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カテゴリー「旅行・地域」の記事

2018年2月17日 (土)

長い瀞に感心して和銅黒谷駅に大はしゃぎ@長瀞アルプス〜宝登山その6

遠足で来なかったので長瀞は初めてです。

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荒川なんですが流れているんだかわからない。

手を浸してみても感じられない。

ホントに瀞なんだと子供みたいに感心。

瀞は、水深が深く川の流れが緩やかで波の立たないところ。

瀞峡とか瀞八丁もあります。

岩がむき出しになった景観も面白いんですが、岩石とか地質はわからないのでパス。


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長瀞駅から電車に乗って帰ります。

お花畑で西武秩父線に乗り換えです。

車内の路線図を眺めてたら和銅黒谷駅がある。

ピンときました。

和同開珎の和銅です。

ホームに何かモニュメントがあるはず。

やっぱりあったぞ。和同開珎のモニュメント。

残念ながら通り過ぎたところの車両でした。

仕方なく駅名を入れた証拠写真を。

この地の黒谷遺跡から銅が発見され朝廷に献上したのが708年。

これにちなんで年号も和銅となり、日本最初の流通貨幣とされる和同開珎が作られたんです。

もっと古い富本銭というのがあるが流通したかどうかは不明。

和銅黒谷駅は和銅献上から1300年を記念して2008年に黒谷駅から改称。

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武甲山が縞模様になってました。

御花畑駅から西武秩父駅までは歩いて乗り換えです。

途中で見えた武甲山。

石灰石を切り取った段々に雪が残ってたんです。

この写真では十分には伝わらないですね。

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何年ぶりかで訪れた西武秩父駅は一変してました。

赤い提灯が下がって土産売り場も広い。

フードコートには人がいっぱい。

駅前温泉 祭の湯という商業施設になっていて去年、リニューアル・オープンしたばかり。

週末は温泉に宿泊もできる。いいかも。

ここまでくれば一安心。

西武新宿線のひばりヶ丘までは1時間半もかからない。

商業施設には入らずに駅前の居酒屋でまずはビール。

くるみそばもおいしかったそうです。

2018年2月16日 (金)

神も仏も仲良く・宝登山神社と玉泉寺@長瀞アルプス〜宝登山その5

宝登山神社の奥宮にお参りして下山します。

ロープウェイもあるんですが歩きます。

雪道には籾殻を撒いてくれてるので助かります。

もう一つ困ったことが。

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トイレです。

スタートしてから4時間以上も経過してます。

宝登山小動物公園でお願いすると快く「いいですよ」

ありがたいです。感謝。

適当なお菓子類がなかったので小物を求めて、せめてものお礼。

なかなかか貸してくれるもんじゃないですよ。

秩父鉄道はサービス精神が行き届いてます。

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1時間ほどで宝登山神社。

途中1回、すってんころりんしましたがズボンが濡れただけです。

拝殿の彫刻が見事です。

9年前の改修に伴って彩色されてあざやかです。

裏に回っても細かいところまで彩色されてて感心しました。


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そもそもこの地に神日本磐余彦(神武天皇)などを祀ったヤマトタケルの社もあります。

日本武尊社。

東征の折り道に迷ったヤマトタケルを導いたのが山犬(オオカミですな)。

キャンプした地が三峯神社。

宝登山ではオオカミが山火事から守った。

武蔵御嶽神社では道に迷った時に白狗が道案内をしたとする。

いずれもオオカミ信仰の神社です。


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ヤマトタケルが山頂に向かう前に禊をした泉があります。

玉の泉といいます。

見逃したので引き返して探したら神殿の塀の中でした。

弘法大師が訪れた時には山が金色に輝き、麓からは瑠璃色の泉が湧き出した。

この玉の泉のことでしょうか。

のちにこの地に玉泉寺が開かれた。

神仏分離で宝登山大権現は玉泉寺と分離したが、同じところにお寺は残ってます。

なんと住職が還俗して神官になったのです。

そして本堂を社務所や宿坊として使ってたんだって。

欲張りですから、まだ行きますよ。

実は長瀞に行ったことがないんです。

1キロくらいなので向かいます。


2018年2月15日 (木)

秩父市街を見下ろす3000本のロウバイ@長瀞アルプス〜宝登山その4

山頂下には3000本のロウバイ。

まだ3〜4部咲きでしたが、これだけ多いと見事なもんです。

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眺望も抜群。

上の写真の左手にはノコギリ型の山容の両神山。

さらに左には甲武信岳(2460㍍)。

甲州、武州、信州にまたがってるこの山が埼玉県の最高峰だとばかり思ってました。

違うんですね。

三宝山というのがあって2483㍍。わずかに高い。

仲間に教えてもらいました。

両峰も見えてたはずなんですが確かめられませんでした。

はるかな山々を背景にしたロウバイ園を散策、ふわっと漂う香りに包まれて格別でした。

例年より2週間遅れだそうです。

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少し下ると宝登山神社の奥宮。

参拝者が列を作っていて絶えることがない。

山の上にあるのに、えらい人気です。

狛犬が山イヌ型です。

オオカミ信仰です。

田畑を荒らす害獣から守ってくれるため神犬として崇めてきた。

農村の人々は講を作ってお参りしてきた。

奥多摩の御嶽山や近くの三峯神社も同じです。

講の分布は埼玉北部から東京、茨城、神奈川、千葉など関東全域に及んでいる。


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お札です。

オオカミのデザインは神社によって異なってます。


2018年2月14日 (水)

雪の急坂だけどアイゼンなんて持ってないよ@長瀞アルプス〜宝登山その3

頂上まであと少し。最後の急坂です。

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上りの苦手な仲間はもう上に行ってます。

けっこう滑りそうだぞ。

しばし状況判断をしてたら、先に行ってたグループがザックを下ろしてます。


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5分前にナラ坂峠で休んだばかりじゃないの。

何してんだろう。

あたしゃ馬鹿ですねえ。

みなさん、アイゼンを取り出して装着してるんです。

用意がいいなあ。(当たり前か)

私はアイゼンは持ってませんし、当然着けたこともありません。

ズルズル滑る落ちたらケガしそうだな。

リーダーが「おまじない(荒縄を靴につけて滑り止めにする)なしで登るか」


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アイゼンをつけたグループも慎重に進んでます。

アイズバーンになってるところを避けて雪の積もったところに足を置きます。

ゆっくりゆっくりなので装備万全グループには先に行ってもらいました。

その踏み跡を歩くと歩きやすいのに気づきました。

氷に穴があいてるので靴裏に引っかかって滑らない。

そんなこんなでなんとか頂上。


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ひやあ人がいっぱい。

山頂の標識前の撮影は順番待ちです。

低山ですが景色はいい。

秩父市街の向こうに姿のいい山がそびえています。

お訊きしたら「武甲山」

何度か西武線車内からみた武甲山は山肌がむき出しだった。

石灰石の採掘で垂直に削られてる。

そのイメージが強烈なので、あんな神奈備型とは思いもしませんでした。

北から見ると以前の山容が保たれてるんです。

そういやあ秩父神社の神奈備山でしたね。


2018年2月13日 (火)

高尾山より低いけど、ひたすら雪道@長瀞アルプス〜宝登山その2

全員そろったので、さーて出発です。

野上駅から10分足らずで登山口。

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長瀞アルプス登山口と標識が出てます。

このハイキングで長瀞アルプスの名は初めて知りました。

地図を見てたら近くに皆野アルプスもありました。

2年前には鎌倉アルプスを歩きました。

みんなアルプスが好きなんですねえ。

他にも日立、房州、宇都宮、沼津、須磨、天草、そして湘南、三浦、和気などのアルプスがある。

誰がつけたんですかねえ。

アルプスと胸を張るにはちょっと恥ずかしい気もするけど。

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ですが前方の坂には雪が残ってます。

日陰なんで凍ってます。

躊躇してたら右手の家のおじさんが「大丈夫。ここだけだから」

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全然、大丈夫じゃなかったです。

登山口からは北側斜面になるので積雪が融けてません。

それでも平坦なコースですので慎重に歩を進めれば滑る心配もない。


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なんせ雪道なんて初めてです。

人気のコースなんですね。

宝登山の標高は497.1㍍。高尾山よりも低い。

雪がなければお手軽なコースです。

土曜日とあって次から次へとハイカーのグループがやってくる。

そのつど「お先にどうぞ」

10組くらいには道を譲ったかな。

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あれが宝登山でしょう。

信仰対象にふさわしい神奈備型の山容です。

神奈備神奈備山は円錐形の端正な形をした山で、神が宿るとされている。

神社が成立する以前から山そのものが敬われていた。

おおむね比高400㍍以下で日本各地に分布してます。

なんとかアイズバーンも滑らずにナラ沢峠までたどりつきました。

日当たりがいいので雪も消えてます。

小休止。

他のグループも水を飲んだりして休んでます。


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ここまで2時間弱。

お腹もすいたけど、もうひと頑張りです。


2018年2月12日 (月)

おイヌさまに会いに宝登山神社奥宮もうで@長瀞アルプス〜宝登山その1

オオカミ信仰の神社を訪ねるハイキングです。

秩父や東京の三多摩、川崎などにはオオカミを害獣から守ってくれる神として崇める信仰が残ってます。

小倉美惠子さんの「オオカミの護符」はずっと前に紹介しました。こちら

映画と講演の会にも出席しました。こちら

もちろん御嶽山にも。

宝登山はぜひ行きたいと思ってたところへのお誘いです。

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降り立ったのは秩父鉄道の野上駅。

中央線、山手線、埼京線、上野東京ラインで熊谷乗り換えで秩父線。

時間のかかること。家を出たのが朝5時なので3時間半近くもかかってる。

小失敗もしたしね。

赤羽で前橋行きに乗れというのに高崎行きに乗ってしまった。

誰もいない。

日にちを間違えたかな。

よくよく確かめたら1本後の電車だった。

そのまま乗って熊谷で合流。

八高線組は寄居で合流だったんですが、なんと下車しないで乗り越したんだとか。

おしゃべりに夢中で4つ先まで行ってしまった。

幾つになっても女性のおしゃべりは尽きないんですね。

そんなわけで野上駅でぶらぶらしてたら宮沢賢治の歌碑が。

「盆地にも 今日は別れの 本野上  駅にひかれる  たうきびの穂よ」

盛岡高等農林学校は毎年、地質調査に秩父を訪れていた。

2年の賢治も1916年(大正5)に教授に引率されて秩父、長瀞をめぐり野上駅から帰途についた。

当時は本野上という駅名でした。

長瀞ではこんな歌をよんでます。

「つくづくと  『粋なもやうの博多帯』    荒川ぎしの片岩のいろ」

私らも長瀞は最後に訪れましたよ。

粋な模様でした。

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八高線組を待ってるとラッピング電車が入ってきました。

「秩父三社トレイン」と名付けられてます。

三社とは秩父神社、三峯神社、宝登山神社。

この三社にまつわる絵が描かれてます。

ちょうどヤマトタケルとオオカミの絵が目の前に。

これこそ、これから詣でる宝登山神社の由緒です。

山火事に襲われたヤマトタケルをオオカミが現れて火を消し止めました。

それで火止山(ほとさん)と呼ぶようになったという。

いやが上にも盛り上がります。

次の電車で八高線組も無事合流。

さーて出発しますか。

こんなところにもアルプスがあるんです。

長瀞アルプス。

雪道が心配だなあ。


2018年2月 2日 (金)

今年も打ちたての新そば・しぼりたての亀口酒もクイッ@昭島市

打ちたての新そばで新年会です。ぜいたくでしょ。

場所はいつもの昭島市。

ことしは参加希望者が多いので昭島市の公民館をお借りしました。

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自宅で作ったそばを調理室でゆでてくれてます。

3人は信州佐久まで通ってそば栽培を手伝ってます。

お手伝いのごほうびで新そばを分けてもらう。

その貴重なものを、こうしてみんなに振舞ってくれるんです。

この日も暗いうちから起きて自宅で打って準備してくれました。


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インフルエンザと雪かきの腰痛で2人欠席して総勢26人。

メンバーは同じ高校の同期生。

新そばの魅力は大きいです。

用意してくれたのは1人あたり100㌘。十分な量です。

これだけ打つのは大変だったでしょう。

それをあっという間に平らげてしまいます。

やっぱり打ちたてはうまい。

味も香りも。

年に1度の幸せです。

メザキ君は「そばの親善大使」を名乗っていて、馴染みのスナックなどに出向いては、その場のお客さんにそばを味わってもらってます。

「うまい」と言ってもらえるだけで満足なんだそうです。

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メザキ君がそばと一緒にリュックで担いできてくれたのは澤乃井の「亀口」。

亀口というのは、酒槽( さかふね)で絞られた新酒の出口。

亀口酒は、亀口から出てきたばかりのしぼりたてのお酒。

火入れをしていないフレッシュな酒で、酒蔵でしか手に入れられません。

しかも1人2本までで、メザキ君はいつも一番乗りして持ってきてくれます。

芳醇です。

深みのある旨さ。

甘口です。

最初は甘すぎるかと感じたんですが、慣れてくると豊かな味わい。

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多摩自慢の「一番地」と飲み比べるとよーくわかります。

一番地もおいしいんですが、すっきり飲める分だけ物足りなく思える。

再び亀口にもどると口いっぱいに酒のうまさが広がりました。


2018年1月21日 (日)

湯川秀樹、朝永振一郎両氏の研究室も・加賀藩下屋敷@地下鉄の地上を歩く会・都営三田線の4回目その5

宇喜多秀家が登場したかと思えば今度は湯川秀樹、朝永振一郎の2人のノーベル賞受賞者です。

頭がこんがらがりそう。

人に歴史ありじゃないけど土地にも色んな歴史が込められてます。

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面白くもなんともない公園の写真です。

ですが加賀藩前田家の下屋敷跡の一部を利用した加賀公園といえば、価値が生じる。

上屋敷は言わずと知れた本郷です。

中屋敷は駒込。

そして21万8000坪の下屋敷。

徳川御三家もしのぐ最大の広さです。

金沢の兼六園の約7倍だそうです。

いずれも中山道沿いに位置しています。

下屋敷は藩主や家族の別荘として使われ、与力を筆頭に50人ほどが詰めていた。

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現在の地図に重ね合わせると、これだけの広さ。

いたばしライフcomより借用)

JR板橋駅の北側から十条駅の近くまで。

中を石神井川が流れています。

参勤交代の時には藩主がここで休息を取り、装束も変えたという。

幕末以後はきな臭くなっている。

加賀藩もゲベール銃の訓練や大砲を製造。

明治になると 板橋火薬製造所、のちに東京第二陸軍造兵廠に。

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こちらは公園の西。

火薬製造所の射撃場の跡のようです。

古ぼけた建物は爆薬製造実験室、土管のようなものは弾道管。

弾丸のスピードを計測するためのものみたいです。

上の写真の築山をめがけて弾丸を発射した。

火薬の性能を確かめたんでしょう。

野口研究所が所有しているが、一部を区が買い上げて2年後には史跡公園にして産業・歴史遺産として保存する計画だ。

野口研究所は野口遵(したがう)が設立したもの。

そんな人知らないが幹事さんがメールしてくれたレジュメによると「電気化学工業の父」などと呼ばれた人です。

日本窒素肥料(現チッソ)を中核とする日窒コンツェルンを一代で築いた。

チッソですか・・。

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タイトルにあるノーベル賞が出てきませんねえ。

理化学研究所の板橋分所が下屋敷跡地内の石神井川対岸にある。

ここで湯川、朝永両氏が宇宙線の観測を行なっていたんです。

なので物理学発祥の地とも呼ばれているとか。

板橋区では史跡公園内に両氏の研究室も再現する予定。

beerbeer

あちこち歩いて逢う魔が時になりました。

良い子はお家に帰る時間です。

鬼にさらわれないように板橋駅近くの居酒屋に入ってビールでお疲れさん。

2018年1月20日 (土)

なぜここに西軍の敗将・宇喜多秀家の墓が?・東光寺@地下鉄の地上を歩く会・都営三田線の4回目その4

旧中山道の商店街から東の方に入っていきます。

するとやたらと加賀藩前田家ゆかりの史跡などが目立つようになってきます。

加賀なんて町名もあるよ。

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まずは東光寺。

別のところにあったが加賀前田家下屋敷の移転に伴って旧中山道近くの現在地に移った。

宇喜多秀家のお墓があるというので寄ったんです。

山門入ってすぐの大きな大きな塔に「秀家卿」と彫ってありました。

備前岡山の秀家の墓がどうして板橋にあるんでしょう。

関ヶ原合戦後の長い物語があります。

秀家といえば豊臣五大老のひとり。

秀は元服の際に豊臣秀吉から与えられたもの。

なので関ヶ原では西軍の主力だったが、敗れて薩摩に逃れた。

やがて発覚、死一等を減ぜられて八丈島に流された(主従13人)。

八丈島の流人第一号です。

苗字も浮田と変えた。

流人生活は50年にも及んだが、正室豪の実家の前田家から2年に1回、白米70俵、金子50両などが送られ続けた。

秀家は83歳で没。墓は八丈島に建てられた。

明治になって宇喜多家の罪が許され、子孫の85人が八丈島を離れて金沢藩に身を寄せた。

そして旧加賀藩下屋敷農地2万坪の提供を受けて帰農。

ここ板橋にも秀家の墓を建てたのです。

浮田一族の多くは東京の生活になじめず八丈島に戻ったということです。


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みんなが熱心に説明に聞き入ってます。

ここは加賀西公園。

圧磨機圧輪記念碑についてです。

左側にある巨大な輪っかが実物です。

黒色火薬の製造に使うものです。

石神井川に設けられた水車の動力で圧磨機を動かしてました。

よく分からんけど、これで火薬の原料をすりつぶしていたのかなあ。

ということで、もともとは石神井川が流れている前田家下屋敷跡にあったものです。

黒色火薬はたびたび爆発事故を起こしたために製造中止。

記念碑は戦後、通産省計量研究所敷地内にあったが、研究所の移転に伴って現在地に移された。

計量研究所に勤めていた仲間が参加していました。

「ここだよここ。ここに通ってたんだ」

物差しや計りの標準を作って、あらゆる計量器を検定するところです。

タクシーメーター、騒音計、大気汚染の濃度系などまで。

もっと難しくはメートルやキログラムを定義してます。

彼が事前にメールしてくれた資料によると「メートルの定義は、 1960年にクリプトン原子の出す光の波長が基準と

なり、さらに1983年には、光速度の値を固定し、原子時計による時間・周波数標準からメートルが導かれることにな

りました」

昔はパリを通る子午線の1000万分の1の長さ、とか習ったけどね。

アメリカやイギリスはずっとヤード、ポンドを使ってます。

こんな失敗が生じたそうです。

「米国自身も、SI(国際単位系)を採用しないことで大きなトラブルを起こしています。

マイルと海里(nautical mile)を混同して人工衛星のランデブーに失敗したり(ネットで見つからないので、正確な時期はわかりません)、

1999年にはSIとヤード・ポンド法の混同により、火星探査機の火星周回軌道投入に失敗したりしています」

なんて興味深い。

全く知りませんでした。

黒色火薬から意外な方向に話が発展しました。

2018年1月19日 (金)

板の橋が架かってたので板橋@地下鉄の地上を歩く会・都営三田線の4回目その3

日曜寺の愛染明王を拝んでから旧中山道に戻ります。

石神井川を渡って横の道を行くと長細い釣堀で家族づれなどが釣り糸を垂れていた。


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静かに通り過ぎます。

石神井川の旧河道を釣堀にしてるんです。

「氷川つり堀公園」といって板橋区営なので無料です。

汚れるといけないので練り餌は禁止だが、和金、クチボソ、タナゴなどが釣れる。

置いてあるバケツをのぞいたけど、あまり釣れてはいないようでした。

中山道沿いには氷川神社。

スマホの画面とにらめっこしてる人が20人近くいました。

ポケモン目当てでしょう。


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旧中山道に出て石神井川に架かっているのが板橋。

板の橋だったので板橋宿の地名の由来となったとされてます。

鎌倉時代の軍記に、源頼朝が、「武蔵国豊島ノ上滝野川ノ板橋」に布陣と書かれている。

これらから鎌倉時代には板橋宿の地名があったとみられている。

当時は丸太を並べて土を盛った土橋が多かったので板の橋が珍しかったようです。

こうして江戸時代には宿場の宿場の名となり、明治時代には町名。

昭和7年(1932)に東京市が拡大した際に誕生した区にも板橋の名称がつけられた。

石神井川にはずっと両岸に桜が植えられています。

板橋区内でも中板橋付近から加賀付近にかけては1000本の桜が咲き誇り、板橋十景に選ばれてます。

花見のころに再訪するのもいいかな。

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振り向くと商店街入り口に仲宿とある。

橋の向こうが上宿、江戸寄りのここからが仲宿(中宿とも)、平尾宿。

この3宿を総称して板橋宿。

東海道なら品川、中山道なら板橋まで仲間が同行して旅の無事を願い、帰途も出迎えた。

当然、酒が入るわけで両宿では遊女屋が盛んだった。

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