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2015年10月30日 (金)

鷲(わし)と書いて「おおとり」と読むこれいかに・・鷲神社@地下鉄の地上を歩く会・日比谷線の6回目その3

大きな鳥だからなんじゃないの。でもなんでわざわざ読み替えてるのか。

なんか不思議です。でも鷲神社は後回しにして回った順番通りに小野照崎神社から。

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上野国司の任を終えた小野篁が上野照崎(現在の上野公園あたり)の風光を賞したことにちなんで死後にその地に彼の霊をまつったーとの伝承がある。

小野篁が亡くなったのは852年。古いですなあ。

つまり平安時代から上野のお山にあったんですが、台東区下谷に移転した。

というよりさせられた。誰のせいなのか。

前回登場した天海さんですよ。

江戸を守るために上野に広大な寛永寺伽藍を創建(1625年)したのでやむなく遷座(別の説もある)。

徳川や天海さんには逆らえないですからね。

ここには富士塚もあります。文政11年(1928)の築造。

高さ約5㍍、直径約11㍍。

原形がよく保たれているので国の重要有形民俗文化財に指定されている。

Img_7273

遊女の墓でしょうか。

もう吉原のすぐ近くです。ここは吉原弁財天。

明暦大火(1657)で日本橋から移った新吉原は湿地を埋め立てて造成された。

残った池にはいつしか弁天さまがまつられた。

関東大震災では遊女たちが逃れてきて、花園池・弁天池に飛び込んだ490人が溺死したという。

昭和34年に埋め立てられて今は名残りの水たまりがあるだけです。

花吉原名残碑なんてのも建ってます。

「ニ神出世この方 男女相聞の道開け 日本国は常世の春となれり・・(略)・・爾来年と共に繁榮し やがて江戸文化の淵叢となれり 名妓妍を競ひ万客粹を爭び 世俗いふ吉原を知らざるものは人に非ずと」

共立女子大学教授で俳人、古川柳研究家の山路閑古の碑文です。

先生方は苦界なんて見ずに常世だけを楽しんでたんでしょう。


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鷲神社は11月5日の一の酉を前に熊手店や露店設営の真っ最中。

ことしは三の酉まであるので火事に気をつけましょう。

祭神は天日鷲命と日本武尊。

天日鷲命は諸国の土地を開き、開運、、殖産、商賣繁昌に神徳の高い神様。

つまり「市」「市場」の神様といえるでしょう。

古来「市」は神に守られており、正しいまつりごとが行われるのを和市(わし)の世といった。

こうした権力の介入しない神のもとの市場(和市)が鳥の王の鷲に転化。

鷲の方が権威がありそうだからね。

大きな市の開かれた神社が鷲神社となっていく。

以上、鈴木理生「江戸はこうして造られた」(ちくま学芸文庫)を参考にしました。


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