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カテゴリー「文化・芸術」の記事

2019年7月10日 (水)

ただ見つめるだけ・・原爆の図 丸木美術館@埼玉県東松山市

赤ん坊を抱いた母親が乳を与えようとしている。

周りは死体の山です。

添えられた文には、こうありました。

「傷ついた母と子は、川をつたって逃げました。(略)のがれのがれて、ようやくここまできたのです。

乳をのませようとしてはじめて、わが子のこときれているのを知ったのです。」

(「水ー第3部」)

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志木市で田子山富士塚に入山したあとは志木駅から東武東上線に乗ってつきのわ駅。

森林公園駅の1つ先です。

丸木美術館は歩いて30分。東松山駅からバスもあるんですが、なにせ本数が少ない。

歩いた方が確実です。

「原爆の図」は教科書で知ってますが、実物は見たことがない。

丸木美術館の所在地は知ろうともしてこなかった。

志木に行くんだったら丸木美術館もという立案者のすてきな計画です。

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美術館前の原爆観音堂に丸木スマさんの色紙が掲げられていました。

スマさんは位里さんの母親で70歳を過ぎてから絵筆をとりました。

「ピカは人が おとさにゃ おちてこん」

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美術館南を流れる都幾川。故郷の風景に似ているというので丸木夫妻はここにアトリエを構えた。

「家を失った人びとは、竹やぶへのがれていったのです。そうして次々と息を引きとっていきました。

(略)屍の片づけをする人もなく、九月に入って台風となり、たくさんの屍たちは海へ流れていきました」

(「竹やぶー第七部」)

🌔

美術館では「原爆の図保存基金」を立ち上げ寄付を募ってます。

新館建設、アーカイブの整備などにあてられます。

詳しくは丸木美術館HPhttp://www.aya.or.jp/~marukimsn/

🌕

バスの時間に合わせて退館し、東松山駅。

やきとりの街なんです。

混むそうなので「やきとりひびき 東松山本店」に予約をしてあります。

 

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東松山市のホームページには『東松山市のやきとりは、豚のカシラ肉を炭火でじっくり焼いたものをいいます。

そして、辛味の効いた「みそだれ」をつけて食べる、これが「やきとり」なのです』。

駅中心に50軒も店があるそうです。

「ひびき」のおすすめは「かしら串」。弾力ある歯ごたえ、噛むほどに出るコクとうまみが特徴。

そして「彩の国黒豚」を使った特上やきトン串」

はじめて食べましたが、なるほどうまい。

ピリ辛の味噌との相性が抜群です。

お腹いっぱいに食べて飲んで大満足。

帰りは川越市駅で乗り換えて西武新宿線の本川越。

いいこんころもちでご帰還しました。

 

 

 

 

2019年1月14日 (月)

与野と浦和、2つの成人式に出席した安住紳一郎アナ@TBSラジオ「日曜天国」

13日の放送は安住アナ自身の成人式の思い出。題して「ハレの日の孤独」

安住アナはなんと与野市と浦和市の2つの成人式に出席していた。

明大に入学した安住さんは、住民票を移していた埼玉県与野市から成人式の招待状が届いた。

生まれは北海道ですから当然、同級生も顔見知りも誰一人としていない。

こんな時は普通、パスしますよね。

それでも敢然と出るのが安住さんらしいところ。

10年前の放送の再録ですが、とっても面白かったので紹介。

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勧められるままに最前列に座ったはいいが、周囲は久しぶりに顔をあわせる同級生らと楽しそうに談笑している。

20歳の安住青年は、ひとり孤独をじっと噛みしめ続けていた。

記念品は小さな鉢に入ったサボテン。

帰りの電車で膝に置いたサボテンを見ながら心の中で号泣していたという。

ここまでならまあ、都会の孤独。

家に戻った青年は、午後から式の行われる浦和に出かけた。

どうして浦和が午後だと知ってたんでしょう。

普通知りませんよね。

この辺の不思議さが安住アナらしいところ。

テレビじゃ見せない本音が出てくるのがラジオのフレンドリーなところ。

招待状は当然持ってないが、なぜか入場できたという。

こちらでも最前列に陣取り、都会の孤独は忘れ去って「君が代」を大声で斉唱したとか。

与野市からいただいたサボテンは実家で育ててもらってて、なんと花が咲いたという。

検索したら、この放送を書き起こしている方がいました。

興味のある方はこちら

私は成人式には出席してません。

生意気盛りだったですから。

何をしてたのか覚えてません。

家で寝転がってテレビでも見てたのかなあ。

2019年1月 1日 (火)

迎春2019 千両万両有り通しですこやかに

いつもつたないブログにお寄りいただきありがとうございます。

みなさまがこの一年、すこやかにお過ごしされることを願っております。

元日なのでおめでたい植物でごあいさつ。

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マンリョウ。

実つきがいいです。

悪食のヒヨドリもまだ食べに来てません。

他に食べるものがなくなると集団でやって来て、いつの間にか消えています。


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センリョウ。

マンリョウ、百両(カラタチバナ)、十両(ヤブコウジ)はサクラソウ科ですが、これはセンリョウ科。

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アリドオシ、一両。

アカネ科アリドオシ属。

3つ揃ってセンリョウ、マンリョウ有り通しで、お金に困らない。

まあ、千両も万両もなくても食べていけるだけあればいいですけど。

あいも変わらず季節の花や都内散歩、高尾山ハイクなど判で押したように同じ題材を取り上げてます。

ああ、あの花が咲く季節になったんだ・・とカレンダーがわりにお読みいただければ幸いです。

年年歳歳 花相似たり

歳歳年年 人同じからず

言を寄す 全盛の紅顔の子

応に憐れむべし 半死の白頭翁


毎年、同じように花は咲いてくれるが、あの人はもういない。

花と違って人は齢を重ね、気がついたら白髪の爺さんになっている。

若者たちよ、青春を精いっぱい生きよ。


2017年10月18日 (水)

「埴輪 盛装の男子」なども駆け足で@東京国立博物館 平成館

特別展「運慶」はたっぷり2時間以上は堪能しました。

根が貧乏性ですから平成館ものぞきます。

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群馬県太田市の四ツ塚古墳出土の「盛装の男子」。

山高帽をかぶって、髪は太く結った美豆良(みずら)。

大きく開いた上着の裾がスカートみたいで印象的。

6世紀にこのあたりを支配していた豪族の有力者がモデルとみられています。

毛野氏の一族でしょう。

太田市には東日本最大の太田天神山古墳を初め大小800基もの古墳が確認されている。

古墳だらけのイメージだな。

5世紀ごろからの毛野氏がどのくらいの勢力を誇っていたのか。

隣の埼玉にはさきたま古墳の有力者がいるので境を接していたのか。

争いはあったのか、それとも大和朝廷に従って、それぞれの地域を治めていたのか。

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古代から江戸へ。浮世絵もざっと鑑賞。

広重の「本朝名所 信州更科田毎の月」があるじゃないですか。

「田毎の月」と命名されたバラは何度も紹介しています。

棚田に月が写ってます。

実際には一度に田ごとに月が写るなんてことはないですよ。

ゆっくりと歩いて行くと月が次の田に移動する。

つまり瞬間ではなくて時間経過で描いてる。


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さて、次回はどれにしようかな。

近頃、NHKがドラマやドキュメントで煽っているので北斎が気になります。

21日から国立西洋美術館で「北斎とジャポニスム」。

北斎漫画の力士と、ドガの「踊り子たち ピンクと緑」が巨大看板に描かれてます。

ポーズが似てます。

ドガもどのように北斎の影響を受けているのか確かめに行きましょうか。


2017年10月17日 (火)

運慶晩年の傑作、国宝「無着菩薩立像」 特別展「運慶」 @東京国立博物館

特別展のハイライトはいずれも国宝の四天王立像と兄弟の無着菩薩立像、世親菩薩立像が立ち並んだ部屋。

圧倒されました。

こんな世界に足を踏み入れたら思わずひれ伏してしまうでしょう。

そんな荘厳さに打たれて、じっくりとひたってました。

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解説によると、焼失する前の興福寺北円堂での配置を再現したそうです。

左右に両菩薩、その奥に四天王。

そして中央には弥勒菩薩があったとされてるそうです。

弥勒の代わりに大きなパネルが飾られてます。

それでも、空間の迫力に圧倒されっぱなし。

これが法悦ってものなのか。

お寺の法要では、ろくすっぽ坊さんの説教も聞かないバチあたりですが、仏のありがたさの万分の一かを味わった気分でした。

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特に無着(右)の顔に引き込まれました。

もう邪気なんて微塵もないです。

それでいて、どこかにいそうなおじいさん。

無着と世親は釈迦入滅後、1000年を経た5世紀ごろ北インドで活躍した兄弟。

法相教学を確立しました。

2メートル近い高さで、体も分厚い。

「昔のインドの高僧の偉大さを、圧倒的な立体の存在感で表そうとしたものと思われる」

(朝日新聞、10月12日、18ページ)

運慶の指導のもとに無着は六男の運助、世親は五男の運賀が彫ったという。

でも解説では「最近は運慶の作とする」となってました。

運慶が自身で掘り、息子たちは手伝ったということなんでしょうか。

そこのところはよく知りません。

いずれにせよ運慶晩年の傑作。

そして日本肖像彫刻の最高傑作とされてます。

「後ろに回った際に見える、左胸後部の精密な留め具も印象的だ」(同上)

見落としてます。

いつもそんなもんです。

2017年10月16日 (月)

やさしいお顔のお地蔵さん・地蔵菩薩坐像 特別展「運慶」@東京国立博物館

秋晴れのある日、上野の特別展「運慶」で傑作の数々にたっぷりとひたってきました。

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現存31体(推定も含む)のうち22体がそろっているんだから見ておかないとね。

鑑賞眼はゼロですので、最高峰の美術品に触れておくだけ。

そのうち何かを感じるでしょう。

花も見たり教わったりしてるうちに、なんとなく理解が深まってくる。

まずははじめの一歩の場数踏み。

平日の午前11時ごろに到着。

行列もなくすんなりと入場。


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もっとも心惹かれたのが、これです。

なんてやさしい顔のお地蔵さんなんでしょう。

すべてをお見通しで包み込んでくれそうです。

六波羅蜜寺にある地蔵菩薩坐像。

もちろん運慶の作です。

ほぼ真っ直ぐだが、わずかに目尻が上向き。

ふくよかなほほ。

服のひだの彫りが深く、すぐにでも立って頭をなでてくれそう。

六波羅蜜寺は口から阿弥陀様が現れる空也上人立像で有名です。

運慶の4男康勝の作。


地蔵菩薩坐像はもともとは六波羅蜜寺の塔頭、十輪院にあったもの。

十輪院が消失した際に救出されて六波羅蜜寺に移された。

十輪院は運慶の一族の菩提寺で、もともとは地蔵菩薩の両脇に運慶と長男湛慶の像が置かれていたという。

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小首をかしげた顔につぶらな瞳がなんて可愛いんでしょう。

仏様だけではなくて、こんなのも彫ってるんですね。

れっきとした重要文化財ですよ。

変化球からいきます。

ど真ん中の直球・最晩年の傑作、国宝「無着菩薩立像」は後回しです。

京都栂尾の高山寺の所蔵。

湛慶作と伝えられています。

高山寺を再興した明恵は動物を慈しみ、しばしば夢に子犬が現れたという

この子犬は明恵が常にそばに置いてかわいがった子犬だそうです。

高山寺には国宝、重要文化財がたくさんあるが、もっとも有名なのは「鳥獣人物戯画」。

現在は東京国立博物館に寄託されています、


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この童子は何に心打たれてるんでしょう。

純粋な魂が生き生きとした瞳に宿ってます。

私にもこんな無垢な頃があったんでしょうか。

じっと見てると、そんな頃に戻っていくような気になってました。

子犬と通じるものがあると思いませんか。

そう、これも湛慶の作です。

高知の雪蹊寺にあります。

運慶と湛慶がこの寺に滞在して運慶は本尊の薬師如来像と脇侍の日光、月光菩薩像を制作。

湛慶は毘沙門天像と吉祥天女像、そしてこの善膩師(ぜんにし)童子を彫像。

童子が見つめていたのは薬師如来様だったんですね。


2017年3月16日 (木)

ようやく出版「黒島の女たち」・鹿児島県黒島に惹かれた夫と妻の記録

黒島といってもほとんどの人は知らないですね。

鹿児島港からフェリーで約6時間。人口は200人に満たない小さな島だ。

映画監督の夫は、この島にひかれ命を削ってまでのめり込んでいった。

妻は夫の残した記録をもとに自費出版の書籍を作った。

リレーで黒島に出会った2人になにがあったのか。

著者の城戸久枝さんは、黒島にとりつかれた2人をたどっていくことで「戦争の記憶を語り継ぐ」大切なものに気づかされていく。

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タイトルは「黒島の女たち 特攻隊を語り継ぐこと」(文藝春秋)となっているが、

普通の主婦だった小林ちえみが夫・小林広司の遺志が乗り移って出版にこぎつけ、

その後も黒島の人たちとの交流を続けていく後半にこそ狙いがある。

城戸さんはちえみのことを

「いまはもう、彼女は『黒島の女』となっている」

と見ている。

ちえみを駆り立てたものに城戸さんが迫っていく。


「ペコロス」に続いて自費出版本が映画に・・「黒島を忘れない」・その1

えらい!無一文で夫の遺稿を出版・・「黒島を忘れない」・その2

孤絶の島に特攻機が不時着・・今秋撮影開始の映画「黒島を忘れない」・その3

来年はちえみちゃんが時の人ーーかも・「黒島を忘れない」映画化に次いでノンフィクションも・その4

                     

ちえみちゃんが自費出版にこぎつけるまでと、小林広司さんがドキュメント「黒島を忘れない」を撮影する中で黒島にのめり込んでいったことは、4回にわたって紹介しました。


ドキュメントに接した城戸さんはまた黒島を探る旅に出る。

孤島に起こった戦争。

そのことを島の人々は長い間、語ってこなかった。

マスコミによって報道されたのは実に77年(昭和52)だった。

読売新聞によって黒島と特攻隊員の交流が知られることになった。

後にこれを知った広司さんは島に渡ってドキュメンタリーを制作。

04年8月15日にフジテレビで放送されたことで仕事は終わりのはずだった。

だが彼は部屋にこもって黒島の物語の執筆に没頭していく。

残された黒島の記録、ちえみには出版なんて考えは毛頭なかった。

城戸さんはちえみへの取材を重ねる中で自問自答していく。

戦争の記憶を語り継ぐとはどういうことかと。

そのことへの「架け橋」。

「自らの命を削って島に向き合い続けた広司と、広司を看取ったあと、経済的に困窮してまで、黒島の記憶を残そうとしたちえみ−−。

二人はまさに、そのような存在だった」

「黒島の物語を語る彼女の言葉には不思議なほど説得力があった。そして、愛にあふれていた」

                   

苦労なんてなんでもないさ、貧乏なんてへっちゃらよ。

天性の明るさを備えたちえみの飾らない言葉の一つ一つに城戸さんも惹かれていったのだろう。

だからこのノンフィクションには過酷な体験はあったにせよ悲惨さは登場してこない。

城戸さんの父親は元中国残留孤児。

父親への思いは「あの戦争から遠く離れて 私につながる歴史をたどる旅」として出版された。

孤島に起こった「あの戦争」の別の側面にのめり込んでいった夫と妻。

そこには「悲惨さ」や「英雄視」とは違った「あの戦争」が確かに存在した。

城戸さんもまた「黒島の女」になりつつあるのかもしれない。


                      

「黒島を忘れない」の映画化は仕切り直し中みたいです。

お金がかかりますからね。

2015年9月29日 (火)

都内初の伊豆の長八展@武蔵野市立吉祥寺美術館

左官屋さんがこねた漆喰を器用に壁に塗っていくのを見るのが好きでした。

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左手に持った板に漆喰を乗せ、右手のコテで少しずつ取っては塗っていく。

最後にコテでならすと塗り跡も残らず白い壁が完成。

職人さんはえらいなと尊敬してました。

そのコテで絵を描き、塑像を造って芸術の域に達したのが伊豆の長八です。

最初に長八の名を知ったのは伊豆の松崎に海水浴に行ったとき。

もう何十年も前です。

そのときには多分、伊豆の長八美術館には行かなかった。

        

長八は本名入江長八(1815〜1889)。

幕末から明治初めに江戸、東京で活躍した伊豆松崎出身の左官です。

漆喰壁にコテを使って浮彫と彩色を施した装飾は「鏝絵(こてえ)」と呼ばれ、長八はその第一人者です。

             

開催中なのは知ってたんですがぐずぐずしてたら小平の☆さんから興奮冷めやらぬメール。

背中を押されていってきました。

「生誕200年記念 伊豆の長八ー幕末・明治の空前絶後の鏝絵師」

↓これをご覧ください。二見が浦です。


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沈む夕陽の左に富士山。

これは絵はがきを複写したものですのでコテ技法は分からないです。

寄せる波、松の細かな枝はしっかりと書き込まれてます。

びっくりしたのは人物。

海辺に砂粒みたいな点があるでしょ。

これが人物なんです。

実物では老若男女はもちろん、着物まで描き分けてるのが分かるんです。

ただただ感嘆しますよ。

会場の外に弟子が使ったコテが展示されてました。

私ゃ、壁塗りの20㌢くらいなのしか知りませんでしたが、1、2㌢のものまである。

入場料はなんと100円(65歳以上無料)。武蔵野市は太っ腹です。

買い物ついでに寄ってみる価値は大です。

私が気に入ったのは波だけを描いた「漣の屏風」。伝長八作の「清水次郎長肖像」は鏝絵とは思えない渋さ。

傑作といわれる「神農像」の細かい細工もすばらしい。


2015年7月26日 (日)

「祖国よ、オレは生きて帰ったぞ」城戸幹さんの叫び

城戸幹さん(73)と娘の城戸久枝さん(39)の講演会があるというので四谷まで出かけた。

主催は上智大学総合グローバル学部・蘭(あららぎ)研究室。

戦後70周年特別講演会「満州引き揚げ、中国残留を問い直す」で、決死の覚悟で満州を脱出、在満日本人の惨状を訴えた丸山邦雄さんの三男ポール丸山さん(73)の話も聞ける。

なあに、城戸久枝さんの取材を受けてる「黒島」のちえみちゃんから誘いを受けたので出かけたんです。

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まずは丸山さんから。

全く知らなかった。満州引き揚げの戦後秘話。

敗戦直前に侵攻してきたソ連は満州を封鎖。

情報は全く閉ざされてしまった。

惨状を訴えようと3人の無名の日本人が決死の覚悟で満州を脱出。

日本政府に訴えるが首を横に振るばかり。

そこでGHQに直訴してマッカーサーから「DO MY BEST」の答えをもらう。

そして1946年4月17日、NHKラジオで状況を国民に訴え、これが満州の日本人にも伝わった。

翌日、GHQが引き揚げ開始の命令を出したんだそうです。

詳しくはポール丸山さんの著書「 ESCAPE FROM MANCHURIA」(邦訳「満州奇跡の脱出」柏艪舎)をご覧ください。


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「幸福な家庭はいずれも似たものであるが、不幸な家庭は、それぞれに不幸なものである」

いきなりトルストイ「アンナ・カレーニナ」の一節を引いた城戸幹さん。

「不幸の者の一人です」と語り始めた。

日本に帰ってから45年経つのに、まだ背負った不幸は消し去れないのかと重く響く。

混乱の中、中国人の養父母に育てられた幹さん。

日本人である故に大学に進学出来ず、日本赤十字などに手紙を出すが両親が分からない。

判明するまでに8年、そして文化大革命で3年の足止め。

「ムダに過ごした11年」と失われた大事な青年期を振り返る。

城戸幹さんについては著書「瞼の媽媽 自力で帰国した残留孤児の手記」(文春文庫、「孫玉福39年目の真実」改題)を。

「文革の恐怖と戦った日本人・『孫玉福』39年目の真実」で紹介してます


城戸久枝さんは、幹さんの半生を通して「満州国」「あの戦争」について考えさせらざるを得ない。

中国に留学してたどった父親の半生、まだ幼い自分の息子に「あの戦争」をどのように伝えて行くのかなどについて語った。

詳しくは、大宅壮一ノンフィクション賞などを受賞した「あの戦争から遠く離れて」(文春文庫)をどうぞ。

ドラマ化したNHK「遥かなる絆」の感想はこちら

2015年6月10日 (水)

「やきそばエクスプレス」に乗って田貫湖へ@静岡県富士宮市

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富士宮名物の名を冠した高速バスです。

ヤキソバの絵かと思ったら富士山でした。

普通は新幹線、東海道線、身延線を乗り継ぐんですが、集合時間にぴったりのバスが東京駅から出てる。

東名で富士山を眺めながらのバス旅もしてみたかった。

料金も休暇村富士まで3090円と割安。

鉄道だと富士宮まで新幹線利用で4320円、富士宮ー休暇村のバスが840円。

この差は大きいですよ。

小田急組も富士宮まで2000いくらとかいってたな。

JRは高いです。


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バスの乗客は半分以下。ゆったりです。

足柄あたりから富士山がぐんぐん迫ってきます。

裾野を東から西へ走りますから形が変わって見えます。

左に見えてた宝永山が静岡に入るとちゃんと右になる。

それにしても雪が少ないね。

あれは去年だったかな。

5月ごろに5、6合目くらいにいく予定だったグループが雪が多いので筑波山に変更してた。

このくらいの積雪だったら6合目なら楽勝でしょう。

富士山の手前にあるのは大石寺の山門です。

昨秋に参詣しました。何か工事をしてるみたいで目隠しがしてありました。


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この日(6月5日)の泊まりは休暇村富士。

人気の宿です。

予定通りに午後1時18分に到着。

新幹線、小田急組は路線バスの都合で30分後くらいに到着。

休暇村のロビーからみた田貫湖と富士山。いいとこでしょ。

条件が良ければ逆さ富士が見られます。

部屋に荷物を置いてみんなと田貫湖を1周。

あいにく雨が落ちてきて富士山も雲隠れでしたが、遊歩道にはコアジサイが満開。

1時間ほどの散策後は温泉にドボン。

「富士山の見えるところに温泉はない」とかいわれてたそうですが、地下を深く掘ったんです。

夕食を待ちながらビールでのどをうるおす。

バイキングですが品数も多く目移りしてあれもこれもお皿に。

食べ過ぎてしまいました。根が卑しいねえ。


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