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2015年9月19日 (土)

古墳を利用して建てられた喜多院@川越でうなぎ

「川越でうなぎが食べたいな」

提案したら川越在住の幼なじみがうまい店を調べてくれました。

Img_6214

昼過ぎに西武線の本川越駅に集まって歩いて20分ほど。

途中にたいそう有名なうなぎ屋が見えます。

「最初はあそこにしようかと思ったら、最近味が落ちたらしいんだ」。

観光バスで大量に客が来るのであしらいもぞんざいになっているらしい。

菓子屋横丁方面には行かずに喜多院目指して右折。

子供のころから川越といえばうなぎと刷り込まれてます。

母方が隣の狭山市なんで大人の話を聞いてたのかな。

いいねえ、この古さ。明治初年開業の「東屋」

ギシギシ音を立てる廊下を通って庭に面した座敷に案内された。

待つこと30分、匂いがたまりません。おいしゅうございました。

後日、川越に住んでる友人に評判を聞いたら「オレも時々行く」


Img_6216

腹ごなしに隣の喜多院にお参り。

家光誕生の間、春日局の座敷がある客殿も見学。

江戸城から移築してのは確かだが、座敷を春日局が使っていたかはあやしいようです。

奥が谷になっている遠州流の紅葉山庭園を眺めながら「古墳じゃないか」。ふと思った。

「喜多院の境内とその付近には慈眼堂古墳(前方後円墳)、多宝塔古墳、三変稲荷神社古墳があって仙波古墳群を形成しています」

壁に張り紙があった。やっぱりね。

本堂(慈恵堂)に向かって左手の慈眼堂が古墳の上に建てられているんです。

伝承にいう。昔、このへんは海だった。

仙芳仙人が龍神の助けを得て海を干上がらせ、喜多院の前身の無量寿寺をつくった。

縄文時代は川越まで海が迫っていた。そのころの記憶が伝説になったのだろう。

同時に海に望む高台は縄文のころから聖なる土地だった。

現代に至るまで聖地が保たれているわけです。

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