フォト
無料ブログはココログ

« 猿に見えますか?・モンキーオーキッド@神代植物公園 | トップページ | 41円のコロッケを食べながら砂町銀座をぶらぶら@地下鉄の地上を歩く会・都営新宿線の4その2 »

2017年3月 1日 (水)

純白の砂糖は江東区で初めて製造@地下鉄の地上を歩く会・都営新宿線の4回目その1

番外編の赤穂浪士引き揚げコースで両国から泉岳寺を挟んで地下鉄歩き再開。

4回目だというのに歩みは遅い。

今回は西大島駅からカレーパン発祥のパン屋のある森下駅までの予定。

Img_1591

駅から南下するとすぐに小名木川にぶつかります。

春の日差しを浴びてカヌーがスイスイと向かってきます。

気持ち良さそう。どこまでいくんだろう。

江戸の大動脈も時代は変わって手頃なレジャー提供の場になってます。

のどかな日曜日(26日)


Img_1596

団地の一角に建っていた石碑は「精製糖工業発祥の地」(北砂5丁目)

日本で初めて白い砂糖がここで作られました。

明治23年(1890)のことです。

砂糖の国産化は徳川吉宗が奨励、砂村でも甘蔗(サトウキビ)の苗が植えられた。

当然、サトウキビは寒いところでは難しく、うまくいかなかったでしょう。

でもゆかりの地でもあった。

何と言っても、この地に工場が建てられたのは小名木川の水運。

原料や製品の運搬に最適の場所だった。

白砂糖に成功したのは鈴木藤三郎。

その鈴木製糖所がもとになって大日本精製糖株式会社が設立。

同社の工場として昭和15年(1940)まで使われた。

記念碑を建てたのは昭和16年当時の社長藤山愛一郎。

藤山コンツェルンの2代目で戦後は外務大臣などを務めました。

高層団地が立ち並ぶこの一角が工場地帯だったなんて信じられません。

紡績工場や人造肥料工場が次々に建てられ、昭和16年に大日本精糖の工場を東京芝浦電気が買収。

次第に軍需工場化していった。

Img_1601

はこべらや焦土の色の雀ども

百方の焼けて年逝く小名木川

砂町は冬木だになし死に得んや

一樹無き小学校に吾子を入れぬ

小名木川駅春の上潮曇るなり

寒雀汝も砂町に煤けしや

俳人石田波郷は、昭和21年(1946)から約12年間江東区北砂に住み、当時の江東区の様子を『焦土諷詠』として多くの俳句に詠みました。

前年3月10日の東京大空襲で一面は焼け野原。

冬木さえ失われ、ただ小名木川だけが東西を貫いている。

煤けていた雀も春が来ればハコベをついばんでます。

石田波郷記念館が砂町文化センターの2階にあります。

石田波郷は「昭和の俳聖」とも称され、戦後の俳壇を先導していたんだそうです。

よく知りませんでしたが、お墓が深大寺にあるので名前だけは覚えてました。


« 猿に見えますか?・モンキーオーキッド@神代植物公園 | トップページ | 41円のコロッケを食べながら砂町銀座をぶらぶら@地下鉄の地上を歩く会・都営新宿線の4その2 »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 猿に見えますか?・モンキーオーキッド@神代植物公園 | トップページ | 41円のコロッケを食べながら砂町銀座をぶらぶら@地下鉄の地上を歩く会・都営新宿線の4その2 »

2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31