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カテゴリー「旅行・地域」の記事

2019年2月10日 (日)

大そうな門と塀の奥に伏姫籠穴@南房総市の富山(とみさん)その4

なんじゃこりゃ。

みんなびっくりしてます。

伏姫が籠った岩穴なんて、ちょっとした洞穴でノボリが立ってるか標識があるくらいだと思ってました。

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こんなことになってるの? 着いてその構えにただただ驚かされました。

瓦屋根の立派な門と塀が続いていて、まるでお屋敷があるみたい。

メンバーの何人かは30年くらい前にも訪れたことがあるそうです。

その時とはまるで違うので口あんぐり。

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隊長がなんで富山行きにしたのか、ようやく判明しました。

昨年だかに紅葉狩りに養老渓谷に行った時に宝林寺にも寄った。

里見家5代里見義堯の長女種姫が建立したお寺で、お墓もある。

「里見八犬伝」は里見氏の攻防を軸に描かれ、さまざまの実在のモデルも登場する。

里見義堯も出てくるし、伏姫のモデルになったのが種姫だという。

そのことから「八犬伝」に俄然興味を持ち始めたんだそうです。

何でもかんでもおもしろがっちゃうのは若さの秘訣でしょう。


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中腹まで階段を登ります。

小さな洞穴があります。

大きな玉が見えます。

中に入って見るとけっこう広くて15畳くらいはありそう。

奥に「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」と書かれた丸い石が置いてありました。

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敵将の首をとったら娘の伏姫を与えようと里見家の当主が愛犬の八房にたわむれに戯れに伝える。

ところが八房は敵将の首をくわえて戻り里見家は勝利する。

姫は八房とともに富山にこもり、やがて八房の霊気を受けて8つの「種」を宿します。

「伏」の字は人として犬に従う、です。

姫は身の潔白を証明するために切腹、その時に8個の水晶の玉が四方に飛び散る。

こうしてそれぞれに玉を持った八犬士が登場する。

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伏姫が籠ったのがこの洞穴ということになってます。

2014年は「八犬伝」の刊行開始200年だった。

それらにちなんで「里見氏大河ドラマ化実行委員会」も2010年に立ち上げられた。

そんな運動の中で伏姫籠穴が整備されたのでは。


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富山北峰には展望台があって晴れてればながめは抜群。

眼下に伊豆の島々、その向こうに富士山。

うーん、曇ってて残念。

山頂から急な階段続きで伏姫籠穴までは40〜50分。


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途中タチツボスミレが咲いてました。

春はすぐそこ。


2019年2月 9日 (土)

首が折られた十一面観音が・・@南房総の富山(とみさん)その3

ガイドブックに南峰は見晴らしがないと書かれていましたが一応ピークを踏んでみます。

あっ、十一面観音の首だけが台座に載せられてます。

しかも道の脇に。

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落ち着いて周囲を見ると胴体が転がってます。

どうしたことでしょう。

ここにくる前にも新たに首を付け替えた仏像を見ました。

廃仏毀釈ではねられたんでしょうか。

1955年に火事で焼失した時には観音堂にあったんでしょうか。

ご本尊様ですよ。

何もわかりません。

ただ無惨に転がされてる事実だけがあります。

隣町の鋸山の千五百羅漢像は廃仏毀釈ですべて首をはねられたと言います。

南房総の排仏は激しかったようです。


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北峰の途中に東屋があったのでティータイム。

見晴らしがいい。

岩井海岸が真っ青に見えるはずでした。天気が良ければ。

ですが曇ったまま。

岩井は小中学校の臨海学校で海水浴に来たことがあります。


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ここが里見八犬士終焉の地らしいです。

フィクションの世界が現実化してる。

アニメの聖地巡りみたいなもんですか。

小説の「南総里見八犬伝」は読んだことがありません。

東映が映画化したのを夏休みの野外映画会で見ただけです。

東千代之介が犬塚信乃、中村錦之助が犬飼現八。

5部作だったが全部は上映してくれずに1、2部だけ。

続きが見たいなあと、しばらく願ってたが、いつの間にか忘れた。

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小説では、高齢になった八犬士は二世達に家督を譲り伏姫がこもった富山に隠棲した。

このへんは序章のようです。

やがて三世の八犬士が里見家のために仕える。

映画化されてるのは3世の活躍なんでしょう。


2019年2月 8日 (金)

荒れ果てた行基創建の観音堂@南房総市の富山(とみさん)その2

登山道入り口の福満寺でコダチアロエが赤い花をつけてました。

白浜など南伊豆ではアロエの名所がいくつかありますが、南房総も温暖なので花をつけるんですね。

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ハイカー用に竹の杖が置いてありました。

別ルートで降りるんですが、そちらに返却しても良いということなので、お借りしました。

頂上までずっと上りが続いたので大助かり。

中腹にはスイセンの群生も。

もとは栽培用の畑だったんでしょう。

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もう出荷はしてない様子です。

出回るのは温室ものばかりなのかな。

少し上がっただけですが、、まだ十分に鑑賞に耐えます。


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こんな山道です。

スイセン畑があったりするので、山の中という感じは受けない。

ちょっと高い里山かな。

とはいえ300㍍余りを登ります。

お昼も回ったので頂上前でランチタイム。

お湯を沸かして味噌汁を振る舞っていただきました。

私は道の駅で求めた「伏姫さんが穴子焼き弁当」。

あの「南総里見八犬伝」の伏姫です。

富山は「八犬伝」ゆかりの山なんです。

ちっとも知りませんでした。


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342㍍の南峰に着きました。

荒れ果てた観音堂が建ってます。

聖武天皇の勅願により行基が731年に建てた由緒あるお堂。

1955年(昭和30)に失火により全焼、その後再建されたものの、こんな状態です。

麓の福満寺山門に仁王像があったけど、ここから移されたようです。

そういえば地図の南峰にかっこして「観音峰」とあった。

お堂の中には小さな仏像が置かれてたようです。

仲間が「首がない」と言ってたのでそうなんでしょう。

本尊は十一面観音だそうですが、収められてはいないようです。

福満寺に安置されているのかな。

ですが、周囲を歩いたら無残な姿で転がってました。

2019年2月 7日 (木)

スイセンと菜の花を見ながら低山のぼり@南房総市の富山(とみさん)その1

昨年暮れの高尾山。

「あっ、富山が見える! 双耳峰なので間違いないわ」

富山(とみさん)、そんな名前の山は初めて聞きました。

双耳峰もピンときませんでしたが、峰が二つと言ってたのでなんとなく理解。

ボルテージがやけに上がってます。

なんでだろうと思ったら「次の山行は富山」

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ということで富山を目指します。(2月5日)

新宿発8時50分のバスに揺られて1時間半ほどでハイウェイオアシス富楽里(ふらり)。

途中の福聚院で岩井駅に着いた電車組と合流。

富山が望めます。

真ん中が南峰。標高342㍍。

その左手が北峰。349㍍。

599㍍の高尾山よりもずっと低い。

ですが岩井海岸の近くですから高低差は300㍍以上。

そこそこ登りますよ。

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道の脇にトウダイグサ。

やっぱり南房総は暖かいんだねえ。

武蔵野だと4月ごろの花です。


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菜の花も歓迎してくれてます。

この日は午前9時ごろから晴れの予報ですが雲が分厚い。

バスの中では窓に水滴がついたこともありました。

予報は外れかな。


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一足早い春気分にひたってると午前11時ごろ福満寺到着。

ここが登山口の入口になります。

トイレもあるのでここで身支度を整えます。

なんとか晴れてくれないかなあ。


2019年1月27日 (日)

「三越前」駅地下コンコースの絵巻「熈代勝覧」はオススメ@地下鉄の地上を歩く会・半蔵門線の4回目その5

くすりミュージアムからぐるっと回って中央通り。

与謝野蕪村が内弟子として住んでいた俳諧師 早野巴人の庵「夜半亭」あと、石町時の鐘あとなどを訪ねました。

さらに長崎のオランダ商館長が江戸参府時に定宿にした薬種屋「長崎屋」あとも。

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中央通りに理髪店が店を構えてます。

「近代理髪業の父」と言われる人に師事した先代の大野孝次郎氏が開いたお店。

なんか格調高そうです。

日本橋のビジネスマンや老舗の旦那衆などが通ってるのかな。

スペシャルコースで30分4000円+税。

お急ぎの方でもワンランク上のカットをしてくれるそう。

若いころは長髪で美容院なんかにも行ってたけど今じゃ1000円床屋。

整えるほどの量もありません。


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「通りには江戸時代にはひな人形のお店がずらりと並んだのよ」

いまの日本橋とかけ離れているのでピンときません。

地下コンコースに下りていきます。

200年前の江戸一番のにぎわいを描いた絵巻「熈代勝覧」(きだいしょうらん)の複製が設置されてます。

日本橋から今川橋までの大通りの様子を描写したものです。

原画はベルリン国立アジア美術館に所蔵されてますが、許可を得て複製した。

絵画部分は原画の1.4倍に拡大、長さは約17㍍。

文化2年(1805)の作品です。

説明の通りに赤い毛氈にひな人形が並べられてます。

「十軒店の雛市」といって春になると仮店が並び市が立った。


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脇道の両側と奥までずっと店を構えているのは越後屋呉服店。

相当な大店なのがよくわかります。

通りには菓子の立ち売り、屋台の茶屋なども立ち、身分も職もさまざまな1671人が描きこまれてます。

さらに犬20匹、馬13頭、牛4頭、猿1匹、鷹2羽も。

問屋や店は88軒。

一つずつ見ていくと時間の経つのも忘れてしまう。

日本橋の北詰になると人でごった返してる。

魚河岸がすぐ近くなので魚屋、八百屋、酒問屋など日常に欠かせない店で町民が買い物してるんです。

描いたのは山東京伝とも言われてますが定かではない。

この日はここまで。

宴会係が居酒屋を予約してくれてます。

そんなものないだろうと思ったらちょいハズレの日本橋川沿いにありました。

beerお疲れさまでした。


2019年1月26日 (土)

日本橋はクスリの街・薬祖神社@地下鉄の地上を歩く会・半蔵門線の4回目その4

福徳神社はテレビのCMでご存知ですね。

女優の蒼井優が神様に出会う・・。

日本橋再開発の象徴として盛んに流れてました。

「地下鉄歩き」の番外編で訪れたのは4年前。まだお社は仮宮でした。こちら

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2年前に再建され、鎮守の森も育ってきて神社らしくなってます。

この福徳の森は約1000㎡の広さ。

憩えるように広場も作られ茶屋も設けられています。

家康の入府前、このあたりは武蔵国豊島郡福徳村。

のどかな田園でした。

村のお稲荷さんとして祀られていたが、いつしかビルの屋上などに遷されていたのを再建したんです。

こういう再開発があってもいいですね。

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となりに薬祖神社があります。

こちらもビルの屋上からお引っ越ししてきました。

名前の通りにクスリの神様です。

薬品組合のビルにあったのが遷座してきました。

医薬祖神として知られる上野の五條天神社の祭神を祀った神社です。

祭神は大己貴命と少彦名命。

ヤマトの国づくりをした大国主と少彦名。

玉垣には日本の主な薬品会社の名が彫られてます。

そう日本橋は薬品会社の町でもあるんです。

徳川幕府が街づくりを始めたころ眼病が蔓延、北条に仕えていた益田友嘉が眼病に効く「益田五霊膏」を販売。

これが大当たりして益田は日本橋薬種商の元祖と伝えられています。

家康は商工業者は業種別に集まって住むように触れを出し、薬種問屋は日本橋本町3丁目に住むようになった。

さらに日本橋の薬種問屋は偽薬の検査も任されるようになり、江戸の薬品市場を独占するようになっていったのです。

この薬種問屋の中から現在の薬品メーカーが生まれてきたのです。


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昭和通りに向かって歩いていくと薬品メーカーのビルがあちこちにあります。

ここは第一三共の本社ビル。

1、2階がくすりミュージアムになってます。

入場無料でゲーム感覚で大人も子供もクスリのことが学べます。

「くすりともっと仲良くなれる」をコンセプトに、くすりの働きや歴史、製薬のプロセスなどについて、

コンピューターグラフィック(CG)やゲームなどを通じて体験や体感しながらくすりについて楽しく学べます。

(ホームページより)

大の大人がゲームに夢中になって集合時間を忘れるほどでした。


2019年1月25日 (金)

「描かず」に「雪を描いた」国宝「雪松図 屏風」@地下鉄の地上を歩く会・半蔵門線の4回目その3

さて三井記念美術館。

三井家の美術品などを所蔵していた三井文庫別館(東京都中野区)が三井本館に移転して2005年に開館。

美術品約4000点を所蔵してます。

となりの三井タワーから入ります。

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入り口からしてなんか気圧される雰囲気。

階段上にエレベーターがあって7階まで上がります。

本館は三井関係の企業が使っているのと重要文化財なので改築に制限があるのでとなりからになるんです。

三井家といっても当然、分家しているわけで旧蔵してた家は複数にわたる。

室町三井家、北三井家、新町三井家、南三井家。

展示されているのは北三井家が多かったから本家なのかな。

やっぱりそうでした。

長男の子孫が北家で、6家ある本家の中でも特に惣領家とされてます。

「三井十一家」なんて言葉を聞いたことがあります。

同族が一体となって家を守ってきた。


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1月いっぱいは「国宝 雪松図と動物アート」を展示中。

「雪松図」の写真はありませんので検索でもしてください。

すごいのは松の葉にふんわりと雪がかかる様子を金と墨だけで描き出していること。

幹や枝を覆った雪は描いてないんです。

どういうことかというと墨を塗り残して紙の白地を見せただけで雪を表現してる。

解説されなければ気づきません。

画面下には細かくして粉状になった金箔が散らしてある。

積もった雪に光が反射する様子を表している。

これがまばゆく輝く雪になっています。

三井家の求めに応じて円山応挙が描いたといわれてます。

北三井家の旧蔵です。

他に長沢芦雪「白象黒牛図屏風」が特別出品。

国宝「志野茶碗 銘卯花墻(めい うのはな がき)」も展示されてます。

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お昼も回ったので、ここでグループに分かれてランチタイム。

地下通路で向かいのコレド室町へ。

混んでたので席の空いてたカレー屋へ。

1200円とお高い。日本橋だからね。

後でメンバーに聞いたら三井タワーにある千疋屋総本店にもカレーがあるんだって。

千疋屋とカレーなんて思いつきもしません。

さすが女性はよく知ってる。

マンゴーカレーライスとスパイシーココナッツカレーライスがありました。

ランチだと730円と850円。お手頃です。


2019年1月24日 (木)

日本橋三越でパイプオルガンを聴く@地下鉄の地上を歩く会・半蔵門線の4回目その2

東京に住んでいながら日本橋はよく知らないんですよ。

距離的にも遠いし、老舗での買い物なんてとんと縁がない。

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お江戸日本橋をわたるのだって何回目かなあ。

日本道路元標のことも、この歩く会で以前に来た時に知ったくらい。

橋の真ん中に埋め込まれてるので、橋の北西詰にレプリカが置かれてます。

昔は各市町村に道路元標が置かれていたんだそうです。

役場の前とか主要道路の交差するところ。

全国で1万5000以上あったといいます。

今でも各地に残っているようです。


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戦前に「今日は帝劇、明日は三越」なんて言われたのは知識として知ってます。

それだけですね。

三越で買い物したいなんて欲求は抱いたことがない。

日本橋本店に入るのは多分、2、3回目。

前も雰囲気を味わっただけですが場違いなのでさっと出て来てた。

ちょうどパイプオルガンの演奏が始まるので1階の中央ホールへ。

佐藤玄々作の天女像の後ろで演奏が始まりました。

「慕情」なんかも奏でてくれたのでハミングしながら聴き入りました。

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重要文化財の三井本館です。三越も重要文化財です。

7階の三井記念美術館に入ります。

といっても入り口はとなりの三井タワーから。

1929(昭和4)年に竣工した本館の総事業費は2131万円。

現在の1000億円くらいだそうです。

さすがにこんな立派なのはなかなかお目にかかれない。

クラシカルで、抑制されたデザイン。

外装はすべて花崗岩、インテリアには大理石をふんだんに使用している。

やっぱり日本橋は違います。


2019年1月23日 (水)

渋沢翁も嘆いているか・常盤橋公園@地下鉄の地上を歩く会・半蔵門線の4回目その1

新年最初の地下鉄の地上を歩く会です(20日)。

大手町だとわかりづらいので東京駅丸の内北口集合。

今回はそんなに進まないで日本橋の老舗めぐりっぽい。

リーダーはどこを案内してくれるのかな。

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まずは常磐橋。

江戸時代の常盤橋門の跡にあるが、東日本大震災で損傷し、工事中。

橋はなぜか常磐です。皿は割れるので石にしたという説もあります。

日曜で工事も休みなので、出入り口から中をうかがうことも出来ない。

幹事さんが平日に下見した時は、少し見えたというんですがね。

常盤橋公園に立つ銅像は渋沢栄一。

日本資本主義の父と呼ばれる人です。

さまざまな企業の設立に関わり、なんと500以上とか。

東京瓦斯、東京海上火災保険、王子製紙(現王子製紙・日本製紙)、

田園都市線(現東京急行電鉄)、秩父セメント(現太平洋セメント)、帝国ホテル、

秩父鉄道、京阪電気鉄道、東京証券取引所、キリンビール、サッポロビール、

東洋紡績、大日本製糖、明治製糖、澁澤倉庫など。

すごいなあ。

しかし渋沢は財閥を作らなかった。

「私利を追わず公益を図る」との考えを貫き通したんです。

翁の思想は「道徳経済合一」。

企業の目的が利潤の追求にあるとしても、その根底には道徳が必要で、国及び人類全体の繁栄に対して責任を持たなければならない。

利潤追求のあまりに格差を生み出し、果ては不完全な製品を世に出している経営者には渋沢翁の爪の垢でも飲んでもらいたいものです。

翁が見ているのは日本最古の銀行、第一国立銀行があったあたりです。

国立といっても民間の銀行で、翁が最初の頭取をつとめた。

日本銀行が設立されるまではOO国立銀行は153行もあった。

今でも数字のついた銀行がありますが、その名残です。

ちなみに第一国立銀行は、第一銀行、第一勧業銀行となり、現在はみずほ銀行。


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交差点を渡れば日本銀行で向かいが貨幣博物館。

古代から現在までの貨幣、軍票、紙幣などが約4000点展示されてます。

我々の時代は日本最初の貨幣は「和同開珎」と教わりました。

読み方も「かいほう」。

今では「かいちん」が主流のようですね。

しかも「富本銭」ももっと古く流通していたとされてるようです。

いろんな小判もあって、景気が悪くなると金の含有率を下げる改鋳が行われる。

慶長小判と含有率の低い後期のを比べると、輝きが薄いような気もする。

そんなこんなで楽しめます。

入場無料です。

2018年12月15日 (土)

将門塚と奥多摩の将門伝説@地下鉄の地上を歩く会・半蔵門線の3回目その5

気象庁「いちょうの標本木」で、この日のスケジュールは終了だったんですが、まだ早いので大手町の将門塚。

この地にあった神田明神は江戸城増築で移転しましたが、将門塚は留まってます。

将門の祟りを恐れてです。

関東大震災後に大蔵省仮庁舎を建てようとしましたが関係者が次々に亡くなったという話は有名です。

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10年ほど前だったか、青梅線の鳩ノ巣あたりを歩いてたら「将門」という西東京バスのバス停がありました。

あの将門?

バス停の下の集落は「将門原」(まさかっぱら)といい、将門の館や馬場があったという。

なおもうろついていると将門神社の標識がありました。

こんなところにどうして?

急な山道を登ったところに確かに神社がありました。

将門の討死後20年、嫡男の良門が肖像を彫って祀ったのが始まりとか。

平親王社と呼ばれていたが、明治になって逆賊の名の神社は好ましくないと熊野神社に合祀。

昭和50年(1975)に地元の人たちが社地を整備、再建した。

ほかにも奥多摩には将門にちなんだ伝説が各地に残されている。

有名なのは青梅市の金剛寺。

将門が馬のムチにしていた梅の枝を地面に突き刺して願いを込めた。

梅は根付いて枝葉が茂った。

ただ実は秋まで青いまま。この伝説から青梅の地名になった。

中世にあたりを治めていた三田氏は将門の末裔を称してます。

新皇を称しながら倒れた将門を英雄視する見方が山深い里にひそかにささやかれていたのか。

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永代通りを東京駅に向かって進んでいると雑木林があらわれます。

大手町の森で3600㎡(敷地全体)に約200本の木や草が茂っています。

2014年に竣工したときに話題になりました。

千葉県の君津市に同じような環境を作って3年かけて適切な管理方法を探った。

それで自然にできた雑木林が再現されています。


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横にはエスカレータがあります。

不思議な景色です。

はじめ100種だった草本は1年半後にはなんと300種に増えていた。

土壌に含まれていた種子が発芽したんです。

カタクリ、キツネノカミソリ、ニリンソウの花なども見られるそうです。

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暗くなってきました。

暖かいお店に入りましょ。


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