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2015年6月18日 (木)

まずは泰明小学校から銀座散歩@地下鉄の地上を歩く会・日比谷線の4回目その1

ひと月半ぶりの地下鉄の地上を歩く会。日比谷と銀座駅の中間、数寄屋橋あたりからスタートです。

Img_4685

まずはみなさんご存知の泰明小学校。

明治11年(1878)に開校、有名人が卒業したことで知られてます。

建物は関東大震災で全焼、昭和4年に再建されたもの。

正面玄関の門柱、アーチ型の窓、つたの絡まる校舎など風情があります。

玄関前の道はみゆき通り。

明治天皇が海軍兵学校などへの行幸(みゆき)の際に通られた。

1964年にはアイビールックにズタ袋を下げたみゆき族が闊歩した。

私も“右手に平凡パンチ”にあこがれてましたので見物に行きましたよ。

代表的な卒業生は北村透谷と島崎藤村。


Img_4681

玄関脇の銀座の柳2世のとなりに石碑が置かれてます。

「島崎藤村 北村透谷 幼き日 ここに学ぶ」

透谷は小田原から京橋区弥左右衛門町(今の銀座4丁目)に引っ越し、卒業まで通った。

透谷は自由民権の活動家を通じて三多摩とも縁が深い。

妻の美那子は三多摩の最高指導者石坂昌孝の娘。

三鷹の吉野泰三家からは透谷の書簡が発見されている。

数寄屋橋をもじってつけたペンネームが透谷。

4つ下の藤村は透谷から深く影響を受け、透谷を主人公にした小説「春」を発表している。


Img_4687

この人も卒業生です。殿山泰司さん。

夜逃げ同然に神戸から逃げてきた父親と愛人。

泰司と弟も一緒だった。

知人の紹介で服部時計店(今の和光)の裏にあった食堂を譲り受けた。

愛人の名前太田コウから店名はお多幸。

今でもあちこちにおでん屋のお多幸がありますが、泰司さんが継がなかったために弟子にのれん分けした店のようです。

「上方風に鍋を前面に出して、客が自由にとって食べられるようにしたのが繁盛の元になった。糸こんにゃくをお稲荷さんで包むのもコウの発案」(「三文役者の死 正伝殿山泰司」新藤兼人、岩波現代文庫)

ほかに芸能関係では信欣三、加藤武、中山千夏、和泉雅子など。

中山千夏は授業を終えてから芸術座の「がめつい奴」に駆けつけたんでしょうか。


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