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2015年2月24日 (火)

最後の将軍と高橋お伝@谷中霊園

根津権現から谷中の寺町を抜けると谷中霊園。

著名人の墓が第一目的ではありません。じゃあなんだ?

これが渋い。長く生きてきましたが、こんなところに関心を持つ人がいるとは思いもしませんでした。

Img_2201

石碑を捜して彫り師の名前を確認します。

ありますねえ。「廣群鶴鐫」。

群鶴は明和9年(1772)から代々谷中で営んでいた石屋。

特に5世の群鶴は名工とうたわれた。

評判が高く、江戸ばかりでなくて各地に呼ばれて石碑を彫った。

富士山の下山仏がある富士宮の大頂寺にもありました。

ですが私には猫に小判、豚に真珠、牛に経文。

彫りの良さなんててんで分かりません。

「鐫」は「せん」と読みます。

彫り刻む、転じて道具ののみ、たがねの意味です。

Img_2196

ガキのころから高橋お伝の名は知ってます。

先生は教えてくれないから講談で覚えたのかな。

毒婦という言葉に恐怖と憧憬を覚えたのかもしれません。

単に食べ物のおでんを連想してただけか。

これはお墓ではなくて招魂碑。

毒婦が定着したのは仮名垣魯文の一代記「高橋阿伝夜叉譚」などから。

実際には男に利用された気の毒な存在だったとの見方がある。

毒婦に仕立てた魯文らが鎮魂のために建てたんです。


Img_2203_2

徳川歴代将軍の墓は12代が増上寺か寛永寺にあります。

家康は久能山と日光の東照宮、家光は輪王寺。

最後の将軍慶喜は谷中霊園に眠ってます。

墓石は建てられず葺き石でおおわれた円墳形式。

仏式ではなくて神道のようです。

水戸徳川の出ですからね。

天王寺五重塔跡も見ましたよ。

高校の教科書に幸田露伴「五重塔」が使われてました。

それは私も覚えてます。すらすらと一節をそらんじた仲間がいました。

明治の日本語は難しすぎてわたしにゃ理解出来なかった覚えだけがあります。

出来が違うんです。

     train   train   train

まだ行くんです。日暮里から京成本線に乗って柴又。

帝釈天題経寺で富士山の下山仏をとくと拝見。

去年暮れに訪ねてますので、御用とお急ぎでない方はこちらを見てください。

この日はここまで。上野に戻って駅前でお疲れさん会。

歩いたあとはこれが一番。プハーッ。


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