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2015年12月 9日 (水)

江戸城旧本丸で残ってる建物がこれ・富士見多聞@皇居乾通り一般公開

見るものすべてが初めてなので新鮮。

局門なんてのもしげしげ。通用口ってなイメージで豪勢なもんじゃござんせん。

大奥の女中の出入り口かな。

Img_7914

手前の宮内庁寄りにあったのが蓮池参集所。

木札が置いてありますから名前だけは分かります。

勤労奉仕団に陛下がねぎらいのお言葉をここでかけます。

奉仕団は皇居と赤坂御用地で除草、清掃などを行い、15人以上60人までのグループで申し込む。

連続4日間の作業で、恩賜のタバコではなく菊の御紋入りの紅白の落雁が記念品としていただける。

昔は割烹着で奉仕してる姿をテレビや映画館のニュースで見たな。


Img_7928

ありゃなんでしょう。蓮池堀の向こうの石垣上に白壁の建物が。

富士見多聞と木札にあります。あそこから富士山がよく見えたのかな。

分からないときにはすぐに訊きます。

宮内庁の職員さんが質問回答用のマニュアルを見せてくれました。

江戸城旧本丸の建物の中で現存するのは富士見櫓と、この富士見多聞だけ。

貴重なものなんだ。

武器や諸武具の収蔵庫。あそこに駆けつけて武器を取り、石垣の向こうの本丸に押し寄せた敵に応戦するつもりだったんでしょうか。

櫓と多聞はどちらも収蔵庫で、2、3層の造りが櫓、長屋式のものが多聞。

かつては15棟の多聞があった。でもなんで庫じゃなくて多聞なんだ。

松永久秀が大和の多聞城に初めて作ったので武器庫が多聞と呼ばれるようになったんだってさ。


Img_7930

まだ太田道灌時代のものも残ってるんです。道灌堀。

道灌時代のお城は徳川時代の40分の1。小さなものだった。

右手が吹上御所、左が紅葉山。

「徳川以前には紅葉山には天地庵と呼ばれた浄土宗の寺があった。この寺を中心にした紅葉山は江戸人にとっては春秋の行楽地だったという」(鈴木理生著「江戸の町は骨だらけ」ちくま学芸文庫)

家康の死後は、ここにも東照社(のち東照宮)が建てられ、江戸城内最高の聖地になった。

明治以降は皇后が主宰する「紅葉山御養蚕所」。

天地庵は虎ノ門に現存する天徳寺。

初めての皇居体験、いろいろ勉強になりました。

↓最後に乾通りのモミジを。


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