フォト
無料ブログはココログ

« 御岳山に行けないのでこれで我慢レンゲショウマ@調布市野草園 | トップページ | 鹿島の核に期待される土居@マチダも注目 »

2015年8月16日 (日)

機銃掃射跡が生々しく・旧日立航空機変電所跡@東大和市

旧中島飛行機武蔵製作所の建物で唯一現存していた旧変電室の解体工事が7月末から始まった。

戦後70年の節目にまたひとつ「戦後」が消えていくんです。

「戦争」が残されている建物があると、つい最近知りました。

ちょうど内部も公開してる(23日まで)ので敗戦の日の15日に訪ねました。

Img_5781_2

南面の壁です。ぼこぼこになってるのは機銃掃射の跡。

100発以上は当たってます。

すさまじいのひと言です。

ここは東大和市の都立東大和南公園の一画。

建物は旧日立航空機の変電所。

戦後は一時的に米軍に接収された後、経営母体が変わりながらも1993年(平成5)まで稼働し続けてたいうのも驚き。

弾痕跡だらけの外壁の修復もしないままですよ。


Img_5776

日立航空機の全体図です。

左下が現在の多摩モノレール玉川上水駅。

その南に玉川上水が流れてます。

右には従業員の社宅などがあって今の西武拝島線の東大和市駅近くまで。

57万坪だって。広いよ。

左側が南公園。右側はイトーヨーカド—、東大和南高、中小企業大学校などに姿を変えている。

変電所跡の存在を知ったのは小学校時代の集まり。

なんと同級生が「東大和の戦災変電所を保存する会」の会長だったんです。

保存する会のチラシを見ながら別の同級生と「ICU(国際基督教大学)を思い出すねえ」

うなずきあいました。

わたしらが小学生の頃、旧中島飛行機の三鷹研究所を買収したICU内に銃撃された格納庫が残されてたんです。

屋根も窓ガラスも吹っ飛んで枠組みだけの格納庫。

銃痕がびっしりとついていて戦争が過去のものとは思えなかった。

Img_5805

右手の半円形のものは西方の団地内にあった給水塔の一部。

残念ながら取り壊されてしまったので一部分を移転して保存してるんです。

日立航空機ではエンジンを製造、近くの陸軍立川航空工廠、立川飛行機、昭和飛行機などに納入していた。

1945年(昭和20)、多摩地区の軍需工場は大規模な空爆を受けた。

日立航空機も例外ではない。

2月17日。グラマンF6F戦闘機など50機編隊による銃爆撃。

4月19日。Pー51ムスタング戦闘機数機。

4月24日。Bー29の101機編隊による爆弾投下。1800発余りが投下され工場は8割方壊滅。従業員や勤労動員の学生、住民など111人が死亡。

多摩地区は軍需工場だらけだったから重点目標になったんです。

この付近では前述の立川飛行機などのほか立川発動機、少年通信兵学校、陸軍兵器補給廠小平分廠、傷痍軍人療養所、陸軍経理学校・・など軍事施設がずらり。


Img_5791

内部にも爆撃の痕跡があります。

階段の手すりがえぐられてるのは銃弾が貫通した跡。

さらに壁に当たったんでしょう。

1993年(平成5)公園の整備のために変電所を含む工場の敷地の一部を東京都が買い上げることになった。

地域住民などの強い要望で変電所はそのまま残された。

東大和市では1995年に文化財に指定。

戦争の記憶を後世に残すことにした。

« 御岳山に行けないのでこれで我慢レンゲショウマ@調布市野草園 | トップページ | 鹿島の核に期待される土居@マチダも注目 »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

旧日立航空機の変電所は、まだ見たことがありませんが、
建物が当時の姿のまま、現在も残されていることに感心いたします。
生々しい機銃掃射の痕が「戦争」の恐ろしさを語ってくれます。

私も3年前に調布飛行場周辺に残る掩体壕や高射砲台座を見て回りました。
ICUに現存する旧中島飛行機の本館建物にも綺麗に改修される前、
剥がれた外壁仕上げの下に機銃痕が見られました。

正しく過去の歴史を伝え認識して、初めて反省できるのではないでしょうか。
将来、同じ過ちを繰り返さない為に。

芙蓉酔人さん。

よくもこんな建物が残されていたもんです。外部はいつでも見られ増すので、お時間があるときにどうぞ。

それにしても多摩には軍事関係の工場や施設が多いですね。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 御岳山に行けないのでこれで我慢レンゲショウマ@調布市野草園 | トップページ | 鹿島の核に期待される土居@マチダも注目 »

2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30