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カテゴリー「旅行・地域」の記事

2018年11月14日 (水)

アオサギのコロニー?三宝寺池@牧野記念庭園〜石神井公園

高尾山にキッコウハグマを探しに行くはずでしたが朝の雨で断念。

バスでひばりヶ丘まで行って西武池袋線。

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久しぶりの石神井公園。

目的は野草観察園のウメバチソウ。

もう時期も遅いので花は期待できないでしょうが、あるのを確認しておこうと。

イズノシマ ウメバチソウは植物多様性センターでじっくり見たので本家も見ておかないとね。

ここの三宝寺池から石剣が出て石神井神社に祀ったことが石神井の起源だそうです。

でも普通は「しゃくじい」なんて読めませんよね。

石神を音読みして「しゃくじん」、井がついて「しゃくじい」。

稲作伝来以前からの石神信仰は信濃や関東各地に広がってます。

柳田國男も「石神問答」でこの神について追求している。

三宝寺池は国の天然記念物です。

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池の中の浮島をのぞいてる人たちがいます。

よく見ると白い大型の鳥が7、8羽。

光の加減で白く見えますがアオサギでしょう。

池で餌を漁ってるのも見かけました。

立ち入り禁止で人が来ないので鳥たちには天国。

木の上に巣を作るそうなので春になったら営巣するのかな。

一夫一婦で毎年同じカップルになるそうです。


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西武池袋線は大泉学園で下車。

牧野記念庭園をざっと一巡り。

特別展は「山田壽雄が描く園芸植物」

「牧野日本植物図鑑」などの図の制作者です。

細密な植物画にじっと見入ってしまいました。

とてもじゃないが、あんなには描けない。

牧野庭園から石神井公園はそんなに遠くない。

駅に戻って電車に乗るより歩いた方が早い。

約20分で着きました。

植物観察園は公園の端の方です。


2018年10月30日 (火)

大岡越前と豊川稲荷@地下鉄の地上を歩く会・半蔵門線の2回目その5

とらや赤坂店の真向かいが豊川稲荷です。

正式名称は豊川閣妙厳寺。れっきとした曹洞宗のお寺です。

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愛知県の本院境内に寺の守護のために荼枳尼天が祀られ、通称豊川稲荷の方が有名になった。

荼枳尼天はもともとインドの土俗の鬼霊で女身の夜叉神。

江戸に豊川稲荷を祀ったのは三河出身の大岡越前守忠相だという。

晩年に三河の1万石の大名に任命された時に分霊を赤坂の自邸に祀ったのが起源だというとされる。

忠相よりあとの1828年(文政11)だともいう。

ただ、この年に江戸の人々にも参拝が許され、大変な人気を呼んだそうです。

大岡家の屋敷は今の赤坂小学校の場所にあったが、1887年(明治20)現在地に移った。

このときに東京別院になった。

9月には大岡祭が営まれます。

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たのきんトリオのころまではジャニーズの初詣といえば豊川稲荷でした。

ファンが集まりすぎたために、その後は取りやめになったのでしょうか。

痕跡は残ってます。

赤い提灯に東山紀之、今井翼、ジャニーズ事務所の名が書かれてます。

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奥の院の参道には赤、白ののぼりがずらりと奉納されています。

このにぎにぎしさはいいもんです。


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とらやの横のビルの2階に美喜井稲荷があります。

キツネには見えません、ネコです。

注意書きがあって「この神さまにお願いする方は蛸を召し上がらぬこと

この神さまを信仰される方はなにも心配いりません」

なぜタコがダメなのか、よくわからないので謎のお稲荷さんとして有名みたいです。

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暗くなってきました。

この日はここまで。


2018年10月29日 (月)

“ダルマさん”高橋是清邸跡から新装オープンのとらや@地下鉄の地上を歩く会・半蔵門線の2回目その4

高橋是清記念庭園の奥に、いかにも人の良さそうな顔をした翁の銅像がある。

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若いころからの丸顔で、人々からダルマさんと呼ばれて親しまれた。

何度目かの大蔵大臣になった是清は健全財政主義者で、軍部の要求する予算をつねに削った。

このために2・26事件の標的になった。

兵が押し入った時、物音で起床していた白い寝間着姿の是清に中橋基明中尉は銃弾を浴びせた。

83歳の老人に7発も発射した。即死だった。

直後の大蔵大臣は紙幣を乱発したために物価が大暴騰、国際収支が悪化して国の体をなさなくなってしまった。

2・26事件で軍は戒厳令を布き、高橋家では葬儀が許されなかった。

遺体は1カ月も高橋家に置かれたままで3月26日にようやく葬儀が行われた。

今、高橋家の高橋家の母屋は小金井市の江戸東京たてもの園に移築されています。

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山脇学園の校内にある重要文化財の武家屋敷門。

八重洲大名小路にあった老中方屋敷門で1862(文久2)の火災後に当時の老中によって再建されたと見られている。

当時は120㍍にもおよぶ長大さだったが、門と左右の番所だけが移築されている。

山脇学園の九十九里臨海校舎にあったが2年前に現在地に移された。

始業式など節目の時に生徒たちはこの門から登校しているそうです。

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10月1日にリニューアル・オープンしたばかりのとらや赤坂店です。

前は通っているけど入ったことはない。

買いもしないのに入れませんから。

みんなと一緒なので堂々と中へ。

夕方ですので混雑もひと段落してました。

ガラス窓と檜の建物で落ち着いてます。


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ギャラリーでは「とらやの羊羹デザイン展」が開催中。

大正7年の菓子見本帳に描かれた450点のデザインが展示されてます。

羊羹の数の多さにびっくり。

四季や土地々々などいろんなのがあるんです。

写真は寒天溶解釜とかき混ぜるためのエンマと呼ばれたへら。


2018年10月28日 (日)

黄色くなって来たイチョウ並木など外苑散歩@地下鉄の地上を歩く会・半蔵門線の2回目その3

青山墓地を出て青山通りから少し入った所の建物。

「これは何でしょう」

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ホールとかギャラリーに見えますが。

誰かが国旗を発見。

ブラジルの大使館でした。

建物も思い切った曲線がダイナミック。

お役所くささなんか全くありません。お国柄ですね。

それよりも目を惹いたのが前に置かれているイラスト。

リオ・デ・ジャネイロの風景をコラージュしたんでしょうか。

時々変わるようです。


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ここに東京ボウリングセンターがありました。

神宮球場と秩父宮ラグビー場の間。

当時は倒れたピンを並べるのはピンボーイの仕事。

20レーンで何と50人のピンボーイがいたそうです。

昭和40年台には大ブームになりました。

大橋巨泉の「11PM」でも取り上げてたよね。

1952年(昭和27)のオープンですが現在はスポーツ施設になってます。


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新国立競技場の工事が急ピッチで進められてます。

来年の11月には完成の予定です。

前回の東京大会はサッカーのボールボーイをつとめたっけ。

対戦国は覚えてません。

甲州街道ではアベベの雄姿を生で見ました。

マラソンがあんなに速いものとは知りませんでした。


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イチョウ並木は先の方が黄色くなってました。(10月21日)

青山口から絵画館の方へ1㍍下がってる。

約300㍍に146本が9㍍間隔で植えられていて、遠近法を活用し勾配に合わせて植える木の高さに高低差をつけたそうです。

今でもそのように剪定してるのでしょうか。

全部の高さがそろってるようにみえます。

奥に見えるのが絵画館。

明治維新150年記念の特別展「明治日本が見た世界」を開催中。

入館しましたが駆け足で回ってしまいました。

2018年10月27日 (土)

大久保利通に護衛をつけなかった警視総監川路利良も近くに眠る・青山霊園@地下鉄の地上を歩く会・半蔵門線の2回目その2

大久保を狙っているものがいるというウワサは内務省にも入っていた。

征韓論を唱えた西郷が大久保にやぶれて鹿児島に帰ったために全国の士族の反感は大久保に集まっていた。

内務省では大久保に護衛をつけよと言ったが大警視(現在の警視総監)は黙殺した。

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大久保が襲われたのは西南戦争の8カ月後だった。

川路はなぜ護衛をつけなかったのか。

薩摩人が護衛などつけたら国元から嘲笑されるとでも考えたのか。

(司馬遼太郎は「街道をゆく33」でそのように書いている)

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上野英三郎教授の墓域の一角に忠犬ハチ公の碑が建ってます。

明治のそうそうたる人物のお墓を訪ねている中でホッとします。


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祠もあります。

小さなぬいぐるみがかわいい。


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小村寿太郎。

不平等条約を改正した外務大臣。


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東芝の創業者田中久重。

1875(明治8)、東京・銀座8丁目に新しい工場兼店舗を構えたのが東芝の始まり。

「万般の機械 考案の依頼に応ず」の看板が掲げられたという。

今や巨額損失で経営危機に陥ってしまいました。

不正データの問題など日本の経済界全体がおかしなことになってます。

どこかで立ち止まって考え直す時期なんでしょう。


 

2018年10月26日 (金)

馭者と馬の墓もある大久保利通のお墓・青山墓地@地下鉄の地上を歩く会・半蔵門線の2回目その1

秋晴れの21日、表参道駅集合です。

この日は赤坂見附あたりまで歩く予定です。

いつもより参加者が少なく16人。

なんでも早大のホームカミングデーというのがあってOGはそっちに行ってから遅れて駆けつけるのだとか。


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昨年末にオープンしたエイベックスの本社ビルです。

17階建てなので青山通りの反対側まで行かないと全体が入りません。

フランチャイズの貸しレコード屋から始まって一大エンタテインメント企業に成長。

その発展は驚くばかりです。


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エイベックスが青山の今を象徴しているが、こちらは青山の歴史。

孟宗竹が都会の喧騒を忘れさせてくれる梅窓院。

美濃郡上藩主青山幸成の火葬地に建立されたお寺です。

幸成の父、忠成が徳川家康から、この地一帯を拝領したのが青山の地名のはじまり。

江戸初期に北青山家から南青山家が分立。

次に訪ねる青山霊園も南青山家の下屋敷跡につくられた。

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というわけで青山霊園。

各界の著名人が眠ってます。

池田勇人元首相です。

経済が右肩上がりだった時の首相ですが、大蔵大臣の時に「貧乏人は麦を食え」発言で非難されました。

我が家は白米じゃなくて麦が入ったご飯を食べてました。

正2位大勲位です。首相でも正1位にはならないのか。

正1位は関白や太政大臣、征夷大将軍などに贈られるもので生前に贈られたのは三条実美を最後に叙位の例がないそうです。

織田信長と豊臣秀吉には大正時代の1917年に正1位が追贈されている。

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明治になって青山、雑司が谷、染井、谷中に公共墓地が開設されたのは神仏分離と関係があります。

神祇官や華族も京都から大勢移って来た。

神式の葬儀が増えたが既存の墓地は寺院の所有であり埋葬する場所が確保できなかった。

そこで神葬祭用の墓地確保を東京府に指令。

これが公共の青山霊園などになっていくのです。

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大久保利通の墓です。

中国由来の「亀趺墓(きふぼ)」で亀が竿石の下にある。

1878(明治11)年、紀尾井坂で暗殺。

「西郷どん」ではどんな描き方をされるのか。

西郷と比較して冷徹だったと言われるが、

「その後、大久保ほどに格調の高い人格と識見と実行力を備えて、

しかも清廉だった首相は近代史の中で見出すことは、困難である」(「街道をゆく 33」)と司馬遼太郎は評している。

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「馭者と馬のお墓もあるよ」

通りかかったおじさんが教えてくれました。

「中村太郎の墓  大久保家・馬の墓」

馭者台にいた中村も難にあい命を落とし、馬も斬られた。

こうして手綱を握っていた中村と馬は大久保公に寄り添うように隣の区画で眠ってます。

大久保家の遺族の暖かさが伝わって来ます。


2018年10月24日 (水)

天狗党異聞・筑波を脱出して八溝山へ@茨城県の最高峰・その6

天狗党の最後は哀れとしか言いようがありません。

加賀藩に降伏した一行が収容されたのがニシン小屋。

冬の最中に暖房もなく病死するもの20数人。

さらに武田耕雲斎ら352人が処刑された。

この本体とは別に“激派”と呼ばれた別働隊があったんですね。

彼らが立てこもったのが八溝山です。

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八溝嶺神社を見下ろしました。

古くは坂上田村麻呂が、この山に陣を置いて大勝したので手厚く祭事を行ったという。

弘法大師も神殿を修復して霊地と定めた。

由緒ある社です。

さて天狗党。

尊王攘夷を唱える藤田小四郎らは1864年(元治元)3月、筑波山で挙兵したが方針を巡って四分五裂に。

本体は京都を目指したが田中愿蔵ら300数十人は八溝山を本拠と定め再挙を図った。

その時に八溝嶺神社の高梨別当に食料の準備を頼んだ。

(代々宮司をつとめている高梨家はこちらに登場してます)

しかし田中隊が山頂に到着してみると社殿にあったのはわずかに籾3俵。

後難を恐れた高梨家はいち早く逐電していたという。

これではどうしようもない。

多くの兵は3日も食わずに過ごしたという。

ついに隊を解散して下山。

棚倉藩に捕らえられたのは24人。捕縄のまま桜の木に引っ掛けられてつるし切りにされた。

(田中隊については福島県棚倉町観光協会のHPより)


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北風を避けて神社前でお昼にしてたらもう3時。

帰りのバスは5時です。急いで下山します。

別当寺だった日輪寺です。

住職がいらっしゃって山ガールは朱印をいただいてました。

登山道とは別に県道28号も山頂まで通じていて、参拝者用に作られたものです。

かつては月輪寺もあって両寺が修験の霊場となっていた。

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ワサビ田の跡です。

豊富な湧き水があったんでしょう。

先を急ぎます。


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夕日が沈みます。

♫ 夕陽が沈む 夕陽が沈む

  うれしそうに  夕陽が沈む

  明日の幸せ  ささやきあえば  (フォア・ダイムズ「夕陽が沈む」

4時半です。

バスにはギリギリ間に合いそうです。

  
  

2018年10月23日 (火)

360度視界よし!ようやく山頂@八溝山(茨城県の最高峰)その5

銀性水からほどなくして1022メートルの山頂。

登山口から2時間半と少しで着きました。

空は晴れてます。

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山頂の標識は福島県棚倉町が建てたもの。

画面手前に三角点があり、そこは茨城県なのでしょう。


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お城のようなものが立ってます。

展望台です。

100円也という記述もあったが無料で上がれます。

360度見渡せます。素晴らしい。


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とんがった山は会津磐梯山でしょうか。

正しければ右に安達太良山。その奥に吾妻山。

条件が良ければ富士山も望めるそうです。

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こちらは那須の山々。

登ってきたかいがあるというものです。


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山頂のアザミ。

種類はわかりません。

時間はもう2時半。

お昼にします。


2018年10月22日 (月)

水戸光圀も賞美した金性水@八溝山(茨城県の最高峰)その4

八溝ですから湧水が豊富でいくつかの沢が流れてます。

沢は八溝川の源流となり、やがて久慈川へと注いでいく。

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キバナアキギリ。

山で見ると花弁の色合いが違うんです。

公園で見慣れてるけど、思わずカメラに収めたくなる。


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旧登山道(参道)近くに八溝川湧水群が点在しています。

最初に出会ったのが金性水((きんしょうすい)。

わずかですが樋を伝って流れ落ちてます。

湧水群には他に銀性水、鉄水、龍毛水、白毛水があって、名付けたのが水戸黄門とされてます。

湧水群の中で光圀が特に好んだのが、この金性水。

じゃあ、いただきましょう。

「やわらかくてうまい」先に飲んだ仲間の感想。

なるほど。あたりが柔らかいですね。

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近くに高梨家屋敷跡の碑があります。

八溝嶺神社の代々の宮司さんの屋敷があったんですね。

この湧水も守ってたんでしょう。

帰途で見ましたがワサビ田もありました。

でも3、4代前の宮司が山あいの南向きの地で稲作を試みたが一粒も実らなかったそうです。

(「日本の神々 神社と聖地11 関東」より)

寒さが厳しいんです。

「たかなし」と検索したら「小鳥遊」が最初に出てきた。

テレビの影響は大きいね。

米倉涼子主演「リーガルV」の主人公の名字です。

元は高梨だったが、それじゃ面白くないので、鷹がいなければ小鳥も遊べるだろうと変更したとか。


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紅葉はまだでした。

色づいてるのは数本だけ。

参道から脇に入った龍毛水に向かう山道です。


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銀性水は枯れてました。

ここまでくれば山頂までもう一息です。


2018年10月21日 (日)

オヤマボクチにツルリンドウの赤い実@八溝山(茨城県の最高峰)その3

まだまだ秋の花が続きます。

うれしくなっちゃう。

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ツルリンドウの赤い実が目立ちます。

高尾山の一丁平で見かけただけだから久しぶり。

咲いてるところも見たかったな。

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1時間ほど登ったので小休止。

水分補給とアメ玉などをいただいてお腹を我慢させます。

12時半を回ってます。

オヤマボクチのでっかい花が異彩を放ってます。

迫力があります。

向こうに見える舗装道路が林道です、

旧登山道は時々、林道と交差、あるいは合流してます。


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これは名前がわかりません。

咲き方はアザミの仲間のようですが、葉が長卵形。

トゲもありません。

葉の感じはセイタカトウヒレンみいたいですが茎に翼があるのかどうか。

それに花が紫ではなくて白っぽい。

答えが見つかるまでずっと悩んでるのも悪くない。

わかった時は実にスカッとする。


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少しだけ休んで出発です。

ひたすら歩きます。

中腹からは花も少なく立ち止まったりしないのに遅れがちです。

半分くらいは登ったでしょう。

もうひと頑張りです。


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