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2015年10月28日 (水)

上野東照宮などお山を散歩@地下鉄の地上を歩く会・日比谷線の6回目その1

上野のお山ってちゃんと散歩したことがない。たいがいが美術館や動物園に直行するばかりだった。

今回のコースは日比谷線を離れて上野公園ひとめぐりからスタート。

Img_7223

まずは西郷さんの銅像となりにある彰義隊墓所。

徳川家霊廟の警護などを理由に上野に立てこもった彰義隊。

東征軍の指揮官は大村益次郎。

彼を主人公にした「花神」が大河ドラマにもなりました。

すぐれた戦術家で、わずか半日で彰義隊を壊滅させた。

義を彰(あきらか)にすると言っていたんですが義がなくなっていたんですね。

江戸っ子たちはどう対処したんでしょうか。

浅草に住んでいた近代落語の祖、三遊亭円朝はゆかりの旗本の若様を自宅に匿った。

若様が外出する時は、圓朝と染め抜いた印半纏を着せ与えたという。

残党狩りが厳しかったんです。

放置されていた隊士の遺骸が僧侶によって、ここで荼毘に付された。

その後、明治7年(1874)になって新政府の許可を得て墓所が建てられた。

Img_7237

上野にも大仏があったんですが関東大震災で仏頭が落ちてしまいました。

高さは6㍍くらい。

寛永寺で保管されていたが、先の戦争で仏体は供出。砲弾にでもなったんでしょうか。

この地に戻ってきたのは昭和47年(1972)春彼岸。

尊顔だけですが・・・。

もともとは越後の村上藩主が自邸内のこの高台に土の釈迦如来立像を造立したのが始まり。

寛延8年(1631)というから江戸の初期です。

その後、銅像に改められ、仏殿も建立されていた。

「これ以上落ちない」というので合格祈願のスポットにもなってます。


Img_7247

上野東照宮はお参りせずに唐門だけ拝見。

日が当たるともっときらきらしてるんですが、少し遅かった。

左右には左甚五郎作の昇り竜、降り竜の彫刻。

夜な夜な不忍池に水を飲みにいったという。

ほんとに甚五郎作かどうかは知りません。

藤堂高虎が家康追慕のために屋敷内に宮祠を造ったのが始まり。

現在の社殿は家光が大規模に造り替えたもので、ほぼ当時の姿を伝えている。


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