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2015年10月29日 (木)

家康をたぶらかした?僧天海のことなど@地下鉄の地上を歩く会・日比谷線の6回目その2

上野のお山は寛永寺の境内だった。

家康の死後、江戸城の艮(うしとら)の地に寛永寺の堂塔伽藍を起こしたのが天海。

どこの生まれともはっきりしないが、家康の側近となり大変な権勢を誇った。

Img_7252

天海(慈眼大師)と彼が尊崇していた良源(元三大師)をまつっているので両大師。

開山堂、大師堂などともいわれるが一般に両大師、両大師堂といわれている。

お参りする人が多いですな。

天海は家康の大御所時代に幕政に深く関わった。

しかし、どことなく妖しげな気配を漂わせている人物でもある。

108歳まで生きたともいうし、足利将軍義澄の落胤説もある。

信長の比叡山焼き打ちのときには、すでにそこにいたと自慢していた気配がある。

実際はどこの馬の骨ともはっきりしないが、関ケ原の前年に川越の喜多院に入って再興した。

その後、家康にとり入って関東における天台宗の探題に任ぜられた。

そのときに喜多院の山号を東叡山とした。

家康が亡くなって神名を東照大権現と名付けたのも天海だった。

天照大神を意識してのことだった。

徳川家のための寛永寺の山号を喜多院からもらってきて東叡山とした、

こうして江戸に宗教的権威が与えられたんです。

(天海については司馬遼太郎「街道をゆく33 奥州白河・会津の道・赤坂散歩」を参考にしました)。

Img_7257

門扉に穴があいてます。

上野戦争の時の弾痕だそうです。

銃痕にしては大きい。かといって大砲のアームストロング砲にしては小さい。

なんだろうって仲間に訊いたら「ガトリング砲じゃないか」

「荒野の用心棒」や「続・夕陽のガンマン」でクリント・イーストウッドが派手に撃ちまくってました。

荷車に砲台を乗せ、ハンドルを回すと連続して弾丸が飛び出す。

マカロニ・ウエスタンの痛快さ極まれリのシーンになりました。

南北戦争で使い古したガトリング砲は幕末に輸入されてたようです。

この門は寛永寺旧本坊表門。国の重要文化財です。

本坊は山主の輪王寺宮法親王が居住していたところ。

本坊は上野戦争で焼失したが、表門だけが戦火を免れた。

明治11年(1879)に帝国博物館(現東京国立博物館)の正門として使われ、関東大震災後に現在地に移された。


Img_7261

鴬谷駅を越えて下谷に入ります。

朝顔市で有名な入谷鬼子母神。真源寺というお寺です。

境内は案外に狭い。

境内に句碑が建っていて、近くの根岸に住んでいた子規の句がある。

これ読めますか。「蕣の 君いかめしき 文学士」。

親友の夏目漱石が訪ねてきたときに詠んだものです。

こんな漢字、見たこともない。読めるわけがない。

「あさがお」だそうです。


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