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2015年7月 8日 (水)

「ペコロス」に続いて自費出版本が映画に・・「黒島を忘れない」・その1

ちえみちゃんから電話をもらったのは5月だったか黒島に向かうフェリーに乗り込む前の鹿児島からだった。

「『黒島を忘れない』が映画化されるんです」

声は弾んでいた。

そんなすごいことになってるの。こちらもびっくりだ。

昨年の秋には、すっからかんで貯金なんてないのに夫の遺稿を出版にまでこぎつけ驚かされたばかりだ。

とりあえず話を聞かなくちゃ。

Photo_4

黒島。ほとんどの人が知らない。

鹿児島からフェリーで5時間あまり、噴火で避難勧告が出ている口永良部島の北西50㌔くらいの小さな島だ。

(写真は三島村村営の定期船「フェリーみしま」週3便運航。映画の宣伝担当㈱ピー・ツーにお世話になりました)

ましてやラジオも含めて通信の途絶えたこの島で戦争中にあったことなどまったく知られていない。

私も聞いたことすらなかった。

フジテレビで2004年8月15日に放送された「ザ・ノンフィクション〜終戦記念スペシャル 黒島を忘れない 59年目の友よ」を見るまでは。

「広司くんが演出した作品が放送されるの」ちえみちゃんから電話をもらったのだった。

「広司くん」はちえみちゃんの夫で映画監督の小林広司さん。

映画「林檎のうさぎ」などを手がけ、河瀬直美監督の「萌えの朱雀」ではプロデュースも行っている。

放送されたその日から広司さんは、黒島の記録を執筆し始めた。

撮影日誌やメモ、資料をもとに広司さんが知った事実をありのままに文章化する作業だった。

1時間の番組ではすべてを伝えきれていない。さらに解消されない疑問が頭にこびりついて離れなかった。

書くことで、それらを解明したいとはじめたのだ。


       pencil    pencil    pencil

だが病魔が広司さんを蝕んでいた。

Img_5013


「何かに取り憑かれたように原稿を書き続けるものの、体調は悪化するばかり。もがきながら黒島に固執し続ける彼」(「黒島を忘れない」あとがき)

入院中も病室にノートを持ち込み執筆を続けたが、闘病が始まって2年6カ月。

2008年11月25日、自宅で51歳の生涯を閉じた。

3冊の大学ノートと未完成の原稿を残して。

       ship     ship   

「フジテレビがまた『黒島』を放送してくれるの。今度は私も少しだけ出てるの」。

09年8月の再放送に続いて「黒島を忘れない2014」が昨年夏、フジテレビで放送されたのだ。

ちょっとどころではなく、ちえみちゃんの目を通した黒島も描かれていた。

同じ素材でキー局が3度もオンエアするなんて異例中の異例だ。

その後、ようやく未完の遺構が動き始めた。


       clip      clip     clip

タイトルにいつわりありです、あはは。

まだ出版までも行き着いてません。ましてや映画のことなんて。

敗戦の年の昭和20年、小さな黒島で島民たちと特攻隊員たちにあったことについては全く触れてません。

時系列にそわないと分からないのでご免なさい。

稿を改めます。


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