。その人はね。僕とハイタッチするのも大変なんです」

「面白いと思って見てられませんね。極めて不愉快。生命に対する侮辱です」

その後自分の机に戻った監督が呟く。

「地球最後の日が近いって感じがする」

技術だけを追求する人たちからは人間の尊厳や生命の輝きなどについての考察がすっぽり抜け落ちているのでしょう。

そんな世の中になってしまったんだ。監督の嘆きです。

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ある日、監督が鈴木プロデューサーに「時間がある時にみといて」

「長編企画 覚書」を渡します。

脚本に半年かけて完成は2019年。

実現するかどうかはまだわからない。

「お年寄りの監督は映画を撮っている時が一番幸せなんだよ」

「そこまで生きているかどうかはわからない。でも製作中に死ぬんだったら悔いはないかな」

「鈴木さん、お金集めといてよ」

なんか本物のようです。

冒頭のシーンの見通しがついても監督は毛虫が集団で動いているコンテばかり描いてたなあ。

実現したら主人公は毛虫かな。

12分の短編アニメ「毛虫のボロ」は2年以上経ってもまだ完成してません。

すごいなあ。何にこだわってるんだろう。

完成したらジブリ美術館に見に行かなくちゃ。

ワクワクしてます。

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番組は15日深夜、日付が変わった頃に再放送されます。

おすすめだよ。

2016年9月16日 (金)

ドキュメント映画「涙の数だけ笑おうよ」@角川シネマ新宿

言語障害のうえに車椅子で高座に上がる落語家なんているわけないと思うでしょ。

これがいるんです。

26年前の1990年に脳溢血で倒れ右半身不随と言語障害が残った林家かん平。

日常のリハビリから林家一門会での高座、そして創作落語をかけるまでを追ったドキュメンタリー映画です。

サブタイトルが「林家かん平奮闘記」

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実は友人の初プロデュース作品で、見ておかないと忘年会で非難されそうなんで足を運びました。

きっと私財もつぎ込んでいるんでしょう。

最近耳にする新語の「感動ポルノ」仕立てじゃなければいいなと内心は消極的。

まあ、大体が「24時間テレビ」も見たことのない人間です。

善意の押し売りというか、弱者の奮闘をことさらに強調して感動を誘う手法は好きではありません。

タイトル、サブタイトルとも、そんな気配がしますが杞憂でした。

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リハビリで体の芯をまっすぐにするように指導されるが、首が右にかしげて肩につくくらいになるのはラストまで変わらず。

自宅に戻って車椅子から降りると転がってしまって立てない。

言葉もなんとか聞き取れるくらい。

こんな状態で噺なんか演れるの?

でもかん平にとっては落語家でありつづけることこそが生きがいであり希望です。

前年は10分のところを25分も演じて、海老名香葉子さんから注意された林家一門会。

ストップウオッチ片手に練習して「寝床」をほぼ10分にまとめあげた。

闘病経験を生かした新作落語にも取り組むが仲間たちからは注文が相次ぐ。

そして学生時代の同級生たちが開いてくれている神奈川県大和市の「林間落語会」に臨む。

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落語会直前に府中市のアパートでの食事風景がはさまる。

寝たきりの母親のために手助けをして、自分も不自由な体で食べ始める。

食事はヘルパーさんが作ったのかデリバリーなのか。

食べ終わって洗い場に行ってプラスチックの食器を洗うこん平。

思わず落涙。

私メも毎食後、「いつもいつもめんどくせえな」とぶちぶち言いながら食器を洗ってます。

歩行困難で要介護1の両親のために作るのはまあいいんですが、片付けが面倒くさい。

でもバチが当たります。私メの体はまだちゃんと動きますからね。

さて「林間落語会」

新作の創作落語をひっさげて登場。

口調も心なしかなめらかで、流暢とはいかないがまあまあ。

映画で映してたのはマクラの部分かな。

おもわず笑ってしまいました。

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詳しく知りたい方は公式サイトをごらんください。

この後、各地で順次公開です。


2015年7月12日 (日)

2度飛んだ特攻隊員・「黒島」が毎日新聞で特集

12日の朝刊、1面と4面で「黒島」が取り上げられてました。

1面は「2度飛んだ特攻隊員(その1)生き別れの母への手紙残し」

4面は2度飛んだ特攻隊員(その2止め)荒海渡り再び知覧へ」です。

黒島に不時着した安倍正也少尉(21歳)と手漕ぎ船で本土に渡った青年を取り上げてます。

会員登録をすればネットでも読めます。

フロントページの真ん中へんに「Sストーリー」というアイコンがあります。

クリックしてみてください。

お知らせまで。

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これをアップしたらすぐにちえみちゃんから電話がありました。

毎日の記事は「黒島を忘れない」映画化のことには触れてませんでした。

同じ黒島のことなのにおかしいなあ、知らないわけはないのに・・疑問が頭をよぎりました。

毎日では角川学芸出版から出された「二度死んだ特攻兵」(福島昂著)が紹介されてます。

ちえみちゃんによると、こちらは島民感情にそぐわないものがあったようです。

2015年7月11日 (土)

来年はちえみちゃんが時の人ーーかも・「黒島を忘れない」映画化に次いでノンフィクションも・その4

夫の遺稿を自費出版、それがプロデューサーの目にとまって映画化。

トントン拍子にことが運んで、聞いてるこちらも信じられないくらい。

でも、これだけじゃないんです。来年の初夏にはちえみちゃんはテレビに出たり時の人になってるかもしれないんです。

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肺がんで亡くなった夫の小林広司さんが黒島を取材した未完の遺構を残していたことからすべてが始まった。

夫の死から1年たった2009年秋、遺志通りに江名武彦さんに手渡したところ、江名さんから「出版しましょう」の後押し。

写真は江名さんが2004年に黒島に建立した特攻平和観音。

神風特別攻撃隊の江名武彦少尉(当時21歳)が出撃したのは1945年5月11日。

エンジントラブルで黒島に不時着。

6月に不時着した中村憲太郎少尉(当時23歳)から沖縄玉砕を知らされた。

黒島への侵攻も時間の問題と考えられた。

そこで江名少尉たちは村民と相談、山中への全島避難の準備を整えていった。

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ちえみちゃんが思っても見なかったことを口にした。

「城戸久枝さんから1回、6時間くらい取材を受けてるんです。この間なんか取材費があるというので、おいしいもの食べちゃった」

「あの城戸さん?」確認してしまいました。

中国残留孤児の父親の足跡をたどった「あの戦争から遠く離れて 私につながる歴史をたどる旅」が大宅壮一ノンフィクション賞などを受賞した人だ。

NHKが「遥かなる絆」のタイトルでドラマ化しました。

名作でしょう。食い入るように見ました。こちらで取り上げてます。

父の幹さん自らが半生をつづった「『孫玉福」39年目の真実」もこちらで書いてます。

よろしかったら参照してみてください。


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きっと遺稿出版までのちえみちゃんの奮闘記になるんでしょう。

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もっと広がるかもしれません。

なにしろ貧乏なんてヘッチャラで明るくたくましく生きてきたちえみちゃんですから。

だいたいフリーの映画人は蓄えなんて持ってない。

育ち盛りの息子を学校にやるために自分は黒島から送られたサツマイモばかり食べてしのいでいたんです。

おそらく映画の公開に合わせて来年の春くらいに出版されるんでしょう。

テレビも雑誌も食いつきたくなるのは間違いないです。

楽しみだなあ。

    sagittarius   sagittarius   sagittarius

「黒島」関連の掲載分は「その1」「その2」「その3」をご覧ください。

写真は特攻平和観音と黒島の風景。映画「黒島を忘れない」の宣伝担当㈱ピー・ツーにお世話になりました。ありがとうございます。

2015年7月10日 (金)

孤絶の島に特攻機が不時着・・今秋撮影開始の映画「黒島を忘れない」・その3

自費出版した夫の遺稿「黒島を忘れない」500部は、ちえみちゃんが1冊ずつ丁寧に梱包、クラウドファンディングに応じてくれた人に発送した。

クラウドファンディング立ち上げに協力してくれた仲間に製作会社素浪人の井ノ原誠プロデューサーもいた。

兄の井ノ原尊さんは映画「ペコロスの母に会いに行く」の企画者だ。

夫で監督の小林広司さんと美空ひばりや松田優作のテレビの特番で一緒に仕事をした仲間だった。

「ペコロス」も自費出版本が話題になり、映画化され2013年の日本映画ベスト1に選ばれた。

「黒島を忘れない」の映画化はいわば必然だったんだろう。


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70年前の1945年、黒島で何があったのか。

機体の故障などで陸海軍の特攻隊員6人が相次いで不時着。

戦況が厳しさを増す中、飢えに苦しんでいた島民たちだが残りわずかな食糧を与え、大やけどを負った隊員を必死に看病した。

おおざっぱにいってしまえば島民たちと隊員との心温まる交流なんですが、広司さんの遺稿では心うち震える逸話がいくつも紹介されている。

45年4月、年が明けてから島には鹿児島からの連絡船が途絶えていた。

電気も通らずラジオも聞けない。

やけどで命が危ぶまれた柴田信也少尉(当時24歳)の看病には乙女会(しょじょかい)の娘たちがあたった。

「今夜が山」といわれた夜、娘たちは摘んできた野いちごを少尉の口に含ませた。

数粒の野いちごを食べ終えた柴田少尉の顔には精気が甦っていた。

知覧から出撃した安倍正也少尉(当時21歳)は内地に戻ることを強く希望した。

だが制空権、制海権を奪われた中、手漕ぎ船で鹿児島まで渡るなど無謀極まりない。

島民たちは協力出来ないと断わった。

21歳の青年が「オレが漕ぐ」と申し出て秘かに出航した。

青年が島に残っているのは連絡船が撃沈され、赤紙が黒島に届かなかったためだ。

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安倍少尉が再び島に戻ることはなかった。

だがある日、飛行機の爆音が聞こえ、段ボールの箱が落とされた。

中には医師の処方箋、薬や包帯、チョコレートキャラメルなどが入っていた。

島民たちは安倍少尉が投下したと信じている。

手漕ぎ船を操った青年は、悩んでいた。自分が内地に帰還させたばかりに安倍少尉は再び出撃したに違いない。

島に残っていれば生きて終戦を迎えられたのに。

はたして良いことだったのかどうか・・・。

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当初、撮影は6月に開始の予定だったが秋に延期になったようだ。

脚本が古田求、監督浜本正機。キャストはそのうちに明かされるでしょう。

来年の初夏ごろに公開の予定。

(写真はフェリーから見た黒島、映画宣伝会社のピー・ツーにお世話になりました)

映画化に至るまでは「その1」「その2」をご覧ください。


2015年7月 9日 (木)

えらい!無一文で夫の遺稿を出版・・「黒島を忘れない」・その2

「広司くんの黒島の遺稿を本にしたいんだけど伝手はないもんでしょうか」

ちえみちゃんから電話をもらったのは何年前だったか。

もごもご口ごもって全くお役には立てなかったが、あれはどうなったろうか、少しだけ気になっていた。

ここまでのいきさつについては「その1」をご覧ください。

そして出版の知らせを聞いたのは昨年秋だった。

どうしたのかと尋ねたらクラウドファンディングで基金を募ったという。

そう簡単にお金が集まるはずはない。なみたいていの努力じゃなかったんだろうと頭が下がった。

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ちえみちゃんとは従業員5、6人の小さな会社で一緒に働いてました。

インターネットが普及する前、パソコン通信なるものがありました。

有料で情報を提供するシステムです。大手はニフティ・サーブとかNEC系のPC-VAN、アスキー。

これらのホストにプロ野球、サッカー、競馬などの情報を送ってたんです。

1コンテンツ10円から高いのは50円以上。

けっこうもうかりました。

ネットの普及ですたれましたが、情報イズ・マネーだったんです。

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監督の小林広司さんが残した黒島についての未完の遺構が動き始めたのは2009年秋だった。

広司さんが亡くなってから10カ月が過ぎていた。

フジテレビのドキュメント「黒島を忘れない」が再放送されてから1月後のことだった。

気持ちに区切りのついたちえみちゃんは、夫の通夜にも参列してくれた元特別攻撃隊・江名武彦さんに遺稿をもらっていただこうと決めた。

9月に世田谷山観音寺で行われた特攻平和観音年次式典で江名さんに手渡した。

遺稿を読んだ江名さんから翌早朝、「完成させて出版しましょう」との電話をもらい「未完の遺構」が完成に向けて動き出したのだ。

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ちえみちゃんは何度も江名さんにお会いして執筆のアドバイスを受け、再取材もし事実確認も行い、少しずつ完成に近づけていった。

だが出版のあてなどない。

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友人に出版社を紹介してもらったりしたが色よい返事はなかった。

ましてやお金があるわけはない。夫に先立たれ母子3人の生活で精いっぱいだ。

だが、どうしても出版にこぎつけたいと自費出版で出すことにした。

100万近くの費用がかかる。

とてもじゃないが、逆立ちしたって出せっこない。

介護施設に勤めながらの作業が続いているとき、ネットで基金を募るクラウド・ファンディングのアイデアを授けてくれた友人がいた。

広司さんのかつての仲間がファンディング用の映像もつくってくれた。

反響は大きく目標額の70万円を越えて150万円が集まり「黒島を忘れない」500部が出来上がった。

昨秋には出資者向けの出版パーティーを開くことができた。

出版した世論社への問い合わせも大きかったのだろう、増刷して一般向けに発売することになった。

自費出版で増刷など滅多にあることではない。

私の手もとにあるのはその2刷。ネットで販売するようです。

まだ映画化までたどり着いてません。続きます。

(写真は江名さんが2004年に黒島に建立した特攻平和観音像とちえみちゃん。映画の宣伝担当㈱ピー・ツーにお世話になりました)


2015年7月 8日 (水)

「ペコロス」に続いて自費出版本が映画に・・「黒島を忘れない」・その1

ちえみちゃんから電話をもらったのは5月だったか黒島に向かうフェリーに乗り込む前の鹿児島からだった。

「『黒島を忘れない』が映画化されるんです」

声は弾んでいた。

そんなすごいことになってるの。こちらもびっくりだ。

昨年の秋には、すっからかんで貯金なんてないのに夫の遺稿を出版にまでこぎつけ驚かされたばかりだ。

とりあえず話を聞かなくちゃ。

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黒島。ほとんどの人が知らない。

鹿児島からフェリーで5時間あまり、噴火で避難勧告が出ている口永良部島の北西50㌔くらいの小さな島だ。

(写真は三島村村営の定期船「フェリーみしま」週3便運航。映画の宣伝担当㈱ピー・ツーにお世話になりました)

ましてやラジオも含めて通信の途絶えたこの島で戦争中にあったことなどまったく知られていない。

私も聞いたことすらなかった。

フジテレビで2004年8月15日に放送された「ザ・ノンフィクション〜終戦記念スペシャル 黒島を忘れない 59年目の友よ」を見るまでは。

「広司くんが演出した作品が放送されるの」ちえみちゃんから電話をもらったのだった。

「広司くん」はちえみちゃんの夫で映画監督の小林広司さん。

映画「林檎のうさぎ」などを手がけ、河瀬直美監督の「萌えの朱雀」ではプロデュースも行っている。

放送されたその日から広司さんは、黒島の記録を執筆し始めた。

撮影日誌やメモ、資料をもとに広司さんが知った事実をありのままに文章化する作業だった。

1時間の番組ではすべてを伝えきれていない。さらに解消されない疑問が頭にこびりついて離れなかった。

書くことで、それらを解明したいとはじめたのだ。


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だが病魔が広司さんを蝕んでいた。

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「何かに取り憑かれたように原稿を書き続けるものの、体調は悪化するばかり。もがきながら黒島に固執し続ける彼」(「黒島を忘れない」あとがき)

入院中も病室にノートを持ち込み執筆を続けたが、闘病が始まって2年6カ月。

2008年11月25日、自宅で51歳の生涯を閉じた。

3冊の大学ノートと未完成の原稿を残して。

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「フジテレビがまた『黒島』を放送してくれるの。今度は私も少しだけ出てるの」。

09年8月の再放送に続いて「黒島を忘れない2014」が昨年夏、フジテレビで放送されたのだ。

ちょっとどころではなく、ちえみちゃんの目を通した黒島も描かれていた。

同じ素材でキー局が3度もオンエアするなんて異例中の異例だ。

その後、ようやく未完の遺構が動き始めた。


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タイトルにいつわりありです、あはは。

まだ出版までも行き着いてません。ましてや映画のことなんて。

敗戦の年の昭和20年、小さな黒島で島民たちと特攻隊員たちにあったことについては全く触れてません。

時系列にそわないと分からないのでご免なさい。

稿を改めます。


2015年6月23日 (火)

二階堂ふみと口もきかなかったんだって・・映画「この国の空」荒井晴彦監督の講演

わざわざ講演会に出かけたわけではありません。

21日は出身高校の同窓会と引き続いての同期会。われわれの期が幹事なのでにぎやかしにかけつけたんです。

記念講演も同期の荒井晴彦監督がギャラなしにぶーたらいいながらも引き受けたので監督作に込めた思いを拝聴してきました。

講演前に立ち話をしたら「評論家には評判いいんだ。珍しく佐藤忠男さんも誉めてくれた」とまんざらでもない顔つきでした。

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原作が1983年に出版されると荒井監督はすぐに高井有一さんに会って映画化権をもらったんだって。

すぐに脚本化、それから30年余、日の目を見なかったが戦後70年の節目にようやく実現した。

しかも18年ぶりに監督まで務めることになった。

「戦争が終わって、良かった、と思わない女の子がいたことが新鮮だった。戦争が終わってバンザイ、じゃない映画をつくってみたかった」

そうなんです。19歳の里子(二階堂)は8月15日、ある決意を胸にします。

ラストのとっても印象的なシーンで、私もいいぞ、いいぞと主人公に声援を送りました。

ここでは書かない方がいいでしょう。新鮮な感覚で映画を見てください。

戦後生まれが教わった戦後民主主義は本当の民主主義だったのか。天皇制民主主義だったんじゃないかとの思いが根底に流れてます。


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1945年夏の西荻窪あたりが舞台です。

吉祥寺にあった映画館、井の頭会館で上映中の映画「勝利の日まで」(監督成瀬巳喜男)が塀に貼ってあります。

私も何度か行きましたね。荒井監督も行ってたので使ったようです。

今の東急デパートの向かいにあった。

これといったことは起こりません。

横浜で焼け出された叔母(富田靖子)が転げ込んできて妹の工藤夕貴と食糧を巡って一悶着を起こすくらい。

もう近所には壮年の男はいないし、子どもたちは疎開。

いるのは老人と女ばかり。

激しさを増す空襲に疎開する老夫婦を見送り、娘に来てほしくないと言われ疎開をあきらめる老人のグチもきかされる。

隣家には丙種合格で徴兵を免れた銀行員(長谷川博己)が一人で住んでいる。

妻子は疎開してるのだ。

里子は自分の家の防空壕が水びたしになったことで銀行員と話をする。

親戚の娘が結婚すると知り里子は動揺する。

「このまま女の幸せも知らないで空襲で死んでいくのだろうか」と。

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二階堂は、監督はわき毛にばかりこだわっていたと言ってるみたいです。

変態扱いです。

多分ラブシーンで手を挙げてのけぞらせたかったんです。

当時は処理なんてしてませんものね。監督のこだわりです。

そこへ行くと工藤夕貴はえらい。買い出し先の川で体を拭くときにわきを見せますもんね。

撮影前からちゃんと準備してたんです。

シミーズ姿の時も二階堂は防御万全。ニップレスを貼って臨んだ。

下着を汗で張りつかせたかった監督は霧吹きでシュッシュとやりたかったんでしょう。

そんなこんなで口もきかなかったとか。

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粗末な総菜だけど食事シーンが多い。

「材料は貧弱なんんだけどスタッフがおいしくつくっちゃう。なので役者はうまそうに食べるんで困った」

戦時下のホームドラマって、あるようでなかったな。反戦色を強く打ち出すのでもない。

淡々と東京の昭和20年夏を積み重ねていきます。

「昭和20年のホームドラマですから」って言ってましたね。

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二階堂が庭でつくったトマトを長谷川に持って行く。

窓越しに渡したトマトが転がる。

荒井監督は「緋牡丹博徒 お竜参上」の名シーンをやりたかったんでしょう。

雪の浅草・今戸橋。藤純子が菅原文太にミカンを手渡す。

ころころと雪に跡をつけて黄色いミカンが転がる。

残念ながらトマトはどんと落ちて転がらない。何度もテストしたけどあきらめたんでしょうなあ。

8月8日からテアトル新宿、丸の内TOEI、シネ・リーブル池袋などで公開。


2015年2月10日 (火)

名誉を得るために安住アナがとった作戦とは@和歌山双子パンダの名前募集

和歌山アドベンチャーワールドで誕生した双子パンダの名前を的中させたTBS安住紳一郎アナ。

その的確な分析は前回に書きました

当てるだけでは満足出来ないんです。名付け親の名誉がほしい。

そのためにとった作戦は?

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勝つためには手段は選ばない人です。

社内ボウリング大会で優勝するために現役のプロボウラーを出場させちゃう人ですからね。

もっともすぐにバレましたけど。(「安住紳一郎アナ『不正』でTBSが社内処分」を参照)。

たとえば遊園地などで100万人目の入場者が表彰されたりします。

なぜだか家族連れや女性が多いと安住アナ。

そこで自分の名前でなく女性スタッフ名で応募することにしたんです。

それで名付け親に選ばれたら、自分で出席する算段。

ところが選ばれたのは兵庫県の主婦。

安住アナ悔しくて徹夜で原因を調べたそうです。

そこでセレモニーに出席した人のブログを発見。

なんと名前発表のあとにこうアナウンスがあった。

「お集まりの方の中でいらっしゃいましたら手を挙げてください」

挙手したのは主婦ひとり。

「現地に行ってなかったのがまずかったか・・」

安住さん反省しきり。

これからは「自信のある場合は出席する。行かなかったので、後世まで語り継がれる名誉を失ってしまった」

執念というか一途というか、見上げたこだわりです。

人気アナなんですが、いつまでもテレビなれしてない感じで好感がもてる。

インフルエンザの注射はどこでしてると思います?

なんとライバル日本テレビの診療所。

麹町の旧庁舎にあるそうで、日テレ関係の人は「あれっ」てな顔をするそう。

わざわざ麹町へ行くわけは「元気がいいので効きそう」

面白い人です。


2015年2月 9日 (月)

お見事安住アナ・双子パンダの名前的中@TBSラジオ「日曜天国」で鼻高々・その1

さすが「在京報道陣で一番」のパンダ通を自任する安住紳一郎アナ。

双子パンダの名前を見事的中させました。

和歌山アドベンチャーワールドで昨年12月に生まれた双子のパンダ。募集していた名前が先日決定。

パンダとなると目のない安住さんも当然応募。しかも当てずっぽうではなくて傾向をちゃんと分析。


上野のパンダは「安住紳一郎アナがパンダの名前を予想@TBSラジオ」「上野の赤ちゃんパンダ・早速安住紳一郎アナが名前を予想@TBSラジオ『日曜天国』」のタイトルで取り上げました。

参照してね。


↓写真は神代植物公園の梅。未開紅という種類。

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安住アナの命名法はこうだ。

第一に和歌山のパンダには「浜(ひん)」がつけられている。たとえば「隆浜」「幸浜」「愛浜」・・・。

白浜にあるからね。

双子はともにメス。

「メス、メスは初めて。女の子らしくて、しかもペア感のあるもの」が選ばれるに違いないと安住アナ。

そこで明治安田生命調査の「女の子の名前トップ100」から人気のある漢字をピックアップ。

さらにペアにふさわしいのを当てはめていく。

出来たのが「琴・鈴」「心・志」「空・茜」「桜・桃」・・。

もう一つ要素がある。立春過ぎのの2月6日発表。

「それ以外考えられないですね」と迷わず「桜浜・桃浜」で応募。


                  ↓梅の種類は「森の関」

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梅を忘れてませんか。

当然の疑問ですね。私も調べてみました。

「永明」のお嫁さんとして来日したのが「梅梅」。

次々に赤ちゃんパンダを産んだえらいお母さん。

7頭も産んでるんですね。上野みたいに大騒ぎにならないけど。

梅は永久欠番みたいなものでしょう。

名前募集には1万通もの応募。

安住アナは自信満々で発表を待った。

名前は見事に「桜浜 おうひん」「桃浜 とうひん」に決定。

だが安住アナは名付け親の栄誉によくすることはなかった。

当選して命名セレモニーに出席したのは兵庫県の主婦だった。番組でも悔しがること、悔しがること。

栄えある命名者になるために安住アナ、秘策をろうしていたのだ。

なんといっても社内ボウリング大会で現役の中村美月プロを潜り込ませたことのある人ですからね。

このてん末は「安住紳一郎アナ『不正』でTBSが社内処分」をご覧ください。

パンダではどんな手を使ったのか。

長くなったので続きます。待っててね。


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