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2018年1月19日 (金)

板の橋が架かってたので板橋@地下鉄の地上を歩く会・都営三田線の4回目その3

日曜寺の愛染明王を拝んでから旧中山道に戻ります。

石神井川を渡って横の道を行くと長細い釣堀で家族づれなどが釣り糸を垂れていた。


Img_8174

静かに通り過ぎます。

石神井川の旧河道を釣堀にしてるんです。

「氷川つり堀公園」といって板橋区営なので無料です。

汚れるといけないので練り餌は禁止だが、和金、クチボソ、タナゴなどが釣れる。

置いてあるバケツをのぞいたけど、あまり釣れてはいないようでした。

中山道沿いには氷川神社。

スマホの画面とにらめっこしてる人が20人近くいました。

ポケモン目当てでしょう。


Img_8178

旧中山道に出て石神井川に架かっているのが板橋。

板の橋だったので板橋宿の地名の由来となったとされてます。

鎌倉時代の軍記に、源頼朝が、「武蔵国豊島ノ上滝野川ノ板橋」に布陣と書かれている。

これらから鎌倉時代には板橋宿の地名があったとみられている。

当時は丸太を並べて土を盛った土橋が多かったので板の橋が珍しかったようです。

こうして江戸時代には宿場の宿場の名となり、明治時代には町名。

昭和7年(1932)に東京市が拡大した際に誕生した区にも板橋の名称がつけられた。

石神井川にはずっと両岸に桜が植えられています。

板橋区内でも中板橋付近から加賀付近にかけては1000本の桜が咲き誇り、板橋十景に選ばれてます。

花見のころに再訪するのもいいかな。

Img_8179

振り向くと商店街入り口に仲宿とある。

橋の向こうが上宿、江戸寄りのここからが仲宿(中宿とも)、平尾宿。

この3宿を総称して板橋宿。

東海道なら品川、中山道なら板橋まで仲間が同行して旅の無事を願い、帰途も出迎えた。

当然、酒が入るわけで両宿では遊女屋が盛んだった。

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