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カテゴリー「旅行・地域」の記事

2017年7月10日 (月)

「ひいらぐ」の意味は?・ヒイラギの古木・松月院@地下鉄の地上を歩く会・都営三田線の1回目その5

東京大仏を後にしたら、すぐに赤塚植物園。

武蔵野台地の東端で自然が豊かなんで、いろんな施設が作られてる。

板橋区のイメージを改めました。

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植物園では案内役を仰せつかりました。

丘陵地を利用して作られていて、約1ヘクタールと広くはないが自然に親しめます。

ネムノキ、ウマノスズクサ、シロネ、ソバナ、トモエソウ、ミヤマカラマツ、ノカンゾウ、ボタンクサギ=写真=などが咲いてました。

なかなかいい植物園ですが、いかんせん三鷹からは遠い。


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台地を下りて古刹の松月院。

高島秋帆が洋式調練の時に本陣を置いたところです。

このシリーズの3回目に書きました。

境内には樹齢100年というヒイラギがあります。

根回りが3メートルを超す太さ。

ヒイラギはよく目にするけど、こんなのは珍しい。

説明を読んでいた人が「ひいらぐ」って、どういうこと?

「ヒイラギは厚い常緑の葉の鋸歯(ぎざぎざ)が鋭く、さわるとひいらぐことから、

この由来が出ている」

板橋区教育委員会が掲示したものです。

今では「ひいらぐ」なんて使いませんね。

語感からいうと、柔らかそうですが逆です。

「ひひらき【疼き】四段 ひりひり痛む」(岩波古語辞典)

名詞化してひひらぎ→ひいらぎ。

ひひらぐ木なので漢字も「冬」は共通して柊。


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途中に赤塚諏訪神社。

富士塚がありますが、夏草に覆われています。

富士講の1つ「丸吉講」の人たちが幕末あたりに築造したようです。

和光市の白子熊野神社の鳥居に下赤塚の人々の名前があるそうです。

白子熊野神社は、この地下鉄地上歩きの有楽町線で訪れています。

たいそう立派な富士塚でした。こちら

和光市と、ここらは川越街道ですぐの隣町です。

この日の予定はほぼ終了。

高島平駅までもう少し。

冷たい生ビールでのどを潤しました。


2017年7月 9日 (日)

誰かに似ている・・いたばしびと@地下鉄の地上を歩く会・都営三田線の1回目その4

板橋区立郷土資料館のロビーに、マスクが飾ってあります。

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タイトルは「いたばしびと」

隣のうさぎも込みで「いたばしびと」なんでしょうか。

さ〜て、誰に似てるんでしょうか。

作者は彫刻家の籔内佐斗司さん。

切れ長の目に特徴がありますね。

せんとくんでした。生みの親は籔内さんです。

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近くの梅林でお昼です。

一帯が公園ですので、飲食店が少ない。

なのでピクニック気分で買い込んできたおにぎりやらで、お腹を満たします。

公園内には板橋区立美術館もあって「イタリア・ボローニャ国際絵本原画展」を開催中。

湧き水が滝になって落ちてる崖もあります。

枯れたことがないという不動の滝。

東京都の名湧水57選にも入ってますが、ちょろちょろというよりポタポタでした。

今年は雨が少ないからなあ。


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乗蓮寺の東京大仏。高さ13メートル。

奈良、鎌倉に次ぐ第3位だとか。

3位はたくさんあるみたいですが。

別の場所にあったが、国道の拡幅に伴って昭和46年に現在地に移転。

大仏は昭和52年に建立。

割りと新しいんですね。

2017年7月 7日 (金)

まんじゅうやうどんも供えた昔ながらの七夕飾り@地下鉄の地上を歩く会・都営三田線の1回目その4

板橋区立郷土資料館の中庭には江戸末期の農家が移築されてます。

母屋の前に短冊を下げた笹が置かれてます。

ああ、七夕かあ。

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待てよ。今の七夕飾りとは様子が異なってる。

伝統的な民俗行事かな。

スイカや盆に乗ったキュウリがある。

わらで作った動物のようなものが対になって吊り下がってる。

丁寧な説明がありました。

動物はマコモ(真菰)やチガヤ(茅萱)などで作った馬。

七夕馬と呼ばれてるそうです。

誰かが「マコモって何?」 声を出しました。

♫ 眞菰の葦は 風にゆれ 落葉くるくる 水に舞う

裕次郎の歌にあるでしょ。「夕陽の丘」だったかな。

「夕陽の丘の ふもと行く バスの車掌の 襟ぼくろ」で始まります。

女子ですから裕次郎映画もあまり見てないでしょう。

説明になってませんね。

半信半疑な顔をしてました。

じゃあ説明しましょう。

イネ科の水生植物ですが、近頃はあまり見かけません。

稲作が伝わる以前は、ゴザなどにはマコモが使われていた。

お酒の樽の菰被りに言葉は残ってます。

しめ縄の材料もそうだし、真菰で編んだ草枕は宇佐八幡、神田明神などのご神体です。

出雲大社では毎年6月1日に「真菰祭り」が行われます。

昭和天皇の棺の下には真菰が敷き詰められたそうです。

そう、稲作以前からの聖なる草なんです。

稲から作った菰と区別するために真菰と呼ばれるようになりました。


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七夕馬に近づいてみましょう。

まんじゅうが供えてあります。

この近くでは8月6日(旧暦行事)に2頭の馬を作って庭先に飾った。

首の立っているのがオス、下がってるのがメス(多分、向かって右)

「朝まんじゅう、昼うどん、夜は残りのくしゃくしゃめん」

7日の七夕には朝はまんじゅう、昼はうどん、夜は残りの品を食べたそうです。

馬にはご先祖様が乗って帰ってくるんです。

迎え火の馬です。

七夕とお盆の行事が一緒になってるんです。

千葉の房総一帯、利根川流域で盛んに行われ、関東、東北でも各所で見られたという。

これは七日盆といって、盆の諸準備を始める日。

おそらく古くからの行事で、豊作祈願や祖霊信仰が根っこにある。

まず仏教と結びついて、盆の行事になり、さらに中国から乞功奠(きっこうでん)という星信仰が伝わり七夕になった。

なるほど。

板橋区内では昭和30年代まで見られたそうです。

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笹や馬は川に流したそうです。

七日盆には禊をして身を清めた。

そうか、わかったぞ。

馬が巨大になったのが青森ねぶたや弘前ねぷたなんだ!

「眠り流しと東北3大祭り」についてはこちらをご覧ください。

馬が巨大に、そして別の飾りに変化していく過程はわかりませんが、東北3大祭りも七夕とお盆が結びついたお祭り。

七夕馬とルーツは同じです。

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大きな漬物樽です。

大根4000本以上が入るそうです。


樽は最初は酒造用、ついでみそ、醤油と使われ、最後に漬物用。

竹のタガを取り替えれば100年は保ったという。

昔の人はモノを大事にしてました。


2017年7月 6日 (木)

江戸末期の砲術家高島秋帆の名をとって地名が高島平に@地下鉄の地上を歩く会・都営三田線の1回目その3

溜池の横に板橋区立郷土資料館があります。

入り口近くに大砲が据えられてます。

12ポンド施条加農砲(カノン砲)。全長約2メートル。

大砲といってもおもちゃみたいなものです。

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エントランスにもあるぞ。モルチール砲。

江戸末期に小石川鋳造所で製造された青銅製の大砲。

口径20センチ、あまり大きな弾丸じゃない。

射程距離も大したことなさそう。

板橋はなんでこんなに大砲にこだわってるの。

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長崎港にイギリスの軍艦フェートン号が侵入する事件が起きた(文化5年=1808)。

長崎町年寄の子、高島秋帆は、これをきっかけにオランダ流西洋砲術を修得。

ついに高島流の新砲術を編み出した。

時は流れ、アヘン戦争で清国が敗れたことを知った秋帆は、幕府に火砲の近代化を訴えます。

そして天保12年(1841)5月、徳丸原で日本最初の洋式調練が行われます。

展示してあったモルチール砲は、この調練で使われたのと同型、同寸だそうです。

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徳丸原が今の高島平なんです。

江戸時代は鷹狩場で、湿地帯だったが明治以降に耕作地化が進み「赤塚田んぼ」「徳丸田んぼ」と呼ばれるるようになった。

昭和の初期までは東京都で生産される米の7割を占めた米どころだった。

へえーですね。

ところが工場進出などで耕地に適さなくなり1972年に巨大な高島平団地の入居が始まった。

3年前の1969年の住居表示で高島平1丁目から9丁目が誕生した。

高島秋帆にちなんだのはいうまでまない。

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お寺の境内にも大砲をかたどった記念碑が建ってました。

「高島秋帆先生紀功碑」

午後に訪ねた松月院です。

日本最初の洋式調練の時に、ここに本陣を置いた縁です。

門弟100人と起居を共にして調練を公開。

「世に名声を得たが、間もなく讒言にあい永牢に繋がれた」

調練の翌年のことです。


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讒言の主は誰あろう、鳥居甲斐守耀蔵、人呼んで妖怪=耀甲斐。

徹底した洋学嫌いで、蛮社の獄で洋学者を徹底的に弾圧した。

小池一夫原作の「御用牙」は、かみそり半蔵と呼ばれた同心が主人公。

鳥居耀蔵に仲間を皆殺しにされた設定で、耀蔵との対決が描かれていた。

この劇画で鳥居耀蔵の名を知りました。

強烈な印象だった。

耀蔵は数々の悪事がバレて丸亀藩にお預けになったが維新後に解かれた。

明治6年まで生きて、駒込の吉祥寺に眠る。


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「御預け中、(略)鳥居甲斐守は摂生につとめたため心気少しも衰えず、維新後までゆうゆうと生きのびた。

幕府の御預け人はどの家でも迷惑がり、

一日も早く死ぬように、食事その他粗略に扱ったものだといわれるから、

それに耐えぬいたことは、その気力・体力のさかんなことを証明するものであろう。

しかも幕府の倒壊については、おのれの不明を恥じるどころか、

あれほど警告したのに取り上げなかったせいだと、むしろ先見を誇る傲然たる態度だったというから、


保守の筋金もここまでくるとみごとというほかはない。

羽倉外記が『狂人』と評しただけのことはあった」

(「日本の歴史 18 幕藩制の苦悶」北島正元、中公文庫)

2017年7月 5日 (水)

ここらは武蔵野台地の東北端・急に親近感が・・@地下鉄の地上を歩く会・都営三田線の1回目その2

赤塚氷川神社を出て、リーダーに従って進むと下り坂の向こうにこんもりとした丘が見える。

タモリじゃないけど起伏があると、が然意欲が湧いてきます。

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丘の上は赤塚城跡です。

中世の山城。

🎵 丘の上には空が青いよ  ぎんなんに鳥は歌うよ歌うよ(「丘の上」)

緑の中に入るとひんやり汗も引きます。

しかし蚊が多いとかで、蚊除けのスプレーをシュッシュしてもらいます。

持参するように言われてましたが、ズボラしたのでちゃんと持ってきた女子にかけてもらいました。

この崖は武蔵野台地の北の端っこ。

成増台地というようです。

いわゆるハケ(崖線)ですね。

写真の森と坂は荒川低地と武蔵野台地の境目。

南に行けば東武東上線の成増駅、西側には白子川が流れてます。

いつも国分寺崖線の端っこの野川公園や深大寺をうろちょろしてるから、武蔵野台地と聞くと親近感が湧いてきます。

この崖は高島平団地の南側へとずっと続いてます。

団地南の崖の景観は見事ですよ。板橋十景に選ばれてます。

一帯には公園が多く、住民の憩いの場になってます。

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10メートルも登ると視界がひらけて平らな草っ原。

赤塚城跡です。

深大寺城跡も、こんな崖の上にあります。

関東において戦国時代の先駆けともなった享徳の乱(1455〜1483)で下総国を追われた千葉自胤が築いた山城です。

鎌倉公方が関東管領の上杉憲忠を暗殺したのが発端。

室町後期の関東って、いろいろ入り乱れてややこしいことこの上ない。

この乱も関東公方に山内、扇谷の両上杉が絡んで、よくわからないのでパス。

武蔵千葉氏は後北条方だったために秀吉に敗れ、所領を失ったそうです。


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城跡の下は公園になっていて池では釣り糸を垂れてる人がいました。

鮒が釣れるそうです。

湧き水も流れ込んでいますが、元はお城の濠の跡だとか。

ハケはいいねえ。

森があって水が流れ池もある。

石器時代から人が暮らしていました。


2017年7月 4日 (火)

コンビニも閉まってる、な〜んにもない西高島平駅@地下鉄の地上を歩く会・都営三田線の1回目その1

高島平といえば団地です。

というか、それしか頭に浮かばない。

訪ねるところなんてあるんでしょうか。

それに集合は西高島平駅。

大体が三田線にしてからが巣鴨から先には乗ったことがない。

高島平の先に駅があることさえ知りませんでした。

何はともあれ巣鴨で乗り換えて西高島平。

地下鉄の地上を歩く会、三田線のスタートです。

3月に2回のペースですから終点の目黒まで歩くのは1年くらいかかるでしょう。

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終点だというのに降りる人もまばら。

案の定、何もありません。

駅にコンビニが1軒あるが、まだ閉まってました。

ここでお昼の弁当を買うつもりのメンバーは青ざめてました。

途中にコンビニがありましたけどね。

なんのために作った駅なんだろう。

高架のホームから北側を見ると、巨大なトラックターミナル。

中央卸売市場板橋市場もあるはずです。

物流の拠点に駅を作ったんですね。

見るべき価値のあるものがあるんでしょうか。

不安を抱えながらまずは赤塚氷川神社を目指します。

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新大宮バイパスを越えると団地じゃなくて普通の住宅街。

地図の上に三田線が走ってます。

散歩地図にはほかに赤塚城跡、東京大仏、赤塚植物園、区立美術館などが示されていて、見所は結構ありそうです。

古くから拓けたところみたいです。


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参道の横に「乳房大神」の大きな碑が目立ってます。

ここのケヤキが「怪談乳房榎」のモデルになった木なんだそうです。

榎じゃなくて欅ですけど。

のちに訪ねる松月院門前の榎のそばには「怪談乳房榎記念碑」がありましたけどね。

まあ、このへんを舞台に三遊亭圓朝が怪談を作ったということでしょう。

早稲田界隈には、怪談ゆかりのお寺がありました。副都心線を歩いた時にお参りしてます。こちら

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境内には富士塚があります。

丸吉講によって鳥居脇に築かれ、高さが約3.7メートル、径が約15メートル。

江戸の末期に築造されたとみられてます。

現在、講は消滅し、行事は行われていないとのこと。

木曽御嶽塚もあったようですが確認しなかったなあ。

御嶽信仰の行者、一山行者のもとに組織された赤塚一山講によって築造された塚です。

富士にも御嶽山にも登ったんですねえ。


2017年5月26日 (金)

閻魔さまと仲良くしておこうかな・新宿の太宗寺@地下鉄の地上を歩く会・都営新宿線の6回目その3

ゴールの新宿駅はあと少しなので新宿御苑に寄り道。

大木戸門から入って水分と糖分補給のおやつタイム。


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たっぷり休憩して温室。

いきなり目についたのが、このランです。

エピデンドルム・プリスマトカルプムという着生ラン。

コスタリカ、パナマ原産で高地で見られるようです。


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小笠原固有種のオオバシマムラサキ。

ムラサキシキブの仲間ですが、ずいぶんと大型です。

ムラサキシキブとのいちばんの違いは雌雄異株であること。

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バラ園で大勲位の名を冠した白バラがありました。

王女や皇女、そして大女優の名をつけたのはよく見かけますが政治家は少ない。

ジョン・F・ケネディ、シャルル・ドゴールが有名ですが2人とも世界史に名を残す人物。

プライム・ミニスター・ナカソネに献上した際に、それまでの名を改めたんだそうです。

日本で政治家の名をつけたのはこれが初めてのようです。

数年前にはプライム・ミニスター・アベ、ファースト・レディ・アキエもできたそう。

きっと誰かが忖度したんでしょう。

ぐるっと回ってラクウショウの気根に案内したら感動していただけました。

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ついで内藤家の墓所のある太宗寺。

3番目の江戸六地蔵が参詣者を見下ろしてます。

お堂の中には高さ5・5メートルの大きな閻魔さま。

内藤新宿のお閻魔さんとして江戸時代から信仰を集めていたそうです。

そろそろ閻魔さまとも仲良くしておかないといけないな。

基本的に痛いのや熱いのは嫌いです。

隣は奪衣婆像。

閻魔に仕えて三途の川を渡る亡者から衣服をはぎ取り罪の軽重を図る。

こちらにもよしみを通じとかないといけないかな。

衣服をはぐところから内藤新宿の妓楼の商売神として信仰されたそうです。

     run   run    run

このあと内藤新宿の投げ込み寺「成覚寺」、南口にできたバスタなどによってお開き。

私は太宗寺で途中下車しましたが、皆さんはたっぷり汗をかいた後のビールがおいしかったことでしょう。

次の路線は都営三田線です。


2017年5月25日 (木)

小泉八雲が逃げ出した都市化の波・自証院(市ヶ谷)@地下鉄の地上を歩く会・都営新宿線の6回目その2

書き残したことがあるので、新宿歴史博物館の続き。

昭和初期の地図を見てたら新宿松屋という百貨店がありました。

新宿南口の甲州街道を下った新宿3丁目交差点の駅寄りです。

ここが東京におけるターミナルデパートの草分け。

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今の松屋とは関係ないようですが、そんなデパートがあったなんて全く知りません。

今でもそうですがデパートが建ち並ぶのが一流繁華街のイメージ。

なので新宿は伊勢丹、三越、ほてい屋、新宿松屋の4つがある大都会。

新宿松屋のビルは京王線の始発駅「新宿追分駅」(すぐに四谷新宿に改名)だったんです。

以前は京王電鉄の本社ビルで、今でも京王追分ビルの名前は残ってます。

どうして西口に引っ越したんでしょう。

なんと戦争で変電所が焼失、南口陸橋の坂を電車が越えられなくなってしまったんです。

嘘みたいなホントの話。

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靖国通りに戻って曙橋の商店街で昼食。

ビールでのどを潤して照り返しのきつい30度超えの歩道をてくてく。

少し横道に入って自証院。知らんですなあ。

実は事前に知識が授けられていました。

小金井の江戸東京たてもの園でボランティアガイドをしているY君が

「お振の方の霊屋がたてもの園に移築されてます」と一斉メールしてくれたんです。

そういやあ、何年か前にたてもの園で見たな。


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徳川家光の最初の側室お振の方を供養するために建てられたお寺です。

(牛込榎町にあったお寺を移転、名も改めた)

「家光は男色を好んだためにお振の方は髪を短くし男装して近づいたといいます」

Y君がいろいろ説明してくれました。

明治になると寺は荒廃、霊屋も荒れ果てて解体。

転売が繰り返され忘れられた存在だったが、価値が見直されて赤坂プリンスホテル内に移築。

赤プリ建て直しなどもあって東京都に寄贈、現在地に落ち着いたという経緯です。


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あれっ、こんなとこに小泉八雲旧居跡の碑があるぞ。

成女学園の校門前に建ってます。

「隣接する自証院の風致をこよなく愛し、緑深い境内をよく散歩していたが、しだいに開発により自然が失われていくのに心を痛め明治三十五年三月、大久保村字西大久保に転居」(一部省略)

大久保の旧居跡も、この「地下鉄歩き」で訪ねた。こちら

色々つながってくるもんです。

        bud    bud   bud

明治4年、政府の社寺上地令によって寺領の大半が国有地として没収。

明治末には残された寺域も樹木を伐採して宅地化されていった。

杉の木を切り倒す音を聞いた八雲は、杉の木がかわいそうで、いたたまれなくなって転居したといいます。


2017年5月24日 (水)

2億5000年前の植物化石がある亀ヶ岡八幡@地下鉄の地上を歩く会・都営新宿線の6回目その1

元八幡から始まった都営新宿線。

今回は市ヶ谷駅に集まってゴールの新宿まで。

たったの4駅ですのでいつも以上に寄り道しながら歩きます。

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まずは亀ヶ岡八幡。

すでに南北線や有楽町線の上を歩いた時にお参りしてます。

太田道灌が鶴岡八幡から分霊を勧請して城内に祀ったのが始まり。

徳川初期に現在地に遷座。

「花のモニュメント」にようやく気づきました。

過去2回は犬の成人式などがあって、そちらに目を奪われてました。

2億5000年前の裸子植物の化石が5弁の花にあしらってあるんです。

ゴンドワナ大陸を覆っていたグロッソプテリスという植物。

湿地に生えていて舌のような大きな葉が特徴。

化石は南アメリカ、アフリカ、インド、南極、オーストラリアから発見されている。

これが、かつては大陸が1つにつながっていたとする大陸移動説の証拠になっている。

裸子植物の種子は海水には弱いので海を越えて運ばれたとは考えられない。

1つだったものが移動したとすればつじつまが合うというわけです。

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懐かしい新宿についつい長居をしてしまいました。

新宿歴史博物館に入ります。

土蔵のようなのは四谷にあったお菓子屋さん。

江戸から続いていて明治、大正には大いに繁盛したという。

明治23年(1890)の売り上げは2万2000円余。

同時期の四谷区全体の菓子の売り上げの約7割を占めていたという。

すごい。

茶席やお花の席の需要が大きかったんでしょうと学芸員さんが説明してくれました。


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懐かしいねえ文化住宅。

昭和10年ごろの設定です。

茶の間に居間、そして洋間の応接がついてます。

我が家の台所もこんな風に狭かった。

主婦に快適なキッチンなんて考え方が出てくるのはずっと後のことです。

みんなが「懐かしい」を連発したのは昭和初期の新宿風景。

もちろん知ってるのは戦後ですが、伊勢丹、三越、中村屋に高野。

建物は新しくなってるが、子供の頃に連れられていった繁華街。

記憶は鮮烈です。


2017年4月 6日 (木)

おしゃれに変身・旧万世橋駅@地下鉄の地上を歩く会・都営新宿線の5回目・その2

浜町公園を出て明治座の前を通って神田方面へと向かいます。

日曜日なので横山町の問屋街も閉まっているので通りの入り口を見ただけ。

馬喰横山、岩本町の2つの駅を越えて万世橋。

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かつて一大ターミナルとしてにぎわった万世橋駅があった。

でも私にとっちゃ万世といえば「肉の万世」

今でも橋の東側に健在です。

パーコー麺を初めて食べたのはサラリーマンになってからだったか。

揚げた豚肉が物珍しかった。

万世橋駅は1912年(明治45)に屈指の繁華街だった須田町交差点前に作られた。

起点を新宿から飯田橋まで延伸した甲武鉄道(中央本線)にとって都心への進出は悲願だったのでしょう。

しかし2年後の1914年に東京駅が開業。

中央本線も1919年に東京駅まで開通。

交差点も移って万世橋駅はターミナルとしての役割を終えてしまった。

関東大震災では駅舎が焼失、戦時中の1943年(昭和18)には不要不急駅として営業を休止してしまった。


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交通博物館があったので社会科見学で来たこともあるが覚えてないなあ。

旧駅舎はおしゃれな商業施設になってます。

おっさんは買い物に興味がないので通り過ぎるだけ。

上の階は間近を走る中央線が見られる展望デッキになってます。

ここでおやつ。

みんな手作りの和菓子と焼き菓子を楽しみにしてます。

カナイさん、カネコさん、いつもごちそうさま。

駅前には広瀬武夫中佐と杉野孫七兵曹長の巨大な銅像があった。

GHQの命令で撤去。何しろ軍神ですからね。

「杉野兵曹長って誰だっけ?」

と声を出したら、すぐに「杉野は何処」でしょ。

そんな唱歌があったことは知っている。メロディーも浮かばないけど。


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神保町の古本屋街でちょっとだけ自由時間。

ちゃんと古書を仕入れてる人がいましたねえ。

さらに靖国通りを九段下目指して千鳥ヶ淵。

予定では満開の桜が出迎えてくれるはずだったんですが、あいにくの2分咲き程度(2日)。

みんなはこの後、靖国神社。

満開宣言が出た標本木に見とれたことでしょう。

さらに市ヶ谷まで歩いて解散。

私は夕食の支度やらなんやらで九段下でお別れ。

♬ これでおしまい かしまし娘 またの会う日を楽しみに それではみなさま!ごーきげーんーよ〜

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