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2017年1月16日 (月)

いざ吉良邸へ・赤穂浪士の引き揚げ路をたどる@地下鉄の地上を歩く会の番外編その1

番外編で赤穂浪士の引き揚げた道をたどります。

誰かが歩いてみたいと言い出して、それなら旧暦の12月14日に近い1月中旬ということになったらしい。

まずは初場所中日を迎えた国技館となりのJR両国駅に集合。

泉岳寺までおおよそ12キロを歩く予定です。

そんなに歩けるかなあ。

Img_0821

まずは吉良邸跡へ。

一画が本所松坂町公園になっていて周囲は高家の格式を表すなまこ壁長屋門を模したつくり。

中にはみしるし洗いの井戸や稲荷社があり当時をしのばせています。

昭和9年(1934)に地元町会の有志が、この一画を購入して史跡公園として東京市に寄付したもの。

その前に吉良邸の正門跡にも寄りましたがビルが建っていて面影すら感じられない。

ありがたいことです。


Img_0815

赤穂浪士たちはまず回向院に集合する計画でしたが、かかわりを恐れた僧に入山を断られてしまいます。

回向院の山号って知ってました?

諸宗山回向院無縁寺なんです。

変わった名前ですよね。

あらゆる宗派の人を供養するので諸宗山なんだって。

明暦の大火(明暦3年=1657)から数日後の1月24日。

二代将軍秀忠の忌日に保科正之が増上寺に代参、帰路に焼死者がそのままになっているのを見て大きな穴を掘って埋めることにした。

そして増上寺に300両を与えて供養させた。

この万人塚に塔を建てたのが回向院の始まり。

ところで火事つながりで言えば浅野内匠頭長矩の祖父で淺野家の初代赤穂藩主の長直は「火防の上手」として有名だった。

「内匠頭(長直)が出動すれば、すぐに火も鎮まるだろう」と誰もが言い合ったという。

寛文8年(1668)の大火では、赤坂の浅野家本家の長屋に燃え移った。

そこで長屋を引き崩しすとすぐに鎮火、あざやかな手際だったという。

さらに町方にも出かけ、物置のような下家に火が移った。

母屋の上に上がっていた者たちがたじろいで引き下がりそうになった。

それを見た内匠頭は火のついた下家に飛び降りた。

家来たちもどっと飛び降りたので下家はつぶれて火は止まった。

のちに赤穂義士が出たのも、こういう英傑が主君にいたからだろうと評判になったという。

孫の長矩が刃傷事件の後、江戸の町人たちから同情を集めたのは赤穂藩の大名火消しとしての評判、功績があったからとも言われる。


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