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2015年12月 7日 (月)

裕福だった首斬り浅右衛門・小塚原異聞@地下鉄の地上を歩く会・日比谷線の7回目その5

まだ小塚原回向院の墓地を見て回ってます。

Img_7854

名だたる犯罪人の墓碑が並んでます。

左は鼠小僧次郎吉、隣は直侍。

直侍って聞いたような・・。河内山宗俊と一緒に「天保六花撰」に出てきますか。

旗本の小せがれで小悪党の片岡直次郎。

戒名が国の宝ですか。どういうことでしょう。

鼠小僧は有名です。

墓は本所(両国)回向院にあって「お前立ち」の石を削って持ち帰るとお守りになる。

こちらも後ろにある石が昔のもので削られたみたいです。

義賊かどうかはさておき長いこと捕まらなかったことに陰ながら拍手する気持ちがそうさせたんでしょう。

それにしても「俗名 鼠小僧」はないでしょう。

戒名も本所回向院では教覚速善居士、俗名中村次良吉。

こちらでは源達信士。宗派が変わったのでつけ直したのかな。


Img_7853

直侍の向かって右が高橋お伝、隣の拳は腕の喜三郎。

深手を負った腕が見苦しいというのでノコギリで切り落とさせたのが侠客の野出の喜三郎。

お伝の墓碑は谷中霊園にありますが、こちらに埋葬されてるようです。

俗名がやはり「高橋お伝」だが戸籍名は「でん」のようです。

彼女の刑が執行されたのは明治12年(1879)1月。

元禄のころから斬首を行ってきた山田朝右衛門が刀を握った。

すでに小塚原ではなく市ヶ谷の監獄。

「情夫に会わせてほしいと暴れたため朝右衛門も切りそこない、三太刀目で死んだ」という。

翌年に斬首は廃止、絞首刑になったのでお伝は「首斬り浅」最後の仕事になったようだ。

山田家は将軍に納める刀の試し切りを仰せつかっていたことから小塚原で斬首も拝命してきた。

代々は浅右衛門だが、幕末には朝右衛門と名乗っている。

Img_7862

やはり小塚原跡の延命寺に建っている石像の首切地蔵。

寛元年(1741)の建立だが、東日本大震災で左腕が落下したため修復の寄付金を募集している。

さて山田浅右衛門、通称首斬り浅。

知ったのは小池一夫作、小島剛夕作画の劇画でした。1972年から週刊現代に連載された。

副業で大もうけしていたみたいです。

斬首した死体をもらい受けて試し切りに貸し出したり、内臓などから丸薬を作って売っていたんです。

これが労咳に効くと評判で売れに売れたみたいです。

当然、明治になって禁止されます。


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