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2015年12月 6日 (日)

吉展ちゃん事件と小塚原回向院@地下鉄の地上を歩く会・日比谷線の7回目その4

小塚原に来ました。

獄門、磔、火あぶりなどの極刑が執行された場所として有名です。

2000坪の広さだったが今では常磐線に南北を分断され、原の面影は残されてない。

Img_7847

ここにも回向院があります。

両国の回向院の住職が刑死者の菩提を弔うために寛文7年(1667)にお堂を建てたのが始まり。

区別するために小塚原回向院。

山門脇に吉展地蔵尊が建ってます。

1963年に起きた戦後最大の誘拐事件。

よく覚えてます。生きて戻ってほしいとのみんなの願いもむなしく2年3カ月後に遺体で発見された。

日本で初めて報道協定が結ばれた事件だったが、解除後はメディアを通じて情報提供を呼びかけるなど大きな関心を集めた。

犯人のアリバイ崩しに成功したのが平塚八兵衛刑事。三億円事件を最後に現役を退きました。

村越家は回向院の檀家で吉展ちゃんもここに眠っているが、供養のためにこちらでお参りしてほしいという村越家の意向でお地蔵さんが奉納された。


Img_7849

「腑分け」「ターヘルアナトミア」なんて言葉を教わったのは中学でしたか。

解剖なんて漢語より腑分けの方が実感がありましたね。

聞き慣れないオランダ語の響きも新鮮だった。

その腑分けが行われたのが小塚原。

これにちなんで観臓記念碑が設置されています。

大正11年につくられたが戦争で大破したために昭和49年に青銅板だけを設置し直した。

Img_7858

ここには幕末の志士たちが多く眠ってます。

小伝馬町の牢内で斬首され、小塚原に遺骸が埋められたのです。

「橋本景岳って誰だっけ?」

中でも3㍍はあろうかという立派な碑が建っていたのが橋本景岳。

となりに墓があり卒塔婆を読むと橋本左内。これなら分かりますね。

ということで安政の大獄の吉田松陰、橋本左内、桜田門外の変の金子孫二郎、坂下門外の変の川辺左次右衛門などの墓碑がならんでます。

もっとも松蔭の遺骸は秘かに長州藩別邸に運ばれ埋葬されている。

これが世田谷区の松陰神社。

他にも別のところに埋葬されている例は多い。


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