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カテゴリー「旅行・地域」の記事

2019年7月 9日 (火)

富士山の構成要素がそろってる・武州志木宿 田子山富士塚@埼玉県志木市

植木もきれいに刈り込まれて美しい山容です。

中央線、武蔵野線、東武東上線と乗り継いでやって来ました埼玉県志木市の田子山富士塚。

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高さ9㍍、麓の円周約125㍍、敷地面積990㎡の富士塚です。

友引と大安に入山できるというので山開き(6日)前の5日に訪れました。

いただいたパンフレットによると

「特徴 ①塚の規模、石造物の数と種類・細工が他の富士塚と比較しても並外れて優れている

    ②頂上から霊峰富士を遠望でき、お胎内(奥行き:16.2m)があり、黒ボクもたくさんある」

以下、全部で6項目が書かれています。

ここの田子山富士保存会の方たちとは縁があるんです。

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昨年4月下旬のことです。

女人天上をめざす途中で、 国指定の天然記念物、吉田胎内樹型で行われる吉田胎内祭に参加しました。

そろいのはっぴで目立っていたのが保存会の方たち。

明治時代に吉田胎内を発見したのは志木市上宗岡の星野勘蔵(日行星山)だったんです。

そんなこともあって現在も大切に富士塚が守られているんです。

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頂上からの眺めもすばらしい。

晴れていれば富士山が拝めます。

田子山富士塚の完成は明治5年(1869)。

もともとは小高い塚(多分古墳)があり、富士山に行って成仏するという意味が書かれた板碑が発見されたのがきっかけ。

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近くにもうひとつ富士塚があります。

整備が大変だというのでコンクリで覆われてしまいましたが、羽根倉富士嶽。

こちらは吉田胎内を発見した星野勘蔵が先達をつとめていた宗岡丸藤講の築造。

ただなんども移転を余儀なくされている。

最初の築造は明治13年( 1880)だったが、昭和4年(1929)に河川改修工事で移転。

さらに昭和45(1970)には県道改修工事で現在地に。

「然るに未だ幾何もないのに県道改良工事に当り、再び移転の止むなきに至った。神社役員等は再三その筋に計画変更方を願ったが許されず・・」

(浅間神社移転記念碑)

無念の思いが伝わってきます。

 

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志木は陸上と水上の交通の要衝に当たっていて経済力があったんです。

富士信仰もそれに支えられていたんでしょう。

この家は埼玉県最大の地主と言われた西川家。

田115町歩、畑160町歩を所有。どのくらいなのか見当もつきませんが、広大な土地なんでしょう。

南畑村(富士見市)の小作争議(大正11から13年)では西川家は小作料の引き下げに応じなかったが、最後はやむなく小作側の要求を飲んだ。

小作が地主に勝った珍しい例だ。

🚌

もう1カ所、訪ねます。

 

 

 

2019年6月19日 (水)

はやぶさ2の実物大模型&神様ペレの記念切手@地下鉄の地上を歩く会・半蔵門線の7回目その4

「たばこと塩の博物館」を出ればすぐに東京スカイツリー。

押上駅で半蔵門線は踏破。

時間があるのでソラマチを見物します。

まずは千葉工業大学のスカイツリータウンキャンバス。

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最先端技術を応用した体感型のアトラクションがあります。入場無料。

「今ではファンの聖地になってるんですよ」

解説の方が胸を張ってますが、うちらとんと縁がないので価値がわからない。

アニメ「マクロフF」に登場する変形ロボットの「バルキリー」。

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こちらは興味があります。

小惑星「リュウグウ」に到達したはやぶさ2の実物大模型。

本物もこんな風に金色の金属で覆ってあるそうです。

リュウグウでのミッションはあらかじめプログラミングされてて、状況の変化も自分で判断するそうです。

危険となったら地上からの信号ではなしに自分で回避します。

ほかにビッグバンからの135億年を駆け巡る3D映像などもあるんですが時間の都合でカット。

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ソラマチには郵政博物館もあります。

郵便や通信に関する歴史と文化が展示されてます。

世界の切手はなんと33万種。

いちにちかかっても見切れません。

外貨獲得が主目的の切手を発行してる国もいくつかあります。

ダイアナ妃なんか何か国が発行してるんでしょう。

北朝鮮も出してるというので探したけど見つけられませんでした。

そんなのを見て回るのも楽しい。

神様ペレの記念切手です。

🍺

あとはソラマチの雑貨店街などを冷やかしてたけど雑踏は苦手なのでパス。

打ち上げは浅草です。

半蔵門線はこれにて終了。

幹事さん、ありがとうございました。

 

 

2019年6月18日 (火)

今は昔・「今日も元気だ たばこが うまい!」・たばこと塩の博物館@地下鉄の地上を歩く会・半蔵門線の7回目その3

このコピーはよく覚えてます。

当時、大人たちはうまそうにたばこを吸ってました。

大人になったら吸ってみたいな、なん感覚が刷り込まれたかもしれません。

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いまじゃ、こんなコピーは許されないでしょう。

たばこの銘柄は「いこい」

30円くらいだったかな。たばこを買いに行かされましたからなんとなく覚えてる。

1957年(昭和32)のポスターだそうです。

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これはさすがに知りません。

モデルは三船敏郎。1948(昭和23)。

「好きな煙草だ 明るく吸おう」の隣に注記がしてあります。

「不衛生でまずい ヤミたばこを 一掃しましょう」

ヤミのたばこが流通してたんですね。

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誰かと思ってしげしげと見たら夏木陽介と小林千登勢。

銘柄は「ハイライト」

小林さんのポスターのコピーは「おくりものにハイライト」「新しく10コ入り化粧箱ができました」

そんな時代があったんです。

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たばこ屋の店先があったので看板娘に入ってもらいました。

♫ 『向う横丁の タバコ屋の 可愛い 看板娘

  年は十八 番茶も出花 いとしじゃないか  

「煙草屋の娘」というコミックソングです。1937(昭和12年)。

コメディアンの岸井明と平井英子のデュエット。ヒットしたようで戦後もしばらく歌われてました。

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岩塩で作った彫刻、聖キンガ像の祭壇。

世界遺産にも登録されているポーランドのヴィエリチカ岩塩坑に聖キンガ礼拝堂があるそうです。

その礼拝堂をモチーフにヴィエリチカ岩塩を使って作られた。

聖キンガはハンガリー王女。

ポーランド王との結婚に気乗りせず、指輪を投げ捨ててしまった。

彼女が投げ捨てた指輪がポーランドで発見され、そこを掘るとヨーロッパ最大の岩塩坑が見つかったという。

岩塩採掘を国家事業としてポーランド王国が繁栄したそうです。

王の死後、慈善活動に一生を捧げたキンガはカトリックの聖人に列せられた。

🐶

売店で岩塩などを買い求めました。

サラダに使ってます。

 

2019年6月17日 (月)

マッチのラベルに興味津々・西郷さんもあるよ@地下鉄の地上を歩く会・半蔵門線の7回目その2

タワービュー通りを越して次の通りに「たばこと塩の博物館」があります。

確か渋谷の公園通りにあって入ったことがある。

渋谷は2013年に閉館、2015年4月に墨田区に移ってリニューアルオープンしたんだって。

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昔はたばこと塩が専売品だったんです。

2つを扱っていた日本専売公社が設立、現在の日本たばこ産業に引き継がれてます。

特別展は「マッチ〜魔法の着火具・モダンなラベル」

西部劇を見ていてウエスタンブーツなんかにシュッとやると火がついて葉巻をくゆらすカウボーイ。

みんなあこがれました。

日本ではなんで売ってないんだろうと不思議に思ってました。

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マッチのラベルがずらっと展示されてます。一つ一つ見ていくだけで時を忘れます。

西郷さんです。

どこでも火がつくマッチは黄燐マッチといいます。

日本では1885年(明治18)に製造が禁止されました。

第一に簡単に発火する危険があること。

第二に職工に燐性骨疽(こっそ)という病気を引き起こすことから世界で製造禁止の動きが広がったためだ。

しかし中国への輸出向けに1890年に製造を解禁。

工場での病害が絶えなかったという。

当時、マッチ工場で働いていたのは10〜14、15歳の児童だった。

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白鷺城。旭日旗を持った兵隊さんがいるのは戦意高揚のためでしょうか。

黄燐マッチに戻ると、1922年(大正11)日本もベルヌ条約に調印し、黄燐マッチの製造を再び禁止した。

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ハンマーマッチ。

「愛情に 生きる心の うれしさよ」

なんなんでしょうね、この標語。

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マッチは1831年フランスで発明され、33年ごろからヨーロッパ各地で製造され、やがて世界に広まった。

今も使われている赤燐マッチは1855年にスウェーデンで発明された。

危険な黄燐マッチに対して安全マッチと呼ばれた。

日本でもマッチ産業の育成がはかられ1890〜1910年代には世界屈指の輸出量を誇るマッチ大国になった。

へぇぇそうなんだ。

上のラベルはインドへの輸出用。ヒンドゥー教の神話にちなんだもの。

木の上にいるのはクリシュナ。

 

2019年6月16日 (日)

亀戸天神〜鬼平に登場する法恩寺@地下鉄の地上を歩く会・半蔵門線の7回目その1

半蔵門線の最終回です。歩くのも錦糸町から押上とたった一駅。

なので、のんびりと歩きます。(6月9日)

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まずは亀戸天神。

太鼓橋の上から俯瞰。梅や藤棚で緑におおわれています。

戌の日にあたっていたので腹帯を求める人やお宮参りの家族連れが目立ちました。

学問だけではないんですね。

天神様と御奥方は、十四方のお子様に恵まれており、子宝・安産・立身出世の守護神としても崇敬されています」(HPより)Img_2123

5歳の菅公。台座には5歳で詠んだ紅梅の和歌が彫られています。

「美しや 紅の色なる 梅の花 あこが顔にも つけたくぞある」

神社を辞して女性陣は参道のべっ甲細工屋。次に船橋屋で名物のくず餅をお土産に求めてました。

おいしいんでしょうね。

一人じゃ食べきれないので私はパス。

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境内のザクロの花にトンボが止まってました。

気温が低いので休んでいるのか、しばらくじっとしてました。

なんてトンボなんでしょう。

ネットで調べたけどわかりませんでした。

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錦糸町駅近くまで戻ってお昼。

真正面にスカイツリーが見えます。その名もタワービュー通り。

電線が地中化されてスカイツリーがきれいに見えます。

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鬼平犯科帳にも登場する法恩寺。

江戸城近くの平河村にあった草庵を太田道灌がお寺にしたのが始まり。(1457)

移転を繰り返し元禄2年(1689)に現在地へ。なので山号は平河山。

鬼平犯科帳「尻毛の長右衛門」は、この寺から始まります。

「彼方に法恩寺の大屋根がのぞまれる。法恩寺は花洛本圀寺の触頭で、江戸三箇寺の一であり、

表門を入った両側には塔頭が押し並び・・」(以下略)

江戸時代、 各宗派ごとに触頭が置かれ、傘下の寺院をまとめていた。

日蓮宗京都本圀寺の触頭は江戸に3か寺、置かれていた。

近くに若き日の鬼平が通った高杉銀平道場があった、と「鬼平情景」の高札が設けられています。

墨田区ではファンのために鬼平ゆかりの16か所にに高札を立ててます。

それだけゆかりの地を訪ねる人が多いんでしょう。

 

 

 

 

2019年6月 8日 (土)

バーベキューとホタルの夕べ@昭島市

「ことしは雨が少ないのでホタルは期待できないかも」

そんな連絡があったけど恒例のホタル鑑賞会は決行です。

ホタルが飛んでなくてもみんなで集まって食べて飲んでが楽しいからね。

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いつもは打ちたてそばを味わうんですが、趣向を変えてバーベキュー。

タケムラ家にはなんでもそろってるんです。

お庭にテントを2張り設置してムードを演出します。

火起こしに時間がかかるというので集合30分前から準備。

肉類は2キロ、それに鮎、ホタテ、エビ、野菜と材料はたっぷり。

参加者は20人(一人欠席で19人)、これだけあれば十分でしょう。

手作り新玉ねぎの差し入れもありました。うまかった。

たらふく食べて飲んで暗くなったので徒歩5分の立川堀へ。

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予想に反してかなり飛んでます。

タケムラ君たちは五月中旬から上陸する幼虫の数を数えてます。

ことしは少なかったようで冒頭の連絡になったんです。

200㍍くらいかな、堀沿いの遊歩道をそぞろ歩きます。

草の葉に止まって休んでるのがいました。

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ちゃんと光ります。

今年もホタルが見られてしあわせ。

これも堀の掃除から始めて、ホタルの採卵、放流など手をかけてくれているおかげです。

感謝。

 

 

2019年5月 3日 (金)

国禁違反でシーボルトをチクった間宮林蔵@地下鉄の地上を歩く会・都営半蔵門線の6回目・その3

深川めしなどでランチのあと、ぞろぞろと団体割引で深川江戸資料館に入ります。

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常設展示室は、江戸時代末の深川佐賀町の街並みが実物大で再現されてます。

八百屋、船宿など細部までリアルに作られているそうです。

写真は火の見櫓。

むかしは我が家の町内にも半鐘をつるした火の見櫓がありました。

こんな立派なものではなく柱に階段状の手すりをつけただけの簡素なもの。

近くで火事があると半鐘がじゃんじゃん鳴らされました。

いつの間にかなくなってます。

企画展は「杉浦日向子の視点〜江戸へようこそ」

NHK「コメディーお江戸でござる」はときどき見てました。

亡くなってもう14年になります。

杉浦さんたちのおかげで江戸の見直しが行われていったんです。

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光厳寺雲光院にある阿茶の局のお墓。

誰だっけ?徳川家康の側室です。

大坂冬の陣では和議の交渉役になり豊臣方に大阪城の外堀を埋めることを飲ませました。

こうして大阪城は丸裸になったんです。

阿茶の局が開基のお寺です。

住職さんがいらして「うちは初めから徳川のお寺です。ですので戊辰戦争では官軍と呼びません。

反乱軍、あるいは西軍」

江戸の徳川びいき、150年も経つけどまだ残ってるんですね。

その時誰かが「うちでは切り取り強盗と言ってます」

徳川方のぼう大な領地などを全部召し上げたからね。

住職が握手を求めてました。

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本立院墓地の間宮林蔵の墓。

樺太が島であることを発見、深川蛤町で65歳で没しました。

帰国直前の所持品の中に国禁の日本地図などが見つかり、シーボルトは国外追放、十数名が処分されたシーボルト事件。

発端はシーボルトが間宮宛に送った手紙など。

間宮は開封せずに上司に届け、日本地図の所有が明らかになったんです。

事件は間宮の密告が原因だとして当時から評判がよくなかったそうです。

シーボルトはその著書でタタール海峡(間宮海峡)の最狭部を「間宮の瀬戸」と記載している。

晩年の間宮は幕府の隠密となり、困難とされていた薩摩藩にも潜入している。

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木場公園。新木場に移る前に貯木場などがあったところ。

園内にある東京都現代美術館にも寄りました。

さまざまな試みの現代アートが感性に訴えかけてこなけばいけないんですが・・。

もう衰えてしまったんですね。ピンときませんでした。

このあとは民間機械製粉発祥の地、九条武子の社会活動がきっかけに設立された「あそか病院」などを巡って錦糸町駅。

昨年秋、あそか病院に入院した仲間が武子や病院について詳しく説明してくれました。

武子は大正三美人のひとりだとか。

🍺

駅近くでお疲れさん会。今宵も更けゆく。

 

 

 

 

2019年5月 2日 (木)

みかん伝説は創作?紀伊国屋文左衛門のお墓@地下鉄の地上を歩く会・半蔵門線の6回目・その2

深川の寺町をめぐってます。

それほど大きくないお寺が続いてましたが、広い境内のお寺に出ました。

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浄心寺。江戸10大祖師の随一といわれた名刹です。

祖師様で私が知ってるのは「堀之内のおそっさま」(妙法寺)

なーに落語で聞いただけです。橘家圓蔵が得意にしてた。

近くにあった日蓮宗のお寺は浄心寺の塔頭だったんです。

徳川家綱の乳母、三沢の局の菩提を弔うために万治元年(1658)に創建。

境内地は1万坪、10万石の格式があったという。

関東大震災では、浄心寺が深川の犠牲者の臨時の火葬場にあてられた。

およそ3000の遺体が荼毘に付された。

境内には供養塔が建てられてます。

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あのみかん伝説で有名な紀伊国屋文左衛門のお墓とされています。

東日本大震災で被害にあったため中には入れません。

正面に大きな石碑があり、その左に墓石があるそうです。

文左衛門はみかんで富を得て、幕府の御用材を請け負って莫大な財をなしたといわれています。

以下は深川・門前仲町の其角せんべいのHPによります。

 江戸時代に紀州ではみかん栽培は行われていなかったので、のちに作られた伝説らしい。

このお墓にしても「墓所一覧遺稿」という本に記されているだけで、別の紀伊国屋文左衛門かもしれない。

材木商といえば木場なんですが、深川と文左衛門を結ぶ手がかりが、それ以前はなかった。

墓所一覧の発見で一躍、深川の誇りになっていく。

いわく深川八幡の黄金の本社神輿は文左衛門の寄進に違いない。

清澄庭園は彼の別邸だった。などなど。

みかん伝説は今日の今日まで事実だと思ってた。

 

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霊巌寺にある江戸6地蔵の1。

273㌢もあります。

6地蔵は京都の6地蔵にならって江戸の出入り口に造立された。

ここは水戸街道の出入り口。

近くの永代寺にもあったが廃仏毀釈で取り壊された。

松平定信のお墓もあります。

老中として寛政の改革を断行。

白河藩主で白河楽翁と号したことから地名(江東区白河)、駅名(清澄白河)にもなっている。

🍱

ここでお昼です。

少人数に分かれて深川めしなどを食しました。

 

 

2019年5月 1日 (水)

今回は深川めぐり・まずは芭蕉が旅立った採荼庵跡から@地下鉄の地上を歩く会・半蔵門線の6回目・その1

いい天気に恵まれました。(4月28日)

仙台からの級友も参加して清澄白河駅に集合、江東区内をぐるぐる回ります。

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まずは昭和3年(1928)年に建てられた鉄筋コンクリートの長屋、築90年ですが現役です。

1階が店舗で2階が住居。3階があるのは住民が建て増ししたんです。

関東大震災後の復興事業の一環として清澄通り沿いに建てられた。

奥の緑は清澄庭園。庭園敷地の東側に長さ250メートルにわたって昭和レトロな建物が続いています。

勤め人だったころ、この近くまでランチを食べにきてました。

そのころはまだ昔ながらの様子が残ってたんですが、外装なんかが随分と直されて立派になってます。

でも、ところどころに昔の面影が。

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縁側に腰掛けて今まさに旅立とうとしている松尾芭蕉。

ここは芭蕉の門人、杉山杉風の(すぎやま さんぷう)の採荼庵(さいとあん)跡。(庵はここではなく140メートルほど南西だったという)

杉風は芭蕉を経済的に支援したパトロンで、奥の細道の旅に出る前に住居の芭蕉庵を手放した芭蕉はしばらく過ごしました。

右側が仙台堀川。

芭蕉はここから船に乗って隅田川を上り千住から奥の細道に出発した。

ところで採荼庵は杉風の俳号でもあるんですが、意味がわかりません。

「茶」じゃなくて「荼」。

植物のニガナ、苦しみなどの意味がある。

荼毘とか荼枳尼天でも使います。

 

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海辺橋のたもとで「深川と水」の説明をしてます。

江戸は神田・玉川の上水網が張り巡らされていたが、深川には届いてません。

隅田川があるので上水を通せなかったんです。深川に上水道が完成したのは明治の後半です。

低地帯なので井戸水は塩っ辛くて飲めたもんじゃない。

それまでは水船がやってきて、ここ海辺橋あたりでも陸揚げされていたようです。

水船は、神田・玉川上水の余り水を銭瓶橋(大手町付近)で積み込んで各地で陸揚げ、水売りが運んだ。

水売りは「ひゃっこい、ひゃっこい」の売り声で売り歩いた。

茶碗1杯4文。あるいは天秤棒で担いだ桶2つで4文という説もあって値段はよくわかりません。

蕎麦が16文だから桶2つで4文は安すぎる気もします。

「ミツカン水の文化センター」のHPに作家の山本一力さんが寄稿してます。

文献によって違うけれど、1荷(天秤棒の前後に下げる荷物を数える単位。桶は12個で1荷。樽は2個で1荷になるようにつくられていた)あたり、四十〜六十文から八十〜百文ぐらいだったようだ」。

「水屋の富」という落語もあります。

これは江戸に詳しい仲間が概略を話してくれました。

近くの滝沢馬琴誕生の地でも馬琴について幹事さんが解説。

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清澄通りの東側は深川寺町と呼ばれてます。

約1㌔四方弱の範囲に40あまりの寺が並んでます。

歩いていたら「歯神さま」という張り紙が目についた。

圓隆院というお寺です。

仏像があって歯ブラシも置いてある。

これで磨くんです。

歯の神様に出会ったのは初めて。でも各地に300個所近くあるらしい。

大阪の梅田にはズバリの歯神社があるそうな。

ここの縁日は4月11日(良い歯の日)

6月4日(虫歯の日)

11月8日(いい歯の日)

もう少し寺町をめぐります。

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年4月28日 (日)

鏡岩から奥宮へ・金鑽神社@埼玉県児玉郡・その2

鏡岩からほどなくして石仏が並ぶ広場に着きます。

上は岩山になっているので慎重に登ります。

 

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山頂から南方向、武甲山方面を見渡したところ。

山の上の建物はゴルフ場のクラブハウスのようです。

南西は甲武信ヶ岳方面、西には白根山、男体山が望める。

青空が広がってきたが、山々は雲の向こうでした。

こんなところでゴルフをやるんですね。平らなところがあるんだろうか。

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小さな祠が。

左の岩も上まで登れるようになっていて、さらに眺望がいい。

ここがご神体の山かと思ったんですが違いました。

ご神体の山には登山道がないそうです。

よく考えば尊い山に人が踏み込むのは許さないでしょう。

ということで、ご神体がどこだったのかちゃんと確認しませんでした。

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お隣の御嶽山(343㍍)でお昼にします。

御嶽城という山城があったところです。

安保氏の居城で、北条氏康や武田軍と激戦を展開した。

満開のウワミズザクラの下でゆったりランチ。

ウグイスが美声で歓迎してくれました。

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道路を挟んだ向かいに別当寺だった普照寺があります。

元三大師のお寺として親しまれてます。天台宗の別格本山と格式も高い。

調布の深大寺と同じです。

1月3日にはダルマ市が開かれます。ダルマ市は高崎から始まって3月初めの深大寺が最後になるのかな。

普照寺を後にして八高線の児玉駅を目指します。

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石屋さんがあって巨岩がゴロゴロ。

値札があって、この岩は150万円。もっと高いのも転がってました。

きっと運び賃込み何でしょうね。

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こだま駅近くに建つ塙保己一記念館に入ります。入場無料。

塙保己一生誕の地が児玉郡なんです。

武蔵国児玉郡保木野村の生まれ。村の名をとって保己一何でしょうね。幼名は虎之助。

塙はどんな縁なんでしょう。わかりません。

群書類従の制作費は何と5000両。

大阪の豪商鴻池からの150両の借用証文などが展示されてます。

🍺

本日はこれにて歩き納め。駅近くの蕎麦屋でお疲れさん。

暑い中歩いたので生ビールがうまかったこと。

 

 

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