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カテゴリー「文化・芸術」の記事

2017年3月16日 (木)

ようやく出版「黒島の女たち」・鹿児島県黒島に惹かれた夫と妻の記録

黒島といってもほとんどの人は知らないですね。

鹿児島港からフェリーで約6時間。人口は200人に満たない小さな島だ。

映画監督の夫は、この島にひかれ命を削ってまでのめり込んでいった。

妻は夫の残した記録をもとに自費出版の書籍を作った。

リレーで黒島に出会った2人になにがあったのか。

著者の城戸久枝さんは、黒島にとりつかれた2人をたどっていくことで「戦争の記憶を語り継ぐ」大切なものに気づかされていく。

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タイトルは「黒島の女たち 特攻隊を語り継ぐこと」(文藝春秋)となっているが、

普通の主婦だった小林ちえみが夫・小林広司の遺志が乗り移って出版にこぎつけ、

その後も黒島の人たちとの交流を続けていく後半にこそ狙いがある。

城戸さんはちえみのことを

「いまはもう、彼女は『黒島の女』となっている」

と見ている。

ちえみを駆り立てたものに城戸さんが迫っていく。

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「ペコロス」に続いて自費出版本が映画に・・「黒島を忘れない」・その1

えらい!無一文で夫の遺稿を出版・・「黒島を忘れない」・その2

孤絶の島に特攻機が不時着・・今秋撮影開始の映画「黒島を忘れない」・その3

来年はちえみちゃんが時の人ーーかも・「黒島を忘れない」映画化に次いでノンフィクションも・その4

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ちえみちゃんが自費出版にこぎつけるまでと、小林広司さんがドキュメント「黒島を忘れない」を撮影する中で黒島にのめり込んでいったことは、4回にわたって紹介しました。


ドキュメントに接した城戸さんはまた黒島を探る旅に出る。

孤島に起こった戦争。

そのことを島の人々は長い間、語ってこなかった。

マスコミによって報道されたのは実に77年(昭和52)だった。

読売新聞によって黒島と特攻隊員の交流が知られることになった。

後にこれを知った広司さんは島に渡ってドキュメンタリーを制作。

04年8月15日にフジテレビで放送されたことで仕事は終わりのはずだった。

だが彼は部屋にこもって黒島の物語の執筆に没頭していく。

残された黒島の記録、ちえみには出版なんて考えは毛頭なかった。

城戸さんはちえみへの取材を重ねる中で自問自答していく。

戦争の記憶を語り継ぐとはどういうことかと。

そのことへの「架け橋」。

「自らの命を削って島に向き合い続けた広司と、広司を看取ったあと、経済的に困窮してまで、黒島の記憶を残そうとしたちえみ−−。

二人はまさに、そのような存在だった」

「黒島の物語を語る彼女の言葉には不思議なほど説得力があった。そして、愛にあふれていた」

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苦労なんてなんでもないさ、貧乏なんてへっちゃらよ。

天性の明るさを備えたちえみの飾らない言葉の一つ一つに城戸さんも惹かれていったのだろう。

だからこのノンフィクションには過酷な体験はあったにせよ悲惨さは登場してこない。

城戸さんの父親は元中国残留孤児。

父親への思いは「あの戦争から遠く離れて 私につながる歴史をたどる旅」として出版された。

孤島に起こった「あの戦争」の別の側面にのめり込んでいった夫と妻。

そこには「悲惨さ」や「英雄視」とは違った「あの戦争」が確かに存在した。

城戸さんもまた「黒島の女」になりつつあるのかもしれない。


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「黒島を忘れない」の映画化は仕切り直し中みたいです。

お金がかかりますからね。

2015年9月29日 (火)

都内初の伊豆の長八展@武蔵野市立吉祥寺美術館

左官屋さんがこねた漆喰を器用に壁に塗っていくのを見るのが好きでした。

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左手に持った板に漆喰を乗せ、右手のコテで少しずつ取っては塗っていく。

最後にコテでならすと塗り跡も残らず白い壁が完成。

職人さんはえらいなと尊敬してました。

そのコテで絵を描き、塑像を造って芸術の域に達したのが伊豆の長八です。

最初に長八の名を知ったのは伊豆の松崎に海水浴に行ったとき。

もう何十年も前です。

そのときには多分、伊豆の長八美術館には行かなかった。

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長八は本名入江長八(1815〜1889)。

幕末から明治初めに江戸、東京で活躍した伊豆松崎出身の左官です。

漆喰壁にコテを使って浮彫と彩色を施した装飾は「鏝絵(こてえ)」と呼ばれ、長八はその第一人者です。

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開催中なのは知ってたんですがぐずぐずしてたら小平の☆さんから興奮冷めやらぬメール。

背中を押されていってきました。

「生誕200年記念 伊豆の長八ー幕末・明治の空前絶後の鏝絵師」

↓これをご覧ください。二見が浦です。


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沈む夕陽の左に富士山。

これは絵はがきを複写したものですのでコテ技法は分からないです。

寄せる波、松の細かな枝はしっかりと書き込まれてます。

びっくりしたのは人物。

海辺に砂粒みたいな点があるでしょ。

これが人物なんです。

実物では老若男女はもちろん、着物まで描き分けてるのが分かるんです。

ただただ感嘆しますよ。

会場の外に弟子が使ったコテが展示されてました。

私ゃ、壁塗りの20㌢くらいなのしか知りませんでしたが、1、2㌢のものまである。

入場料はなんと100円(65歳以上無料)。武蔵野市は太っ腹です。

買い物ついでに寄ってみる価値は大です。

私が気に入ったのは波だけを描いた「漣の屏風」。伝長八作の「清水次郎長肖像」は鏝絵とは思えない渋さ。

傑作といわれる「神農像」の細かい細工もすばらしい。


2015年7月26日 (日)

「祖国よ、オレは生きて帰ったぞ」城戸幹さんの叫び

城戸幹さん(73)と娘の城戸久枝さん(39)の講演会があるというので四谷まで出かけた。

主催は上智大学総合グローバル学部・蘭(あららぎ)研究室。

戦後70周年特別講演会「満州引き揚げ、中国残留を問い直す」で、決死の覚悟で満州を脱出、在満日本人の惨状を訴えた丸山邦雄さんの三男ポール丸山さん(73)の話も聞ける。

なあに、城戸久枝さんの取材を受けてる「黒島」のちえみちゃんから誘いを受けたので出かけたんです。

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まずは丸山さんから。

全く知らなかった。満州引き揚げの戦後秘話。

敗戦直前に侵攻してきたソ連は満州を封鎖。

情報は全く閉ざされてしまった。

惨状を訴えようと3人の無名の日本人が決死の覚悟で満州を脱出。

日本政府に訴えるが首を横に振るばかり。

そこでGHQに直訴してマッカーサーから「DO MY BEST」の答えをもらう。

そして1946年4月17日、NHKラジオで状況を国民に訴え、これが満州の日本人にも伝わった。

翌日、GHQが引き揚げ開始の命令を出したんだそうです。

詳しくはポール丸山さんの著書「 ESCAPE FROM MANCHURIA」(邦訳「満州奇跡の脱出」柏艪舎)をご覧ください。


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「幸福な家庭はいずれも似たものであるが、不幸な家庭は、それぞれに不幸なものである」

いきなりトルストイ「アンナ・カレーニナ」の一節を引いた城戸幹さん。

「不幸の者の一人です」と語り始めた。

日本に帰ってから45年経つのに、まだ背負った不幸は消し去れないのかと重く響く。

混乱の中、中国人の養父母に育てられた幹さん。

日本人である故に大学に進学出来ず、日本赤十字などに手紙を出すが両親が分からない。

判明するまでに8年、そして文化大革命で3年の足止め。

「ムダに過ごした11年」と失われた大事な青年期を振り返る。

城戸幹さんについては著書「瞼の媽媽 自力で帰国した残留孤児の手記」(文春文庫、「孫玉福39年目の真実」改題)を。

「文革の恐怖と戦った日本人・『孫玉福』39年目の真実」で紹介してます


城戸久枝さんは、幹さんの半生を通して「満州国」「あの戦争」について考えさせらざるを得ない。

中国に留学してたどった父親の半生、まだ幼い自分の息子に「あの戦争」をどのように伝えて行くのかなどについて語った。

詳しくは、大宅壮一ノンフィクション賞などを受賞した「あの戦争から遠く離れて」(文春文庫)をどうぞ。

ドラマ化したNHK「遥かなる絆」の感想はこちら

2015年6月10日 (水)

「やきそばエクスプレス」に乗って田貫湖へ@静岡県富士宮市

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富士宮名物の名を冠した高速バスです。

ヤキソバの絵かと思ったら富士山でした。

普通は新幹線、東海道線、身延線を乗り継ぐんですが、集合時間にぴったりのバスが東京駅から出てる。

東名で富士山を眺めながらのバス旅もしてみたかった。

料金も休暇村富士まで3090円と割安。

鉄道だと富士宮まで新幹線利用で4320円、富士宮ー休暇村のバスが840円。

この差は大きいですよ。

小田急組も富士宮まで2000いくらとかいってたな。

JRは高いです。


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バスの乗客は半分以下。ゆったりです。

足柄あたりから富士山がぐんぐん迫ってきます。

裾野を東から西へ走りますから形が変わって見えます。

左に見えてた宝永山が静岡に入るとちゃんと右になる。

それにしても雪が少ないね。

あれは去年だったかな。

5月ごろに5、6合目くらいにいく予定だったグループが雪が多いので筑波山に変更してた。

このくらいの積雪だったら6合目なら楽勝でしょう。

富士山の手前にあるのは大石寺の山門です。

昨秋に参詣しました。何か工事をしてるみたいで目隠しがしてありました。


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この日(6月5日)の泊まりは休暇村富士。

人気の宿です。

予定通りに午後1時18分に到着。

新幹線、小田急組は路線バスの都合で30分後くらいに到着。

休暇村のロビーからみた田貫湖と富士山。いいとこでしょ。

条件が良ければ逆さ富士が見られます。

部屋に荷物を置いてみんなと田貫湖を1周。

あいにく雨が落ちてきて富士山も雲隠れでしたが、遊歩道にはコアジサイが満開。

1時間ほどの散策後は温泉にドボン。

「富士山の見えるところに温泉はない」とかいわれてたそうですが、地下を深く掘ったんです。

夕食を待ちながらビールでのどをうるおす。

バイキングですが品数も多く目移りしてあれもこれもお皿に。

食べ過ぎてしまいました。根が卑しいねえ。


2015年2月19日 (木)

富士講のお勉強と胎内回帰願望@石神井のふるさと文化館

江戸っ子は忙しかった。

八百八町にあったという富士講。丹沢の大山講の数は万を超えるという。

オオカミの護符をもらいに武蔵御岳山(みたけさん)にもお参り。

なんだかんだ言ってお参りと称した物見遊山に出かけてたんでしょうね。

精進落としもお楽しみだったでしょう。

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石神井公園のふるさと文化館で「特別展 富士山ー江戸・東京と練馬の富士」を開催中。

関連講座の「富士塚に登って、富士山に親しもう!」に参加。

講師は竹谷靱負(ゆきえ)さん。

富士山北口御師(おし)の末裔で代々靱負を世襲している。

「富士塚とは」に始まって「なぜお猿さんが迎えるのか?」「なぜ恵比寿天と大黒天が祀られるのか?」など2時間たっぷり。

とても紹介しきれないので、「御胎内」信仰について。

富士講では溶岩樹型の洞内をめぐる「胎内巡り」で身を清めてから富士山に登った。

まあ生まれ変わった体で登拝するんですな。

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60年代、胎内回帰願望なるものに刺激を受けた覚えがあります。

唐十郎主演、若松孝二監督の「犯された白衣」の生暖かさ。

若者の見果てぬ想い、憧憬だったんでしょうか。

唐さんはこんなことも書いてます。

「胎内回帰の相対孤児ならば、そんじょそこらの飯たき女の股ぐらに首つっこんで、息絶えるが、

もともと、(略)変てこりんな野郎が、回帰すべき胎内などあろうわけもなく、

まさに鉄の化身、蒼い狼のようにさまよい歩くだけ」。(「魔都の群袋」潮出版社)

さまよいきれずに息絶えました。

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船津胎内の入り口近くに建てられたのが無戸室浅間神社。「うつむろ」と読みます。

疑いを晴らすために木花開耶姫が籠ったのが戸のない産屋。

これに火をかけて無事に3人の子を産んだ。

その場所は宮崎県西都市が名乗りを上げてますが、浅間神社にもその名を付けたんですね。

「コノハナの産まれた場所」なんてことを言ってる人もいるそうです。

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練馬ダイコンって、こんなにでかい樽でタクワンを作ってたんです。

びっくりしました。文化館に展示されてます。

富士講とは無関係です。念のため。

2014年12月 2日 (火)

胸騒ぎの腰つき・国宝八大童子@ミッドタウン・サントリー美術館

上野の国宝展に続いてサントリー美術館の「高野山の名宝」展(12月7日まで)。

ミッドタウンに入ってショップを眺めてキョロキョロしてたら案内の人が「どちらへ」

時間があったので店の様子などを見ていただけなんですが、お上りさんに見えたんでしょうね。

花の六本木には似つかわしくないおっさんですから。


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サントリー美術館と告げたら「そちらのエレベーターで3階です」

ちゃんとパンフレットも渡してくれました。

親切です。

各フロアに案内係がいるみたい。

店には客もまばらで、もうかってるようには見えないけど、人件費だけでも大変だなと余計なお世話。

国宝展と違ってこちらは行列なしですんなり入場。

目玉の展示は「国宝八大童子像」。

八大童子は不動明王に仕え、仏の智恵である四智などを司る。

童子ですから頬がぷっくらしてういういしい。

名前も、こんがら童子、せいたか童子、うぐばが童子、あのくた童子・・。

いたずらっ子みたいで、かわいがってあげたくなる。

ポスターに使われているのは制多迦(せいたか)童子です。


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作者は運慶だが、運慶1人ではなく監修のもと複数の仏師によってつくられたらしい。

国宝に指定されているのはうち6躯。

残りの2躯は鎌倉後期から南北朝のもの。

写実的で質実剛健な作風だと思い込んでいたけど、ちょっと違うみたい。

あどけなさも残していて親しみを感じさせます。

そして腰つきが優雅というかなまめかしいというか。

立像ですから立ち姿です。

微妙にひねっていてとっても色っぽい。

仏さんだとズドンと立ってるものとばかり思っていたんですがね。

変なところに感心してしまいました。

快慶作の重要文化財「四天王立像」はもっと腰のひねりがダイナミックでした。

こっちもいいよ。


2014年12月 1日 (月)

ようやく会えた「縄文のビーナス」と「縄文の女神」@日本国宝展・東京国立博物館

初顔合わせです。国宝に指定された土偶5体がそろうんだから見逃す手はない。

雨の中70分待ちの行列もものともせずにビーナスと女神に会ってきました。

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この秋に「縄文王国」の長野県茅野市に行こうかなとぼんやり考えてたんです。

尖石(とがりいし)縄文考古館のHPをのぞいたら東京に出張するので留守のお知らせ。

なら出張先で会いましょう。

「縄文のビーナス」はもっとも古い国宝です。

縄文時代中期の前3000〜2000年につくられたんですから。

突き出たお腹、どっしりしたお尻。

でもおっぱいは小さい。このバランスも絶妙。

大きなお尻をどっしりと支える太い脚。

いいですねえ素朴な豊かさ。

切れ長の目と小さくあいた口。とっても愛らしい。

耳にはピアスの穴がありますよ。

頭は帽子をかぶってるんでしょうか。それとも髪型。

腕はつけているが手は省略。

この思い切りのよさが全体のバランスを絶妙にしてる。


雑念ばかりの現代人にはとても考え出せない造形でしょう。

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こちらは山形県舟形町西野前遺跡出土の「縄文の女神」(山形県立博物館)。

ビーナスと女神に同時に会えるなんてなんて幸せなんでしょう。

ことし(2014)国宝に指定されたばかり。

女神も妊婦です。全長34㌢。

お腹が突き出て出っ尻。

なんといっても8頭身美人ですよ。

パンタロン風の脚部がよく似合ってます。

同時期の「ビーナス」は5頭身もないのに、どうしてこんなにすらりとした全身を思いついたんでしょう。

日本で8頭身美人が流行語になったのは伊東絹子がミスユニバースに出場した1953年(昭和28)。

つい半世紀前に理想のプロポーションと騒がれたのに縄文人はすでに理想を思いついていた。

すごいです。

「人の姿を究極まで象徴化しつつ、高い様式美を誇る姿は、学術的にも造形的にも日本を代表する土偶です」(同館HP)

顔なんてつくらずに、思いっきり省略。角張った肩からW字に乳房が張り出してる。

とてもこんなふうにはつくれません。

お見事!縄文人の美意識も相当なもんです。


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ビーナスと同じ尖石縄文考古館にある「仮面の女神」。

逆三角形の仮面がかっこいい。

ビーナスよりも新しく前2000〜1000年の縄文後期のもの。

へそが真ん中にあってふくらんでるので、こても妊婦でしょうか。

女性器もつくってます。

仮面土偶としては国内最大級の34㌢。

こちらもことし国宝に指定されたばかり。

国宝土偶はビーナス、女神、仮面と八戸市の合掌土偶、函館市の中空土偶の5体。

そのうち2体が茅野市。国宝が2つもあるなんてすごい。

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どうして八ヶ岳山麓や山形に縄文文化が花開いたんでしょう。

縄文前期(約6000年前)は温暖期だったが、後期から晩期は小寒冷期。

この気温変化が内陸部の中央高地に緩やかな植生の変化をもたらした。

縄文中期の八ヶ岳山麓は雑木林が繁茂するようになった。

この結果、食用となるクリ、ナラ、クルミなどの落葉樹の林になった。

人口も増えて「縄文王国」が形成されていったのです。

2014年11月30日 (日)

でかいね玉虫厨子・雨の中70分待ち日本国宝展@上野・東京国立博物館

国宝の土偶5体がそろうのを待って満を持して国宝展。

縄文人が仰ぎ見ていたのを確かめたくて富士宮にも行ったしね。

千居(せんご)遺跡はあいにくの雨、大鹿窪遺跡では日も射してきたが富士は望めなかったけど。

まあ縄文づいてますので。

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雨なのですいてるだろう(26日)という目論みは打ち砕かれました。

チケットはすぐに買えたんですが平成館には長い列。

70分待ちでーす。

50人くらいを順番に入場させてるが、なんせ傘立てが空かない。

退場者が持って行くのを待ってるから余計に時間がかかってるみたい。

ようやく入っても二重三重の輪。

すぐに玉虫厨子があるんですが、押すな押すなで近づけやしない。

でもでっかいんですね。

高さ50㌢くらいと思ってた。

中高の修学旅行で法隆寺には行ってるんですが記憶というのは実にあいまい。

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なんと高さは233㌢もありました。

「玉虫の羽が何個所か残ってるのよ。とても化粧のうまい女の人に教わって見つけたわよ」

すでに2回も行ってる友達が自慢してます。

何がなんでも見つけるぞ。

バンザイして係の人に訪ねました。

「施身聞偈図」の面の左のひさしの下の根元。

ありました。でも白く見えただけで玉虫色は分からなかった。

(違う個所を見てたかも。これから行かれる方はユーチューブ「国宝 玉虫厨子」に動画がありますので確認した方がいいかも)

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これに対して金印はとってもちっちゃい。

ずっと前に見て小さいのは認識してたつもりだけど幻だったか。

一辺が2.3㌢重さ108㌘。

印面を鏡に映して読めるようにしてるんですが20分待ちの行列。

あきらめて横から見ただけでした。


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もっとも感動(土偶は除いて)したのは勢至菩薩と観音菩薩の坐像。

死者を極楽浄土に導くために来迎する阿弥陀如来にしたがう2体の菩薩です。

ポスターではよくわかりませんが上体がやや前かがみになってるんです。

これが実にいい。

とってもやさしく迎えてくれてる。

「こんな菩薩さまがお迎えしてくれるんだったら、いつ逝ってもいいわ」

なんて2回も行った友達が漏らしてました。

本当にそんな気持ちにさせてくれます。

たっぷり3時間鑑賞しました。

それでも駆け足。もっとゆっくり見たいな。


2014年10月 7日 (火)

おっさんだって芸術の秋・ミレー展@府中市美術館

図画工作(古い言い方です。美術じゃない)の時間で最初に印象深かった画家はミレーだった。

先生も熱心に教えていた気がする。

日本人は明治の昔からジャン=フランソワ・ミレーが大好き。

良く知られた題材に親近感と共感を覚えるからなんでしょうね。

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ご多分に漏れず、ミレーなら肩が凝らないだろうといそいそと府中市美術館へ。

米軍キャンプ跡の廃墟なども崩れてないか確認。

ツタに覆われてて崩壊度はチェックできず。

ポスター類に使われているこの絵は「子どもたちに食事を与える女(ついばみ)」。

真ん中の小さい娘はヒナです。女が親鳥。

微笑ましいんですが、ややあざとい感じも受ける。

平日なのでゆったり鑑賞。

“シェルブールのモナリザ”といわれる「部屋着姿のポーリーヌ・オノ」、“19世紀仏肖像画の最高傑作のひとつ”という「アマン・オノの肖像(パイプを持つ男)」。

ひと様が評価してるので見入ります。

ポーリーヌは最初の妻、アマンはその弟。

     有名な「種をまく人」は同じ題材が5種類くらいあって、1号と2号が展示。

     1号は何をしてるのかよくわからない。

     2号で右手を広げてあの種を撒く姿になる。

     「落ち穂拾い」「耕す人」なども2種類が見られる。

     画家の思考過程がうかがえて、そんなところが面白かった。

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昔からなんで種をばらまいてるんだろうと不思議でした。

日本だと真っすぐに条播きしますよね。

欧州では小麦はああやって畑にばらまくんです。

きのう読んだ「栽培植物と農耕の起源」(中尾佐助、岩波新書)に出てました。


2013年10月18日 (金)

香立て何ぞを求めてしまいました・柄にもなく@友人の個展

友人が焼き物の個展を開いているので連れ立って神宮前へ。

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ひとりでは主役と話す自信がないので日時を決めてもらって、その他大勢を決め込んだわけです。

見る目なんてハナから持ち合わせてません。

感想を聞かれたって、うまい答えなんて言えるわけがありませんから。

「小さな焼きもの」というタイトルです。

香合や香立て、一輪挿し、ぐい飲みなんかが並んでました。

香合はなんに使うのかな。

白檀などの香木などを混ぜ合わせる器ですか。

「合」とあるから大根おろし器みたいに摺る用具かと思ってみてました。

大ハズレ。香を入れておく茶道具なんですね。


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一輪挿しに野の花を活けてみたいな。

いまならアザミだね。

だけど部屋をそれらしくしないとならないので断念。

近ごろ野の草の匂いに目覚めてます。

人工の香料と違って、とってもやさしい。

最近じゃヒメジソね。

で、香立てを。

真ん中の穴に線香を立てます。

横(写真の左の後ろ。写ってません)の模様がいいんだよね。

卑弥呼の鏡みたいな模様がついてます。

吉祥寺にインド、ネパールのお香を売ってる店があるから買いにいかなくちゃ。


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千駄ヶ谷駅で待ち合わせたんですが30分前に着いちゃった。

マチコさんも同じ電車。国立能楽堂で能面の展示をしてるという。

入場無料だというので、即決です。

「能を彩る文化財 名品能面能装束展」(11月20日まで)の看板が出てます。

能も見たことはありません。

観世文庫、宝生会、国立博物館、春日神社、天河神社などから出品されてます。

ほとんどが重要文化財です。

「痩男」(東京国立博物館蔵)に激しく興味を惹かれました。

頬はげっそりと落ち、眼窩(がんか)は窪んだやつれ果てた表情です。

でもなんだか苦悩を昇華した感じを受けました。

調べると、死後に地獄の苦しみを訴えてる男、殺生の罪を負った漁師や漁夫の亡霊。

ふーん、そうなんだ。

これは死相なんです。

なんか、その苦しみを超越して安らぎを感じたんですがねえ。


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個展の帰りには当然、富士登山です。

鳩森(はとのもり)八幡神社の富士塚です。

富士山関連の番組でよく取り上げられてますね。


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