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2015年12月 2日 (水)

荒川が流れてないのに荒川区(東京都)@地下鉄の地上を歩く会・日比谷線の7回目その1

中目黒から始めた日比谷線もいよいよゴール。

入谷からなんですが変則的に終点の北千住からスタート。

Img_7798

住みたい街のランキングで急上昇中の北千住。

初めて降りましたが大きなターミナルです。

JRに東武線、東京メトロの日比谷線と千代田線、さらにつくばエクスプレスまで乗り入れてるので大変便利。

宿場町として栄えた名残りで商店も多く物価も安いらしい。

東京芸大も進出するなど下町イメージから変わりつつあるみたい。

日比谷線とは逆の北に向かって千住新橋。

川は気持ちいいね。この下流で「金八先生」のオープニングを撮ったらしい。

ところで区の名前なんか意識してませんでしたが、北千住は足立区。

荒川区には荒川が流れてないんだって。

東京でも西の多摩の生まれなんでこっちには縁がありません。

荒川区が昭和7年(1932)に誕生したときには確かに荒川は流れていた。

   
Img_7800

千住新橋の上からは富士山がくっきりと見えました。ズームしてますが結構大きい。

話は荒川に戻ります。

上の写真の川は昔は荒川放水路と呼ばれていた。

今の隅田川が荒川だった。正確に言うと隅田川にかかる千住大橋から上流が荒川、下流が隅田川。

ややこしいね。

ところが昭和40年(1965)に岩渕水門より下流の荒川が隅田川になった。

そして水害対策の人工河川・荒川放水路が荒川になった。

当時の建設省が決めたんです。

こうして荒川区から荒川が消えてしまったんです。

今の東京湾に注ぐ荒川水系はしょっちゅう呼び名が変わってるからね。

利根川だってその昔は江戸湾に注いでた。


Img_7802

骨接ぎといやあ名倉です。

なんかガキのころからあちこちで名倉医院とか名倉堂の看板を目にしていた。

誰に訊くとはなしに骨接ぎは名倉と刷り込まれてる。

今でも全国に500軒以上の名倉堂や名倉医院などがあるそうです。

ここがその本家。今でもちゃんと開業してます。

名倉家は享保年間(1716〜36)に千住に移り住み、明和年間(1764〜72)に「骨接ぎ名倉」を開業。

日本初の接骨院だそうです。

門前が広場になっていて患者を運んできた駕籠や大八車のたまり場だった。

この門は江戸から昭和中期まで使われていたもので足立区の登録記念物。

最盛期の大正時代には1日の患者が300〜500人。

ここで修行し家名継承を許された骨接ぎ師が名倉を名乗ることを許されてるんです。


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