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2015年9月14日 (月)

さすが米どころ豪農の屋敷は規模が違う@新潟県関川村

庄屋の家なんかはあちこちで見てますよ。

でも、その広さにびっくりしたのは初めて。信じられない広さなんです。

Img_6175_2

道の駅関川近くの旧米沢街道沿いに渡邉邸の門がずっと向こうまで続いている。

こりゃでかいぞ、とは思いましたが家の中がこれほどとは思ってもみませんでした。

国指定の重要文化財です。

敷地は3000坪、建物は500坪。

なんてことは後からパンフレットをみてから知りました。

500坪というとわが家の1階を20個くらい並べた広さかな。

数字じゃ実感出来ないでしょ。ご案内します。


Img_6151

道の駅で割引券をもらったので500円を払って入館。

広い土間が屋敷を貫いて、その長さにまずはびっくり。

桁行約35㍍というのはこの長さなんでしょうか。

野球の塁間は約27㍍。それより長い。

ボール投げなんてしてないから多分届かない。

それにしても写真が下手でイヤになっちゃう。

流し場からみたみて奥が玄関なんですが奥行きが表現出来てません。


Img_6171_2

間取り図の助けを借りましょう。

右手が通り土間。

流し、台所、中茶の間、茶の間、勘定の間が土間に沿って並んでいる。

パンフレットによると、母屋は桁行35.1㍍、梁間17.8㍍の切り妻造り。

幾度かの火災の後、文化17年(1817)に再建。

部屋数は約40、便所7カ所、浴室4カ所。

使用人の部屋は土間の右手の屋根裏部屋。

全盛期には75人がいたという。


Img_6160

大座敷から勘定の間を望んだショット。

まるでお城ですな。

初代は村上藩の郡奉行だったが隠居して寛文7年(1667)この地に転居。

二代が回船業を営み酒造業もはじめる。

三代は、財政難に苦しんでいた米沢藩に融資、幕末までに総額10万両以上を用立てたとか。

1000㌶(約1000町歩)の山林と700㌶(約700町歩)の水田を所有、約1万俵の小作米を収納してたんだって。

日本一の豪農酒田の本間家は3000町歩。それには及ばないが関東の豪農とはケタが違います。

庭は京から遠州流の庭師を招いた国指定の名勝。蔵も現在は6棟だが幕末には12棟。

いやあ、びっくりしました。

米どころの豪農はすごいもんです.

↓文字が小さいので大きく掲載します。大正14年の下越方面金持ち番付です。

Img_6173

渡邉家は西の前頭8枚目。

上には上があるもんです。米どころ越後の実力をまざまざと見せつけられました。


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