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2015年9月17日 (木)

米沢城跡の狭さに上杉景勝、直江兼続の苦労をしのぶ@山形県米沢

旅の終点は米沢市。米沢牛を食べる前に米沢城跡に行きましょう。


Img_6209

堀があるので中に入ってみると上杉神社などしかない。

奥には城館なども残っていず、木が茂っているばかり。

まさかこれが城跡ではあるまい。

城といえば江戸城は別格にしても熊本城とか松本城など豪壮なものしか思い浮かばないからね。

堀の外に出て周囲を歩いてみるが見当たらない。

散歩中のおばちゃんに訊くと、堀の内が城跡だと言う。

こんなに狭いの。

豊臣期以来の城は「安土城以来の流行で華麗豪奢になり、石垣を築き上げ、天守閣をつくったりした」(司馬遼太郎「街道をゆく10羽州街道・佐渡の道、朝日文庫)

そんな気配は全くない。

城塁は当時流行の石垣でなく土塁だ。

城も平城で本丸・二の丸・三の丸などがあったが明治になってすべて壊され、本丸跡に上杉神社が建てられたのだ。


Img_6203

越後で強大な勢力を持った上杉氏が豊臣期に会津に移されても120万石という大封。

関ケ原の敗戦で30万石に減らされ米沢に移った。

家老の直江兼続が領していた土地だ。

会津の上杉というが、米沢も領地だったんです。

その後、相続の失敗で15万石に減らされたときでも5000人以上の家臣を抱えていた。

家臣の禄も単純にいって4分の1になった。

上杉景勝はじめ上杉家は耐えに耐えた。

跡継ぎのいなかった直江兼続は養子をとらずに絶家を選択した。

「絶家とは石高を返上して家名を消すことをいう・・・大名級の高禄取りである直江家が絶家になれば、微禄した上杉家はそのぶんだけたすかるのである」(前掲書)

だが、江戸期を通じて上杉家は景勝に冷たかった。徳川氏を憚ってのことだ。

この「天地人」の主従の像はまだ新しかった。除幕式が行われたのは2011年。

大河ドラマが放送されてようやく徳川の呪縛から解かれたものと思われる。

上杉神社も明治になってつくられたものです。

城内に謙信の廟所(不識庵)はあったが祭祀は真言密教の僧が行っていた。

廟所が神式に改められ、明治9年に神殿が完成した。


Img_6213

米沢の駅前は米沢牛の店ばかりです。

手軽そうな居酒屋も見当たりません。

チェーン店の「笑笑」はあるけど、そんな選択はないよね。

財布と相談して生ホルモンの店「成ル」へ。

上杉鷹山の「成せば成る・・」からつけた店名です。

この格言は江戸期を通じての米沢藩の窮乏の中から発せられたものなんです。

小さなお城を見た後は、なんとなく分かる気がします。

ホルモンのすき焼きが美味でしたよ。


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