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2014年12月 7日 (日)

宮本武蔵が押し入った盗賊を撃退した徳願寺・市川市行徳@地下鉄の地上を歩く会・東西線の7回目その3

源頼朝がごちそうになったうどん屋に続いて剣豪宮本武蔵も出現します。

行徳ってのは奥が深いね。

Img_0859

常夜灯公園に掲示されていた地図。

卍卍卍卍卍。

お寺ばっかりです。

先日訪ねた東京・烏山寺町と違って移転したのでなくて戦国末期あたりからずっとある。

なんでこんなに集まったんでしょう。

まあ豊かだったんでしょう。

塩田は多大な利益をもたらしたのか、ほかにも理由があったんでしょうか。

分かりませぬ。

徳願寺は上の方。全部写さなかったので入ってません。

向かいは東京都なんですね。

江戸川(今の名称は旧江戸川)が江戸と千葉の境というのが初めて実感できました。

Img_0871

徳願寺にたどり着く前に八幡神社にも。

おおっ、感嘆の声が上がります。

裏手に富士塚があるじゃありませんか。

成田山の講だけじゃなくて富士講もあったのね。

小さいですが押切稲荷にも富士塚がありました。

門には鍵がかかってたんですが、ワイワイやってたら、おばちゃんが出てきて開けてくれたそうです。

喜び勇んでお転婆さんが山頂へ。

牟礼の里公園では栗の木に上るお転婆さんがいたっけ。


Img_0878

あちこちのお寺をのぞいて徳願寺。

スッゲエ山門。こりゃびっくり。

鄙(ひな)にはまれ、といったら失礼だろう。

鄙じゃなかったんでしょう。

元は浄土宗勝願寺の末寺。

徳川家康が帰依したことにより、「徳」をいただいて勝願寺と改めた(慶長15年=1610)。

三つ葉葵の紋所も許されてます。

本尊の阿弥陀如来像は北条政子が仏師運慶につくらせたもの。

本堂には湛慶(運慶の長男)作の閻魔大王像。

もっとあるよ。円山応挙筆の幽霊の絵、宮本武蔵が描いた「八方にらみのだるま」も寺宝となっている。

もう恐れ入るしかない。

武蔵までたどり着きませんでした。次回まで乞うご期待。


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コメント

おお、立派な山門ですね。
行徳方面は全く知識がありません。
多摩散歩人さんの写真と筆(キーボード)に乗っかって楽しませていただきます。
次回をお待ちしております。o(*^▽^*)o

マイマイさん。
私も初めて行ったんですが歴史のある街でびっくり。行徳はお坊さんの名前が元になってるみたい。隣は妙典。これも仏教からのようです。南無妙法蓮華だったかな。

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