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カテゴリー「旅行・地域」の記事

2017年1月21日 (土)

映画「最後の忠臣蔵」・赤穂浪士の引き揚げ道をたどる@地下鉄の地上を歩く会の番外編その5

地下鉄に乗って2駅ばかりキセルしたので大石内蔵助ら17人が預けられた肥後熊本藩細川家の下屋敷跡に寄る余裕ができました。

旧高松宮邸のすぐ近くです。

というのも高松宮邸も江戸時代は細川家の下屋敷。

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中には入れませんが門の隙間からのぞいてみます。

東京都指定旧跡になっていて「大石良雄外十六人忠烈の跡」の説明板が建てられてます。

老中からお預けの名を受けた藩主五代綱利は総勢875の藩士を送って引き渡しを受けた。

大半の武威を示すためと上杉家の襲撃を警戒したと言われている。

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4時半頃泉岳寺にようやく到着。

午前10時に両国駅をスタートして6時間半。

あちこち寄り道したりランチ休憩もあったけど、やっぱり現代人の脚は遅いよね。

3時間だった赤穂浪士の倍です。


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引き揚げ途中に(あるいは討ち入り前)にいなくなった寺坂吉右衛門の供養墓もあります。

幕末の慶応年間に加えられた。

行年83歳。

大目付の采配により追っ手がかからなかったんです。

父親の許しを得られない苦衷から自害した萱野三平の供養墓も。

曽根崎新地の遊女初と心中した橋本平左衛門の話が結びついて「仮名手本忠臣蔵」の早野勘平の話が出来上がる。

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寺坂と、討ち入り直前に逐電した瀬尾孫左衛門を主人公にした映画がありました。

2人が共に大石から密命を帯びてたという話ですよ。

2010年公開。監督は杉田成道。

寺坂(佐藤浩市)は大石から「遺族を援助せよ」と命じられていた。

瀬尾(役所広司)はやがて生まれてくる大石の隠し子の養育。

人知れぬ里で隠し子は美しい娘に成長。

寺坂が瀬尾を探し当てた時、娘は婚礼が決まっていた。

瀬尾が婚礼を抜け出したのに気づいた寺坂は隠れ家へと向かう。

切腹した瀬尾を見た寺坂は「これぞ武士」とつぶやく。

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許されぬ恋ということがあったにせよ、腹を切らなくたっていいと私なんか思ってしまう。

庵でも結んで同志を供養したらいいんじゃないですか。

命の方がよっぽど尊いです。

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46人には19人の男の子がいた。

15歳以上の4人は大島に流された。

その他は15歳になると僧侶になった。

島にいたものも3年後には許されて戻ってきた(1人は島で死亡)。

2017年1月20日 (金)

29年目、最長期間の仇討ちと大石良雄・赤穂浪士の引き揚げ路をたどる@地下鉄の地上を歩く会の番外編その4

浅野内匠頭が切腹してから2カ月後の元禄14年(1701)5月9日。

父が討たれてから29年目、伊勢で日本最長記録の仇討ちが行われた。

この話は「元禄曽我兄弟」としてもてはやされた。

赤穂城明け渡しを終えた大石内蔵助にも何がしかの感慨を与えたに違いない。

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さてわれわれは芭蕉記念館を出て隅田川沿いを進みます。

ほどなく赤穂浪士休息の地として有名なちくま(乳熊)味噌。

主人が大高源吾と俳句仲間なので店に招じ入れ、甘酒粥を振る舞って労をねぎらったという。

永代橋を渡って中央区明石町。

現在の聖路加病院と河岸地を含む一帯に赤穂浅野家の上屋敷がありました。

上の写真は内匠頭邸跡の碑です。

浪士一行もこの近くを通りました。

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29年目の仇討ちとはこんな話です。

伊勢亀山で石井源蔵と半蔵の兄弟が、父の仇の赤堀水之助を討ち果たした。

父が討たれた時、兄は5歳、弟は2歳だった。

18歳の長兄が仇討ちの旅に出るが、後ろからだまし討ちにあって、あえない最期。

成人した源蔵と半蔵も仇討ちの旅に出るが赤堀の行方は杳としてしれない。

ようやく居所がわかったが警戒が厳しくて近づけない。

ある時は乞食に、または商人のふりをして徘徊。

そして宿直明けで城から出てきたところを討ち果たしたのだ。

父を打たれてから29年、兄からは20年目だった。

源蔵は34歳、半蔵は31になっていた。

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作家の長谷川伸によると元和(1615〜1624)から元禄(1688〜1704)まで108件の敵討ちがあるという。

石井兄弟の仇討ちはその典型例で親の顔もおぼろげで、ましてや敵のことなど知らない幼子が敵を討たなければならない。

討たなければ人交わりができないのだ。

石井兄弟はじめ幾つかの敵討ちを詳しく調べた長谷川伸の「日本敵討ち異相」(国書刊行会、中公文庫もあるみたい)が面白いよ。

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汐留の日本テレビ前。

仙台藩の上屋敷があり、浪士たちは粥のもてなしを受けた。

仙台名産の仙台糒=ほしいい(うるち米を蒸して乾燥させた保存食)だった。

あっちこっちに寄ったので、もうすでに3時すぎ(だったと思う)。

このままだと泉岳寺に着くのは5時を過ぎてしまう。

門が閉まっちゃうんです。

やむなく地下鉄に乗って三田まで。

赤穂浪士は吉良邸から泉岳寺までおよそ12キロを3時間で歩いたんですけどね。

逸話の残る御田八幡神社へ。

この神社近くで討ち入りから脱盟した高田郡兵衛が現れたが、だれも物も言わずに通り過ぎた。

また堀部弥兵衛が本懐を遂げたというと高田は「わたくしも御田神社に社参して、おのおの方が本意を遂げられるようお願いしてきたところだ」と言って別れたという。

さらに郡兵衛は酒など持参して泉岳寺に現れたがが門番に追い返されたという。


2017年1月19日 (木)

宝井其角と大高源吾・赤穂浪士の引き揚げ路をたどる@地下鉄の地上を歩く会の番外編その3

芭蕉記念館に寄ります。

ちょうど企画展「其角と江戸俳壇」の開催中。

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其角と忠臣蔵といえば「両国橋の別れ」が有名です。

歌舞伎や講談で演じられてきた話です。

討ち入りの前日、其角は笹売りに身をやつした大高源吾に両国橋で出会う。

12月13日はすす払いの日。事始めでもあって、この日から正月の準備を始める。

祇園の舞妓さんはこの日が新年のスタート。

なので笹売りは時節も表してるわけです。

大高は俳人で其角の弟子。

身をやつした姿の源吾に其角は「年の瀬や 水の流れも 人の身も」と発句で問う。

「明日待たるる その宝船」と源吾が付句。

意味を測りかねたまま其角は松浦候の句会に向かう。


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そういやあ浪士たちが集合した両国橋近くの公園に源吾の句碑があった。

「日の恩や たちまちくだく 厚氷」

忠臣蔵とは関係ない句のようで、特に説明板もありません。

松浦邸には源吾の妹が奉公に上がっていた。

妹が茶をたてていると松浦候が不機嫌に。

候は浪士がいつまでも討ち入らないことに苛立っているのだ。

帰り際に其角は源吾の付句を口にする。

意味がわかった松浦候に怒りの表情はなかった。

そのとき、にわかに陣太鼓が鳴り響く。

わかりやすくてよくできた話です。

こういうの、わりと好きです。

源吾が企画の門弟であったこと、吉良邸の北隣にある土屋主税邸を翌日に新井白石が訪ね、事件のあらましを聞いたことなどが混じり合って構成されたんでしょう。

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芭蕉記念館の庭には梅が咲いていました。

「春もやや 気色ととのう 月と梅」

梅も咲いて春になってきた。おまけに月までも出てきた。

春らしい気色がそろったことよ。


2017年1月17日 (火)

吉良邸はなぜ本所に移されたのか@地下鉄の地上を歩く会の番外編その2

吉良邸を出た赤穂浪士が最初に渡ったのが、竪川にかかる一之橋。

幕府は低湿地だった本所の開発にあたり排水路を碁盤目状に開削した。

縦の代表格が竪川。縦横は隅田川に平行が横、交わるのが縦。

隅田川から入って一ツ目ということで一之橋。

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看板があって「一之橋は赤穂浪士が泉岳寺に引き上げる際に最初に渡った橋としても知られています」

写真に撮っても何の変哲もない橋です。

最初に渡った橋に何か意味があるのかなあ。

引き揚げ日の15日は登城日で両国橋を渡って江戸市中に入ると不測の事態を招く恐れがある。

それで両国橋の手前で左折、南下コースをたどり一之橋を渡ったということにしか過ぎない。

吉良邸の地名も本所一ツ目です。

事件の後、吉良邸が廃されてから松坂町と呼ばれるようになった。

吉良上野介義央が本所に移されたのは刃傷事件から5カ月もたってからのことだった。

義央には隠居届けを出させた。

義央に対してはおとがめなしだったので世間の同情は浅野家に傾いていた。

同時に義央に対する幕閣の感情が冷えていったのかもしれない。

呉服橋御門の中に邸があったら浪士の襲撃は不可能だったろう。

「街道をゆく36 本所深川散歩」(司馬遼太郎、朝日文庫)を参照しました。

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せっかくだから寄り道します。

江島杉山神社です。

鍼灸師や按摩などをなどを統括していた杉山和一の総六屋敷の跡です。

和一は江ノ島の岩窟で断食祈願を行い、霊夢を通して新しい鍼灸術を考案。

名声が高まり寛文10年(1670)には検校に任じられた。

さらに5代将軍綱吉の治療の功でほうびを尋ねられた。

「一つでいいから目が欲しい」

それでこの地、本所一ツ目に1町四方(約1万2000平方メートル)を与えられた。

吉良邸が2550坪(8400平方メートル)だから、こちらの方が断然広い。

元禄6年(1693)のことなので赤穂浪士もこの屋敷の前を通った。

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江ノ島の岩窟を模した岩屋もあります。

高いところには昇りますし、穴があれば入ります。

検校といえば勝海舟のひいおじいさんは検校だった。

海舟は本所亀沢町の生まれだからすぐ近くですね。

曽祖父は失明して座頭になったが、男谷検校などと呼ばれ大名貸しもして一代にして巨富を築いた。

末子の平蔵(小吉の父、海舟の祖父)に莫大な金を残し、旗本の株を買ってやった。

本来、旗本は金で買えないが、内密で売買の対象になっていた。

金に困った旗本が金をもらって養子を取ったのです。

平蔵は男谷の姓を名乗った。

小吉は男谷家から勝家にいき、海舟が生まれたんです。

この時も相当な金が動いたことでしょう。

男谷家は小吉の兄が継ぎ、その子が男谷精一郎(1798〜1864)。

幕臣の鑑と言われ文武両道に優れた人です。

2017年1月16日 (月)

いざ吉良邸へ・赤穂浪士の引き揚げ路をたどる@地下鉄の地上を歩く会の番外編その1

番外編で赤穂浪士の引き揚げた道をたどります。

誰かが歩いてみたいと言い出して、それなら旧暦の12月14日に近い1月中旬ということになったらしい。

まずは初場所中日を迎えた国技館となりのJR両国駅に集合。

泉岳寺までおおよそ12キロを歩く予定です。

そんなに歩けるかなあ。

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まずは吉良邸跡へ。

一画が本所松坂町公園になっていて周囲は高家の格式を表すなまこ壁長屋門を模したつくり。

中にはみしるし洗いの井戸や稲荷社があり当時をしのばせています。

昭和9年(1934)に地元町会の有志が、この一画を購入して史跡公園として東京市に寄付したもの。

その前に吉良邸の正門跡にも寄りましたがビルが建っていて面影すら感じられない。

ありがたいことです。


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赤穂浪士たちはまず回向院に集合する計画でしたが、かかわりを恐れた僧に入山を断られてしまいます。

回向院の山号って知ってました?

諸宗山回向院無縁寺なんです。

変わった名前ですよね。

あらゆる宗派の人を供養するので諸宗山なんだって。

明暦の大火(明暦3年=1657)から数日後の1月24日。

二代将軍秀忠の忌日に保科正之が増上寺に代参、帰路に焼死者がそのままになっているのを見て大きな穴を掘って埋めることにした。

そして増上寺に300両を与えて供養させた。

この万人塚に塔を建てたのが回向院の始まり。

ところで火事つながりで言えば浅野内匠頭長矩の祖父で淺野家の初代赤穂藩主の長直は「火防の上手」として有名だった。

「内匠頭(長直)が出動すれば、すぐに火も鎮まるだろう」と誰もが言い合ったという。

寛文8年(1668)の大火では、赤坂の浅野家本家の長屋に燃え移った。

そこで長屋を引き崩しすとすぐに鎮火、あざやかな手際だったという。

さらに町方にも出かけ、物置のような下家に火が移った。

母屋の上に上がっていた者たちがたじろいで引き下がりそうになった。

それを見た内匠頭は火のついた下家に飛び降りた。

家来たちもどっと飛び降りたので下家はつぶれて火は止まった。

のちに赤穂義士が出たのも、こういう英傑が主君にいたからだろうと評判になったという。

孫の長矩が刃傷事件の後、江戸の町人たちから同情を集めたのは赤穂藩の大名火消しとしての評判、功績があったからとも言われる。


2016年12月28日 (水)

砂嘴(さし)の池はなぜか淡水・行ってみたいな大瀬崎@沼津市

伊豆七不思議の一つです。

突き出した砂嘴の真ん中に池があります。

大瀬神社境内にある神池。

最も近いところでは海から15mほどしか離れてません。

なのに淡水でコイやフナなどの淡水魚が生息してます。

海水が染み込んでるのならわかるけど、どうして淡水なんでしょう。

富士山の伏流水説なんてのもあるようです。

ここは伊豆半島の大瀬崎。

684年の大地の時に海底噴火などで隆起してできた島。

その後、砂れきが堆積して半島になった。

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ここを知ったのはNHK BSプレミアムの「発見!体感!にっぽん水紀行 富士山からの贈りもの」。

湧玉池や白糸の滝などを訪ねて最後に出てきたのが大瀬崎。

番組でも、富士山の伏流水説を紹介していた。

えっ、まさか。

沼津市内からバスで1時間20分もかかるところだよ。

伏流水はすべて駿河湾に注いでしまっているでしょう。

調べてみると噴出した溶岩と凝灰質角礫岩の間に染み込んだ水が湧水となっているようです。

神社があるでしょ。

ここはやや高くて池の方に下がっている。

くだいていうと、神社あたりに降った雨水などが池に注いでるといったことでしょうか。

残念ながら伏流水ではありません。

でも駿河湾越しの富士山もいいものだし、不思議な地形は見てみたいな。

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もう一つ。

ちまたじゃ、えらい話題になってるそうですな。

ユーシンブルー。

知人のブログを見るまでは全く知りませんでした。

神奈川県山北町の玄倉川にある渓谷で丹沢の秘境と呼ばれているそうな。

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空の青よりももっと深いブルー。引き込まれそう。

写真は山北町観光協会から拝借。

三鷹からだと始発に乗らないと行けそうもないなあ。


2016年12月25日 (日)

パナマ運河の仕組みをお勉強・荒川ロックゲート@地下鉄の地上を歩く会・都営新宿線の3回目その5

頭じゃわかってるんですが、やっぱり百聞は一見にしかずです。

パナマ運河は河川の水位さを調節して船の通行を可能にしてることは学校で習いました。

規模はずっと小さいんですが東京にも同じ仕組みがあるんです。

日本のパナマ運河と自称してるのが小名木川にある扇橋閘門(こうもん)。

ここは同じように船が通れる荒川ロックゲート。

閘門を今風にカタカナ名にしたんです。

今回は1艘のカヌーが通り抜けるまでのドキュメント。


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でかいです。荒川側のゲート。

もちろん旧中川の方にもあります。1つだけでは水位を調節できません。

階段で上まで登れます。もちろん登りましたとも。

でも賢い仲間がいました。

ちょうどボートが旧中川から荒川へ通行するところでした。

下で見ていた方が断然迫力があって、水位調節の様子がよくわかるというんです。

次の船が来ないかなあ。

あれっ、荒川でカヌーがウロウロしてるぞ。

まさかと思ったら近づいてきます。


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荒川側の扉が上がります。

水が滝のように滴り落ちる。

同時に荒川の水が流れ込んできます。

荒川の方が水位が高いんです。

旧中川は上流と下流の水門を閉め切っているので水位は一定みたいです(多分)。

水位さは最大で3.20メートル。


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待機していたカヌーが入ってきます。

信号があって、やはり青がゴーサイン。

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しばらく待機します。

今度は水位を旧中川に合わせる。

扉をあげると水が低い方に流れていく。

カヌーは水位変化の間は鎖につかまってます。


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この時間を利用して果敢に取材を試みる女子。

信号が変わるまでずっと話してます。

「料金は無料なんだって。これから神田川の方まで行く予定だったけど、時間が遅いので予定変更するんだって」

もっと詳しく話してくれたんですが忘れました。

「いつかご一緒しましょう。快適だよ」とかナンパされたみたいです。

「船ならあるよ」

昭島の「水辺の楽校」で活動してるタケムラ君。背中押してます。


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およそ20分で信号が変わって無事のカヌーは旧中川に漕ぎ出していきました。

扉の黒い部分が高い水位。

ロックゲートには1時間くらいはいました。

みんな好奇心旺盛で若いです。

       run      run     run

この後、初めて聞く名前の土公神(どくしん、どこうしん)の石碑がある陶首(すえくび)稲荷、塩舐め地蔵などにお参り。

土公神はもともとは中国の道教の神様。日本に伝わってからは陰陽道によって各地に広まった。

まあ本来は土の神です。

日が暮れるのが早いので5時前に西大島駅で解散。

だいたい2万歩くらい歩きました。


2016年12月24日 (土)

川にザブン!コーヒー飲みながら水陸両用バスをながめる@地下鉄の地上を歩く会・都営新宿線の3回目その4

中川船番所資料館の前は「旧中川 川の駅」。

みんなは熱心に見学してなかなか出てこないのでコーヒーブレイク。

ベンチでぼんやりしてたらバスがやってきた。

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うわさの水陸両用バスの東京スカイツリーコース。

スカイツリーを出発して亀戸を回って、ここから水上バスになる。

人気ツアーのようで予約もままならないとか。

満員です。

スロープを利用して川にザブン。


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すぐに水上バスになります。

水の上を走ってどこかに行くのかなと思ったが、近くを周遊するようです。

料金は2900円。けっこうなお値段です。

空きがあれば川の駅から乗船できますが、遊覧だけですので1000円。


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向かいの大島小松川公園からはスカイダックとスカイツリーがワンカット。

30分ほど周遊して再びスロープから上陸、スカイツリーに戻っていきます。

みんなも「あっちに行った」「また戻ってきたぞ」

とか言いながら童心に戻ってバスをながめてました。


2016年12月23日 (金)

猛毒六価クロムを埋めた公園に建つ廃墟の閘門(こうもん)@地下鉄の地上を歩く会・都営新宿線の3回目その3

私も廃墟好きなんでしょうか。

頑丈に作られ分厚いコンクリ。

今時の耐用年数50年なんて、やわな感じではありません。

大島小松川公園に残された小松川閘門。

後ろから前から、右から左から、うっとりと眺めてしまいました。

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柱の間からは巻上げ機とワイヤーが見えます。

ガガガガっと水門をあげて船を通す。

ここは荒川と旧中川の合流地点。船が行き来してた。

水害を防ぐために荒川を改修(明治44年、1911)したために水位差が生じた。

これを調節して船を通すために昭和5年(1930)に設けられたのが小松川閘門。

陸運が盛んになり昭和51年(1976)に使用停止。

本来は荒川側にもあるんですが、残っているのはこちらだけです。

     rain   snow    typhoon

古びたコンクリ。風雪に耐えた存在感に圧倒されました。

門の上に生えてる枯れススキが往時をしのばせます。

本来は見上げるような高さだったが現在は3分の2が埋まってる。

近くから出た六価クロムを処理して、その上に盛り土したんです。

六価クロムについては前回触れました。こちら

口ずさんだのはこんな歌でした。

🎵築き上げた 楽園(ユートピア)は

 こわれさった もろくも 誰も見えない 廃虚の空  

 一羽の鳩がとんでる 真白い鳩が

(ザ・タイガース「廃墟の鳩」。ボーカルは加橋かつみ)

府中にある廃墟はご無沙汰してるから、近いうちに見に行こう。

米軍府中基地跡の赤茶色に錆びた巨大パラボラアンテナも見ごたえありますよ。

     rain   snow    typhoon

ここは船運の要衝地点。

行徳から江戸に塩、米、醤油などの物資を運んだ大動脈の小名木川と新川(船堀川)の連結地でもあった。

そのため小名木閘門、船堀閘門が先に作られていた。

通航量が増えたために、さらに小松川閘門が設置された。


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江戸に入る物資を監視するために船番所があった。

重の夜間の通船、女性の通航、武器武具の取り締まりなどが業務。

跡地には中川船番所資料館が立っています。

中には番所も再現されています。

2016年12月22日 (木)

商店も民家も一軒もない駅・不思議だね・東大島駅@地下鉄の地上を歩く会・都営新宿線の3回目その2

下調べであらかじめ歩いてくれた幹事さんが道すがら教えてくれました。

「東大島の駅って駅前に何もないの。公園になってるだけ。ヘンでしょ」

確かにおかしい。へっぽこ探偵の鼻がピクピク動きます。

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右側の白い建物が駅舎です。

確かに南側出口には何もない。バスの停留所があるだけ。

ロータリーがあってすぐに公園。

お店は1軒もない。ましてや民家もマンションも建ってない。

東大島から日本橋の馬喰横山駅まで11分。

こんなに交通便利なところの駅前に何もないなんてわけがあるに違いない。

近くの中川船番所資料館の受付のおばちゃん(江東区に雇われてる従業員でしょう)に、そらっとぼけて訊いてみました。

「どうして何もないの」

「さあ、わかりません」。おばちゃん、答えたくないんでしょう。


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資料館を出てちょいと行くと工事をやってます。

小松川第二ポンプ所建設工事。

「当該工事現場には、六価クロムを含んだ土壌があります」

明記してあります。

高濃度汚染土壌(六価クロム鉱さい)の処理量は約3000立方m。

(防水袋に詰めて、ポンプ所躯体内に封じ込めます

六価クロム 次汚染土の処理量約15,000立方m。

(還元処理し、構造物の埋戻し土として再利用します

なるほどそういうことですか。

六価クロム公害については聞いたことはあるが詳しくは知らない。

致死量は0.5グラムから1グラム。猛毒です。

こんな危険物を「封じ込め」たり「再利用」するんだ。いいのかなあ。


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ポンプ所建設現場の全景。

向かいの小高くなった大島小松川公園から撮りました。

六価クロム事件の発端は都営地下鉄新宿線の工事だった。

この土地は都が日本化学工業から購入した。

1973年、地下鉄工事のボウリング調査で六価クロム鉱さいが埋まっていることが判明。

都と企業はこれをどうしたのか。

捨て場所に困った両者は駅前近くに処理をした六価クロムを積み上げ、その上に盛り土をして公園にした。

それが現在の大島小松川公園。

小高くなっているのは盛り土ですか。

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もっと詳しく知りたい方は「日本化学工業」「六価クロム」で検索してください。

いっぱいヒットします。

商業施設なんて作れないんです。作るにしても六価クロムをどこかに移さなければならない。

それで一等地の駅前を仕方なく公園にしてるということです。

     bomb    bomb     bomb

でも埋めたからって終わったわけではない。

今年の初めにも東大島駅近くの路上で六価クロムを含む地下水が地上に染み出したとみられる跡が見つかった。

都は還元剤をまいて水で洗浄したが、これって単なる対症療法だよね。

地下には大量に埋まってるんだから。

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ジュリア・ロバーツがアカデミー賞とゴールデングローブ賞の主演女優賞を受賞した映画がありました。

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2000年の「エリン・ブロコビッチ」。

実在の女性の名前です。

ひょんなことから弁護士のアシスタントになったシングルマザーのエリン。

超ミニのスカートに胸の開いた服。

アッパラパーのおねえちゃんがある記録から問題の匂いを嗅ぎます。

そして大企業が有害物質を垂れ流していることを突き止める。

それが六価クロム。

渋る住民たちを説得して集団訴訟に持ち込む。

法律には素人の女性が史上最高額3億ドル余の和解金を勝ち取ってしまうんです。

ハイヒールで聞き込みに走るジュリア・ロバーツの危なっかしさが印象的だった。


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