フォト
無料ブログはココログ

« 気持ちよかった大島の無回転シュート@マチダも溜飲を下げる | トップページ | ”トイレ診断士の厠堂”ってなんでしょう@地下鉄の地上を歩く会・副都心線の1回目その2 »

2016年1月20日 (水)

ここで「武蔵野」の想を練ったのか・国木田独歩住居跡@地下鉄の地上を歩く会・副都心線の1回目その1

北風吹きぬく寒い朝もものかわ今年も歩きます。

年末に日比谷線を終えて新年は副都心線。渋谷から埼玉県の和光市駅まで16駅20.2㌔。

渋谷駅は東横線が地下ホームになったりわかりづらいのでハチ公前集合(1月17日)。

副都心線の上だと明治通りが経路なんですが、ちょいと離れてセンター街からNHK横。

Dscn0521

だらだらとリーダーに従いて行っただけなので不意打ちを食らって妙に感動。

「国木田独歩住居跡」の碑が建ってます。

おお、独歩さんはここで「武蔵野」の想を練ったのか。

「自分はある友と市中の寓居を出でて三崎町の停車場から境まで乗り、そこで下りて北へ真直に四五丁ゆくと桜橋という小さな橋がある」。

境は今の武蔵境駅。いつも利用してます。

桜橋も行動半径に入ってる。

旧知の人に出会ったような妙な懐かしさ。

独歩がここに住んだのは明治29年(1896)9月から翌30年6月までの1年足らず。

三崎町の停車場は甲武鉄道(中央線)の始発飯田町駅(飯田橋駅の近く)だから「武蔵野」の年代は渋谷に住んでた時ではないな。

ここはNHKの南側、工事中の渋谷公会堂から坂を下りたところ。

昔は全くの田園でした。

独歩も「十年前の田園生活」でこう記しています。

「近所近辺に家のない全く独立した孤屋で、田圃に沿うた小路に形ばかりの門が立って居ましたが扉も何もありません。

門から爪先上がりに上って高地の半腹に一棟の茅屋が建てられ六畳に長四畳、それに土間が付いて居るだけの小さい家でした」

「僕がその後、「国民之友」に『今の武蔵野』と題して書いたもの、即ち『武蔵野』なる小冊子の巻頭に載せてあるものは、この時に得たものです」

ここからちょっと北北西に行けば唱歌「春の小川」の舞台です。

Dscn0523

坂をあがれば渋谷公会堂。

手前に「二・二六事件慰霊像」があります。

何度も歩いてますが気づいてません。

かつては陸軍刑務所。香田、安藤大尉以下19人がここで刑死した。

赤レンガは当時のものだそうです。

遺族の会である「佛心会」が中心となって事件関係者一切の霊を合わせ慰めるために昭和40年(1965)2月26日に建てられた。

そういえばNHKや代々木公園はかつての代々木練兵場。

ただし陸軍練兵場と刑務所になったのは明治42年(1909)。

独歩が住む前のことで一面の桑畑と茶畑だったそうです。


« 気持ちよかった大島の無回転シュート@マチダも溜飲を下げる | トップページ | ”トイレ診断士の厠堂”ってなんでしょう@地下鉄の地上を歩く会・副都心線の1回目その2 »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

独歩の作品を独歩と当時関係のあった女性の側から読むと面白いですよ。
最初に結婚した佐々木信子の従妹、相馬黒光の自伝「黙移」に
そのあたりの実際の話しが書いてあります。

相馬黒光は今、朝ドラでやっている広岡浅子と同様、明治の女性実業家で
新宿「中村屋」の創業者です。
今は、多摩霊園に眠っています。

だれかドラマ化してくれないかなぁ。 と常々思っている人物です。

芙蓉酔人さん。

いつもありがとうございます。信子の側から見ると普通われわれが抱いている独歩像が覆るみたいですね。

中村屋のことはどこかでドラマになりませんでしたっけ。それとも本で読んだのか。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 気持ちよかった大島の無回転シュート@マチダも溜飲を下げる | トップページ | ”トイレ診断士の厠堂”ってなんでしょう@地下鉄の地上を歩く会・副都心線の1回目その2 »

2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31