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2017年3月 3日 (金)

帰国の時期が幸いしたジョン万次郎@地下鉄の地上を歩く会・都営新宿線の4回目その3

西大島駅近くを流れる小名木川を渡ったり戻ったりしてます。

さて次の旧跡は中浜万次郎宅跡(北砂1)。

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といっても現在は北砂小学校、説明板があるだけです。

ここには土佐藩の下屋敷があったんです。

小名木川の水運を利用して国元などからの物資を下屋敷に運んでたんでしょう。

明治元年(1868)に百石取りの侍として土佐藩にかかえられた万次郎は、下屋敷の中に住んだ。

そして開成学校(東京大学の前身)の教授などを勤めながら11年間を過ごした。

彼が教えた英語の発音は次のようだったという。

猫=キャー、魚=ビィシ、髪=ハヤ、腰=ヘップ、手=ハァンタ。

耳で覚えた言葉ですからね。

キャット、フィッシュ、ヘアなんて発音するより通じるんでしょう。

万次郎が帰国したのは1853年の黒船来航の前年。

これが幸いした。

それまで異国に漂着してから帰国した者は邪魔者扱いされて過ごした。

ロシアから帰った、あの光太夫も番町の薬草植え付け場に住居を与えられたが、軟禁に近かったのではないか。

期限を定めずに牢獄で取り調べを受け、妻子に会うことも叶わず絶望して自殺した者もいた。

黒船来航にあわてた幕府は通訳として万次郎を抱えた。

当時、オランダ語は話せても英語を解する日本人はいなかったからだ。

身分は20俵2人扶持の御普請役。

20年前に水夫だった少年が旗本に出世したのだ。


Img_1629

小名木川と横十間川の水位を利用して水力発電を行ってます。

23区内で初めての水力発電だそうです。

水の落差は1・5メートルなので大した電力は得られません。

最大で1・1KW。まあパンが焼けるくらい。

近くの街灯などに利用してる。

Img_1647

歌川広重の「名所江戸百景」にも描かれた「小奈木川五本まつ」があったところ。

丹波綾部藩九鬼家の松で、描かれた頃にもすでに四本は枯れていたという。

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芭蕉もこの地で「川上とこの川下や月の友」と詠んでます。

芭蕉の頃は五本松だったようです。

小名木川の五本松で川面に揺れる名月をながめているが、川上にいる私の心の友もこれと同じ月を眺めているだろう。

こんな意味だそうです。


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