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2015年9月24日 (木)

お告げの話・於竹さん、長谷川一夫夫人@地下鉄の地上を歩く会・日比谷線の5回目その3

べったら市って、なんとなく知ってるが行ったことはない。

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大根を麹で漬けたべったら漬けもあまり食べたことないな。

甘いのが好みじゃなかったからね。

その発祥がこの宝田恵比寿神社。

10月20日の恵比寿講に使う神像、打ち出の小槌などを売る市が立っていたが、ここで売られるべったら漬けが評判になり、「べったら市」の名が定着した。

宝田神社は宝田村にあったが江戸城拡張のためにて村ごと日本橋本町に移転した。

同じく平川河口にあった祝田、千代田村も移転して、大伝馬町、小伝馬町、南伝馬町となり村長は幕府の伝馬役を兼務した。

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通り過ぎてわき目をしていたら「於竹大日如来縁起」の碑。

庄内から大伝馬町馬込家に奉公に来た於竹は、働き者で一粒の米も粗末にせず貧困者に施した。

ある日、羽黒山の行者が訪れ「夢に見た羽黒山のお告げによると於竹は大日如来の化身である」と告げた。

驚いた主人は勝手仕事を辞めさせ持仏堂を造って念仏の道に入ったという。

綱吉の母堂桂昌院の歌に「ありがたや 光とともに 行く末は 花のうてなに 於竹大日」。

ここには使った井戸の跡があるだけです。

馬込家というのが大伝馬町の名主で道中伝馬役も兼務。

宝田恵比寿神社の恵比寿像は馬込家が家康から拝領したと伝えられる。

それにしても菩薩や観音の生まれ変わりはよく聞くが大日如来とはでっかくでたものだ。


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伝馬町といやあ牢屋敷、跡地に着きました。

繁華街の隣なんですね。

お寺があったのでのぞいてみました。身延別院(日本橋小伝馬町2)

てかてかの大黒様があったので説明を読むと長谷川一夫が登場してました。

長谷川一夫出身の京都伏見には「油かけ町」があり、油売りが石像に間違って油をかけてしまったが、それ以来商売が繁盛したという伝説があった。

しげ夫人が戦後間もなく油かけ天神を夢に見て、東京に祀れとのお告げを得た。

それで別院の住職と相談してここに祀ったという。

於竹さんも拝まなかったし、油もかけてきませんでした。


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牢屋敷のあとは十思公園になってます。

学がないと意味が分からない名前です。

十思と書いて「じっし」と読む。隣の小学校名からとったもの。

中国の歴史書「資治通鑑」に天子がわきまえる10の心得として「十思之疏」ってのがあるんだそうです。

明治の小学校は格調高かったんです。

時の鐘などが移築されており、植え込みの中に「松陰先生終焉の地」の碑。

「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」の辞世の碑も。

近くに杵屋勝三郎歴代記念碑も。

二代目が近所の馬喰町に住んでいた縁だそうだ。

長唄三味線の家名で勝新太郎の父杵屋勝東治もこの流派。

勝も若い頃、二代目杵屋勝丸の名で三味線を弾いている。

もうお分かりでしょう。芸名は勝東治の師匠杵屋勝太郎から取っています。


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