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カテゴリー「旅行・地域」の記事

2017年10月21日 (土)

塩水で生き抜くマングローブの知恵・熱帯環境植物館@地下鉄の地上を歩く会・都営三田線の2回目その2

ミニ水族館を楽しんで、いよいよ熱帯の植物。

ボランティさんがガイドしてくれます。

「あの人かな」と思ったらやっぱりそうでした。

都立薬用植物園でもボランティアをされてて3年前の4月には「高尾山すみれツアー」でお世話になった方でした。こちら。

この「地下鉄歩き」の仲間が薬用植物園のボランティアガイドをしてるので、特別に頼んでくれたんです。

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まずはマングローブ。

マングローブという名の植物があるのではなく、海水に浸かるところの森林植生全体をさす。

いろんな種類の植物で構成されているということです。

その一つのオヒルギ。

ボランティアさんが「胎生種子で海水に適応してる」と説明してくれました。

なんだそりゃ。

普通の種子だと海洋を漂って発芽力がなくなるし、海中に落ちてしまうと酸素がないので成長できない。

そこでオヒルギは考えた。

海水に落ちる前に発芽して成長してしまおう。

それで木の上で成長して長さは20㎝以上にもなるそうです。

それで胎生、タネを胎生種子と呼びます。

すべてのマングローブではなくてオヒルギやコヒルギの仲間など17〜18種類だけだそうです。

陸上でもイヌマキなどでこの現象が見られるそうです。

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同じマングローブのニッパヤシの葉はしょっぱいそうです。

葉に塩分をためて落葉することで除去してる。

あるいは葉から塩分を排泄する。

なのでニッパヤシの葉を燃やして灰から塩が採れるそうです。

おいしい塩だそうです。

樹液や果実からは糖が採れる。

塩と糖の両方がいただけるなんて貴重な植物ですね。


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ベンガルヤハズカズラ。

淡い青紫の花がきれいです。

この植物館は東南アジアの熱帯雨林を再現している。

マングローブの次は熱帯低地林、集落景観、雲霧林と4つの植生が見られる。

螺旋状のスロープを上がっていくと高山植物の冷室までたどれる寸法。

ただの温室ではないんです。

なので水族館はマングローブより深い海の生物という位置付けです。


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ネコノヒゲソウ。

名前の通りです。


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インドシクンシ。

記憶の隅っこにあると思ったら神代植物公園の温室で見てました。

寄生虫の駆除に薬効がある。

なので「使君子」。

四方に遣わされた天子の使者。

もっとゆっくり見ていたかったのですが時間が足りずに駆け足になってしまったのが残念。

2017年10月20日 (金)

見飽きないよカラー・クラゲの群舞・熱帯環境植物館@地下鉄の地上を歩く会・都営三田線の2回目その1

まだ高島平周辺を歩いてます。

とはいっても三田線はまだ2回目。

訪ねる所が結構多いんです。

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高島平駅に集合してまずは徳丸が原公園。

このへんは高島平になる前には徳丸が原と呼ばれていた。

高島平になった経緯については第1回の時に書いてます。こちら

高島秋帆の事跡を示した碑があります。

扁額の篆書は徳富蘇峰。

雨も降ってるのでざっと見て、板橋区立の熱帯環境植物館。

近くのゴミ処理場の熱を利用してます。


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地下に降りたらなんと水族館。

ブルーのクラゲが泳いでます。ブラウンも混じってる。

どやどやっと降りたんですが、最初の人たちは「きれい」「かわいい」とかいってなかなか動きません。

色のついたクラゲを見るなんて初めてです。

近ごろ水族館でクラゲが人気だと言われてます。

ゆらゆら揺れて漂っているんですが、動くたびにいろんな集団を形成するので見飽きない。

人気の理由がわかりました。

カラー・ジェリー・フォッシュといってビゼンクラゲ科。

初めはブルー・ジェリー・フィッシュといわれてたんですが、他の色も発見されたのでカラーになった。

ブルーの他にワインレッド、パールホワイトなどがあるそうです。

色がついてるのは体内に取り込んでいる褐虫藻のせいです。

褐虫藻の光合成のエネルギーを利用してるんだとか。

サンゴも褐虫藻を取り込んで共生してます。

それできれいなんだ。

その色も褐虫藻が作ってるんです。

サンゴが白くなる白化は褐虫藻が逃げ出したために起こる現象だとか。

いやあ、ためになります。

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キイロハギ。

水族館に入るなんて多分、小学校の遠足以来。

行ったには行ったけど場所は覚えてない。

見とれてしまいました。

水族館が設けられているのは、海底から高山帯へと続く一連の熱帯環境を立体的に見るため。

すてきな試みです。

なので土日と夏休みは小・中学生は無料。


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アマノガワテンジクダイ、天の川天竺鯛。

ヒレの白い点が天の川なんでしょうか。

3本の黒い帯が特徴的です。

メスはオスの口の中に産卵。

1週間ほどで孵化するが、その間オスは餌を摂らない。

イクメンです。

2017年9月10日 (日)

どうしてオト=妹がモテるのか・弟橘姫を祀った吾嬬神社@地下鉄の地上を歩く会の番外編

花王の工場見学のあとは、せっかくだから近くをぶらぶらします。

すぐ近くに吾嬬神社があります。

かつては江戸を代表する神社の森で歌川広重が江戸名所百景に描いています。

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しかし明治43年(1910)の大水や関東大震災、東京大空襲などで失われてしまいました。

ひときわ高くそびえてシンボルだった連理の樟も枯れたが、二代目が繁ってます。

祭神は弟橘姫。

エミシを平らげて足柄峠に立ったヤマトタケルが姫をしのんで「あづまはや」と長嘆息したことから吾妻神社。

相模から上総にわたる途中で暴風にあったのを姫が入水して嵐を鎮めた。

姫の衣類が浮洲だったこの地に流れ着いたのだという。


弟橘は橘樹(たちばな)郡、今の横浜市東部の姫という意味でしょう。

弟ですから姉がいたはずです。

やっぱり后にするのは妹なんですね。

大山津見神の「姉石長比売」は選ばれず「妹木花佐久夜毘売」がニニギノミコトに選ばれた。

顔よき女だった。

龍宮のオトヒメも妹ですねえ。

「オトつまり妹が美女だとするのは説話上の一つの約束で」

(西郷信綱「古事記注釈 第六巻」)

どうしてこんな約束ができたんだろう。

柳田國男「妹の力」に答えがあるのかな。

(柳田の著書の妹は近しい女性一般のことのようです)

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木々が茂るに任せっぱなし。

この荒れ寺みたいな雰囲気は捨てがたい。

普門院、すぐ西は亀戸天神です。

ここに伊藤左千夫の墓があるので入ってみます。

リーダーが下見で歩いてチェックしてくれてたんです。

7年前にも訪れていて再訪したいなあと思ってたんです。こちら

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伊藤左千夫はこの近くの錦糸町駅の側で牛乳屋を営んでました。

小売じゃなくて牛を飼う方。

お墓も、こんもりした森に囲まれなんてことじゃなく木々が伸び放題。

お寺の方針なんでしょうか。

傘をさしながら撮ったのでブレブレ。

恥ずかしいので小さく掲載。


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亀戸香取神社。

平将門を討った藤原秀郷が弓矢を奉納、勝矢と命名した。

勝ちを願ってアスリートが参拝に訪れるそうです。

甲子園で優勝した花咲徳栄の親御さんたちもお参りして必勝を願った。

参道の商店で求めたのが「勝運水」

飲みながら声援を送ったそうです。

江戸野菜の復活ブームですが亀戸といえば大根。

大きな人参くらいで小さい。

江戸後期に香取神社周辺で栽培され始めた。

「亀戸大根は一般的なダイコンに比べ、茎が白く葉が大きく柔らかいのが特徴です。


クサビ状にとがった根は30センチ程度でわずか200グラムたらず。

日本一小さいダイコンです。

水分は少なめでキメ細かく、ダイコンというよりカブに近い食感なので、あさり鍋にもとても相性が良いのです」。

(割烹「升本」のホームページより)

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夕闇も迫ったし、この日はここまで。

2017年9月 9日 (土)

石鹸作りを広めたのは、なんとあの榎本武揚・花王すみだ事業場の工場見学@地下鉄の地上を歩く会の番外編

墨田区にある花王のすみだ事業場の工場見学に行ってきました。

みんなは午前中に防衛省に行ったんですが私は午後からの花王に参加。

防衛省ではダラダラ歩いて線からはみ出ると注意されたりしたそうです。

2列で歩くように言われたそうですが、無理ですよねえ。

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花王の工場はJRの亀戸駅から徒歩15分ほど。

北十間川沿いで西の方にはスカイツリーが煙ってます。

工場ではロボット化されたファンデーションのパック詰作業を見学。

花王ミュージアムではお肌や髪のチェックを体験。

髪の太さを測ったら、なんと0・085ミリ。

20代の太さです。

男性の髪は20代をピークに急速に細くなっていきます。

60歳を超えると0・06ミリくらいが平均。

特別に何もしてないのにどうしてなんだろう。

お肌は器具を当てて拡大してみるんですが、手の甲は規則正しい模様で正常。

顔は荒れてました。

日焼けしっぱなしですから。

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(調布市野草園のナツエビネ。きれいに咲いてました。近くにいたおばちゃんにも教えてあげました。「きれい、かわいい」を連発して喜んでくれました)

清浄文化史ゾーンがためになった。

日本で石鹸が普及するのは明治の後半。

初めて石鹸の製造・販売を行ったのは横浜の堤磯右衛門。

1873年(明治6年)洗濯石鹸の製造に成功、日本最初の石鹸工場が横浜に誕生した。

しかし不況などもあって工場を閉鎖。

その後、1890年(明治23)になって現在の花王の創設者長瀬富郎が花王石鹸を発売。

桐箱に3個入って35銭。

米1升が6〜9銭、かけそば1杯1銭だから、高価な品だった。

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石鹸作りを研究したのが五稜郭の戦いで敗れ投獄中の榎本武揚。

他に焼酎、ろうそく、孵卵器などの製造法に没頭、著作を出版した。

これによって石鹸製造に乗り出す人が続出したようです。

親戚の福原有信もこれによって石鹸製造を手がけたと書いたあるのもあるけど、資生堂が石鹸を作るのはずっと後のようなので、どうなのかなあ。

福原は資生堂の創業者です。

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石鹸が日本に伝わったのは戦国時代ですが、大変な贅沢品でした。

明治に入っても庶民が体を洗うのは米ぬか。

江戸時代には水を満たした桶に灰を入れ、底から出てくる灰汁(あく)で手を洗ったり洗濯に使った。

自然のものではムクロジの果実、サイカチのサヤ、大根や芋の煮汁で体を洗ったり洗濯に使用した。

変わったところでは尿。

ローマ時代には尿を発酵させて得られるアルカリ性のアンモニアを洗濯に用いた。

韓国では白物の洗濯には尿が一番いいとされていたそうです。

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帰りにはお土産までいただきました。

アタックneo抗菌EXWと洗顔用のビオレ。お礼。

花王の後は亀戸周辺をぶらぶらします。


2017年7月10日 (月)

「ひいらぐ」の意味は?・ヒイラギの古木・松月院@地下鉄の地上を歩く会・都営三田線の1回目その5

東京大仏を後にしたら、すぐに赤塚植物園。

武蔵野台地の東端で自然が豊かなんで、いろんな施設が作られてる。

板橋区のイメージを改めました。

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植物園では案内役を仰せつかりました。

丘陵地を利用して作られていて、約1ヘクタールと広くはないが自然に親しめます。

ネムノキ、ウマノスズクサ、シロネ、ソバナ、トモエソウ、ミヤマカラマツ、ノカンゾウ、ボタンクサギ=写真=などが咲いてました。

なかなかいい植物園ですが、いかんせん三鷹からは遠い。


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台地を下りて古刹の松月院。

高島秋帆が洋式調練の時に本陣を置いたところです。

このシリーズの3回目に書きました。

境内には樹齢100年というヒイラギがあります。

根回りが3メートルを超す太さ。

ヒイラギはよく目にするけど、こんなのは珍しい。

説明を読んでいた人が「ひいらぐ」って、どういうこと?

「ヒイラギは厚い常緑の葉の鋸歯(ぎざぎざ)が鋭く、さわるとひいらぐことから、

この由来が出ている」

板橋区教育委員会が掲示したものです。

今では「ひいらぐ」なんて使いませんね。

語感からいうと、柔らかそうですが逆です。

「ひひらき【疼き】四段 ひりひり痛む」(岩波古語辞典)

名詞化してひひらぎ→ひいらぎ。

ひひらぐ木なので漢字も「冬」は共通して柊。


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途中に赤塚諏訪神社。

富士塚がありますが、夏草に覆われています。

富士講の1つ「丸吉講」の人たちが幕末あたりに築造したようです。

和光市の白子熊野神社の鳥居に下赤塚の人々の名前があるそうです。

白子熊野神社は、この地下鉄地上歩きの有楽町線で訪れています。

たいそう立派な富士塚でした。こちら

和光市と、ここらは川越街道ですぐの隣町です。

この日の予定はほぼ終了。

高島平駅までもう少し。

冷たい生ビールでのどを潤しました。


2017年7月 9日 (日)

誰かに似ている・・いたばしびと@地下鉄の地上を歩く会・都営三田線の1回目その4

板橋区立郷土資料館のロビーに、マスクが飾ってあります。

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タイトルは「いたばしびと」

隣のうさぎも込みで「いたばしびと」なんでしょうか。

さ〜て、誰に似てるんでしょうか。

作者は彫刻家の籔内佐斗司さん。

切れ長の目に特徴がありますね。

せんとくんでした。生みの親は籔内さんです。

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近くの梅林でお昼です。

一帯が公園ですので、飲食店が少ない。

なのでピクニック気分で買い込んできたおにぎりやらで、お腹を満たします。

公園内には板橋区立美術館もあって「イタリア・ボローニャ国際絵本原画展」を開催中。

湧き水が滝になって落ちてる崖もあります。

枯れたことがないという不動の滝。

東京都の名湧水57選にも入ってますが、ちょろちょろというよりポタポタでした。

今年は雨が少ないからなあ。


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乗蓮寺の東京大仏。高さ13メートル。

奈良、鎌倉に次ぐ第3位だとか。

3位はたくさんあるみたいですが。

別の場所にあったが、国道の拡幅に伴って昭和46年に現在地に移転。

大仏は昭和52年に建立。

割りと新しいんですね。

2017年7月 7日 (金)

まんじゅうやうどんも供えた昔ながらの七夕飾り@地下鉄の地上を歩く会・都営三田線の1回目その4

板橋区立郷土資料館の中庭には江戸末期の農家が移築されてます。

母屋の前に短冊を下げた笹が置かれてます。

ああ、七夕かあ。

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待てよ。今の七夕飾りとは様子が異なってる。

伝統的な民俗行事かな。

スイカや盆に乗ったキュウリがある。

わらで作った動物のようなものが対になって吊り下がってる。

丁寧な説明がありました。

動物はマコモ(真菰)やチガヤ(茅萱)などで作った馬。

七夕馬と呼ばれてるそうです。

誰かが「マコモって何?」 声を出しました。

♫ 眞菰の葦は 風にゆれ 落葉くるくる 水に舞う

裕次郎の歌にあるでしょ。「夕陽の丘」だったかな。

「夕陽の丘の ふもと行く バスの車掌の 襟ぼくろ」で始まります。

女子ですから裕次郎映画もあまり見てないでしょう。

説明になってませんね。

半信半疑な顔をしてました。

じゃあ説明しましょう。

イネ科の水生植物ですが、近頃はあまり見かけません。

稲作が伝わる以前は、ゴザなどにはマコモが使われていた。

お酒の樽の菰被りに言葉は残ってます。

しめ縄の材料もそうだし、真菰で編んだ草枕は宇佐八幡、神田明神などのご神体です。

出雲大社では毎年6月1日に「真菰祭り」が行われます。

昭和天皇の棺の下には真菰が敷き詰められたそうです。

そう、稲作以前からの聖なる草なんです。

稲から作った菰と区別するために真菰と呼ばれるようになりました。


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七夕馬に近づいてみましょう。

まんじゅうが供えてあります。

この近くでは8月6日(旧暦行事)に2頭の馬を作って庭先に飾った。

首の立っているのがオス、下がってるのがメス(多分、向かって右)

「朝まんじゅう、昼うどん、夜は残りのくしゃくしゃめん」

7日の七夕には朝はまんじゅう、昼はうどん、夜は残りの品を食べたそうです。

馬にはご先祖様が乗って帰ってくるんです。

迎え火の馬です。

七夕とお盆の行事が一緒になってるんです。

千葉の房総一帯、利根川流域で盛んに行われ、関東、東北でも各所で見られたという。

これは七日盆といって、盆の諸準備を始める日。

おそらく古くからの行事で、豊作祈願や祖霊信仰が根っこにある。

まず仏教と結びついて、盆の行事になり、さらに中国から乞功奠(きっこうでん)という星信仰が伝わり七夕になった。

なるほど。

板橋区内では昭和30年代まで見られたそうです。

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笹や馬は川に流したそうです。

七日盆には禊をして身を清めた。

そうか、わかったぞ。

馬が巨大になったのが青森ねぶたや弘前ねぷたなんだ!

「眠り流しと東北3大祭り」についてはこちらをご覧ください。

馬が巨大に、そして別の飾りに変化していく過程はわかりませんが、東北3大祭りも七夕とお盆が結びついたお祭り。

七夕馬とルーツは同じです。

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大きな漬物樽です。

大根4000本以上が入るそうです。


樽は最初は酒造用、ついでみそ、醤油と使われ、最後に漬物用。

竹のタガを取り替えれば100年は保ったという。

昔の人はモノを大事にしてました。


2017年7月 6日 (木)

江戸末期の砲術家高島秋帆の名をとって地名が高島平に@地下鉄の地上を歩く会・都営三田線の1回目その3

溜池の横に板橋区立郷土資料館があります。

入り口近くに大砲が据えられてます。

12ポンド施条加農砲(カノン砲)。全長約2メートル。

大砲といってもおもちゃみたいなものです。

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エントランスにもあるぞ。モルチール砲。

江戸末期に小石川鋳造所で製造された青銅製の大砲。

口径20センチ、あまり大きな弾丸じゃない。

射程距離も大したことなさそう。

板橋はなんでこんなに大砲にこだわってるの。

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長崎港にイギリスの軍艦フェートン号が侵入する事件が起きた(文化5年=1808)。

長崎町年寄の子、高島秋帆は、これをきっかけにオランダ流西洋砲術を修得。

ついに高島流の新砲術を編み出した。

時は流れ、アヘン戦争で清国が敗れたことを知った秋帆は、幕府に火砲の近代化を訴えます。

そして天保12年(1841)5月、徳丸原で日本最初の洋式調練が行われます。

展示してあったモルチール砲は、この調練で使われたのと同型、同寸だそうです。

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徳丸原が今の高島平なんです。

江戸時代は鷹狩場で、湿地帯だったが明治以降に耕作地化が進み「赤塚田んぼ」「徳丸田んぼ」と呼ばれるるようになった。

昭和の初期までは東京都で生産される米の7割を占めた米どころだった。

へえーですね。

ところが工場進出などで耕地に適さなくなり1972年に巨大な高島平団地の入居が始まった。

3年前の1969年の住居表示で高島平1丁目から9丁目が誕生した。

高島秋帆にちなんだのはいうまでまない。

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お寺の境内にも大砲をかたどった記念碑が建ってました。

「高島秋帆先生紀功碑」

午後に訪ねた松月院です。

日本最初の洋式調練の時に、ここに本陣を置いた縁です。

門弟100人と起居を共にして調練を公開。

「世に名声を得たが、間もなく讒言にあい永牢に繋がれた」

調練の翌年のことです。


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讒言の主は誰あろう、鳥居甲斐守耀蔵、人呼んで妖怪=耀甲斐。

徹底した洋学嫌いで、蛮社の獄で洋学者を徹底的に弾圧した。

小池一夫原作の「御用牙」は、かみそり半蔵と呼ばれた同心が主人公。

鳥居耀蔵に仲間を皆殺しにされた設定で、耀蔵との対決が描かれていた。

この劇画で鳥居耀蔵の名を知りました。

強烈な印象だった。

耀蔵は数々の悪事がバレて丸亀藩にお預けになったが維新後に解かれた。

明治6年まで生きて、駒込の吉祥寺に眠る。


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「御預け中、(略)鳥居甲斐守は摂生につとめたため心気少しも衰えず、維新後までゆうゆうと生きのびた。

幕府の御預け人はどの家でも迷惑がり、

一日も早く死ぬように、食事その他粗略に扱ったものだといわれるから、

それに耐えぬいたことは、その気力・体力のさかんなことを証明するものであろう。

しかも幕府の倒壊については、おのれの不明を恥じるどころか、

あれほど警告したのに取り上げなかったせいだと、むしろ先見を誇る傲然たる態度だったというから、


保守の筋金もここまでくるとみごとというほかはない。

羽倉外記が『狂人』と評しただけのことはあった」

(「日本の歴史 18 幕藩制の苦悶」北島正元、中公文庫)

2017年7月 5日 (水)

ここらは武蔵野台地の東北端・急に親近感が・・@地下鉄の地上を歩く会・都営三田線の1回目その2

赤塚氷川神社を出て、リーダーに従って進むと下り坂の向こうにこんもりとした丘が見える。

タモリじゃないけど起伏があると、が然意欲が湧いてきます。

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丘の上は赤塚城跡です。

中世の山城。

🎵 丘の上には空が青いよ  ぎんなんに鳥は歌うよ歌うよ(「丘の上」)

緑の中に入るとひんやり汗も引きます。

しかし蚊が多いとかで、蚊除けのスプレーをシュッシュしてもらいます。

持参するように言われてましたが、ズボラしたのでちゃんと持ってきた女子にかけてもらいました。

この崖は武蔵野台地の北の端っこ。

成増台地というようです。

いわゆるハケ(崖線)ですね。

写真の森と坂は荒川低地と武蔵野台地の境目。

南に行けば東武東上線の成増駅、西側には白子川が流れてます。

いつも国分寺崖線の端っこの野川公園や深大寺をうろちょろしてるから、武蔵野台地と聞くと親近感が湧いてきます。

この崖は高島平団地の南側へとずっと続いてます。

団地南の崖の景観は見事ですよ。板橋十景に選ばれてます。

一帯には公園が多く、住民の憩いの場になってます。

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10メートルも登ると視界がひらけて平らな草っ原。

赤塚城跡です。

深大寺城跡も、こんな崖の上にあります。

関東において戦国時代の先駆けともなった享徳の乱(1455〜1483)で下総国を追われた千葉自胤が築いた山城です。

鎌倉公方が関東管領の上杉憲忠を暗殺したのが発端。

室町後期の関東って、いろいろ入り乱れてややこしいことこの上ない。

この乱も関東公方に山内、扇谷の両上杉が絡んで、よくわからないのでパス。

武蔵千葉氏は後北条方だったために秀吉に敗れ、所領を失ったそうです。


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城跡の下は公園になっていて池では釣り糸を垂れてる人がいました。

鮒が釣れるそうです。

湧き水も流れ込んでいますが、元はお城の濠の跡だとか。

ハケはいいねえ。

森があって水が流れ池もある。

石器時代から人が暮らしていました。


2017年7月 4日 (火)

コンビニも閉まってる、な〜んにもない西高島平駅@地下鉄の地上を歩く会・都営三田線の1回目その1

高島平といえば団地です。

というか、それしか頭に浮かばない。

訪ねるところなんてあるんでしょうか。

それに集合は西高島平駅。

大体が三田線にしてからが巣鴨から先には乗ったことがない。

高島平の先に駅があることさえ知りませんでした。

何はともあれ巣鴨で乗り換えて西高島平。

地下鉄の地上を歩く会、三田線のスタートです。

3月に2回のペースですから終点の目黒まで歩くのは1年くらいかかるでしょう。

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終点だというのに降りる人もまばら。

案の定、何もありません。

駅にコンビニが1軒あるが、まだ閉まってました。

ここでお昼の弁当を買うつもりのメンバーは青ざめてました。

途中にコンビニがありましたけどね。

なんのために作った駅なんだろう。

高架のホームから北側を見ると、巨大なトラックターミナル。

中央卸売市場板橋市場もあるはずです。

物流の拠点に駅を作ったんですね。

見るべき価値のあるものがあるんでしょうか。

不安を抱えながらまずは赤塚氷川神社を目指します。

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新大宮バイパスを越えると団地じゃなくて普通の住宅街。

地図の上に三田線が走ってます。

散歩地図にはほかに赤塚城跡、東京大仏、赤塚植物園、区立美術館などが示されていて、見所は結構ありそうです。

古くから拓けたところみたいです。


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参道の横に「乳房大神」の大きな碑が目立ってます。

ここのケヤキが「怪談乳房榎」のモデルになった木なんだそうです。

榎じゃなくて欅ですけど。

のちに訪ねる松月院門前の榎のそばには「怪談乳房榎記念碑」がありましたけどね。

まあ、このへんを舞台に三遊亭圓朝が怪談を作ったということでしょう。

早稲田界隈には、怪談ゆかりのお寺がありました。副都心線を歩いた時にお参りしてます。こちら

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境内には富士塚があります。

丸吉講によって鳥居脇に築かれ、高さが約3.7メートル、径が約15メートル。

江戸の末期に築造されたとみられてます。

現在、講は消滅し、行事は行われていないとのこと。

木曽御嶽塚もあったようですが確認しなかったなあ。

御嶽信仰の行者、一山行者のもとに組織された赤塚一山講によって築造された塚です。

富士にも御嶽山にも登ったんですねえ。


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