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2016年12月21日 (水)

ありゃま、子供の絵みたいな富士塚だこと・亀戸浅間神社@地下鉄の地上を歩く会・都営新宿線の3回目その1

この歩く会では浅間神社があれば寄って富士塚をたくさん確認してきました。

10m近い高さのや、申し訳程度に溶岩を積み重ねた規模の縮小されたのまでさまざま。

江戸の町人の富士山へのあこがれがよくわかります。

今だって富士山が見えればうれしいもんね。

Img_0387

思いっきり簡素化してます。

一応、周りには溶岩を配してますが、幼稚園児に富士山を描かせたらこんな風になるのかな。

小山を作って子供が登ってケガをしてはいけないとか、いろいろ意見があったんでしょう。

ここまであっけらかんとシンプルにされると、ほほえましくなってしまいます。

ここは亀戸浅間神社。

海に身を投じてヤマトタケルの危難を救った弟橘媛の笄(こうがい)が、このあたりに流れ着いたそうな。

それで地名が高貝洲。

景行天皇が笄塚を建て、安政2年(1855)の大地震の後、その場所に富士塚が築かれた。

神社の創建は大永7年(1527)。

Img_0334

都営新宿線の3回目(18日)は船堀駅集合。

時間前にもういっぺん船堀タワーに上りました。

「富士山がきれいかも」って言われてたんですが、あいにく西の方は雲がかかってました。

すぐに長い橋を渡ります。船堀橋。

中川、荒川、旧中川にかかっていて長さは524m。

天気は快晴、風もなく着込んでいるから汗ばむくらい。


Img_0469_2

前回の時にも触れましたが、江戸の河川の変遷は実にややこしい。

家康は幕府が開かれる9年も前から利根川の付け替え工事を始めます。

江戸湾に注いでいた利根川が銚子に流されたのは実に60年後。

明治政府も荒川(隅田川)の洪水対策で荒川放水路を掘削しました。

幹事さんが分かりやすいように絵図を描いてメールしてくれましたので無断拝借。

荒川放水路と並行して中川も途中でちょん切って放水路に流します。

頭を切られた中川の流路は旧中川となって残ってます。

かつての放水路が今では本流扱いで荒川、中川になってます。

この絵図でも古利根川とか元荒川とかも出てます。

この名称が流路の変遷を物語っています。

江戸、明治の川との戦いは1冊の本になるくらいあるので、詳しく知りたい方は自分で勉強してください。

私もちゃんとはのみこんでません。


Img_0344

昔の中川にあった逆井(さかさい)の渡し跡。

かつての千葉街道(佐倉道)で逆井村と亀戸村を結んでいた。

川幅は約73mだったが江戸幕府は橋をかけるのを許可しなかった。

明治10年の渡し賃は人が1厘5毛、牛馬、人力車が3厘、馬車が1銭5厘。

明治12年に橋ができて廃止。


Img_0375

絵の右が旧中川。

浅間神社に参った後は南下して東大島駅を目指します。


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コメント

富士山に対するあこがれは江戸人だけでなく古代からなのでしょうね。
府中の浅間山はもとより、深大寺の場所も富士を仰ぐ浅間信仰が原点なのだと思っています。
深大寺の山号・浮岳山の浮岳は富嶽を指し、冬になると背面のはけの上から丹沢山系の向こうに
白き富士が浮かぶように見え、おそらく白蓮(芙蓉)に見立てたのでしょう。

芙蓉粋人さん。ありがとうございます。

深く考えていませんでした。

そうですよね。浮岳は富嶽。

浅間山は富士見百景ですもんね。

墓地のあたりから西の方を見ると富士山が望めるのかなあ。

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