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2014年12月 5日 (金)

侮れないぞ行徳・源頼朝も食べた?うどん屋@地下鉄の地上を歩く会・東西線の7回目その1

はじめて行徳を訪ねましたが、江戸時代にたいそう栄えた町だったんですね。

歩いてみると町の古さと繁栄を実感できます。

追い追いに紹介していきます。まずは頼朝も食べたといううどん屋。

伝説も壮大になると気分がいいですなあ。

Img_0860_2

ここは旧行徳街道。

成田山詣でのために江戸初期に開かれた。

笹屋うどん店の跡が残されてます。

安政元年(1854)の建物です。

伊豆で挙兵した源頼朝だが石橋山の合戦で敗れ、安房で再興を図る。

その途中に寄ったのだとか。

うどんをごちそうになった頼朝は源氏の家紋の笹りんどうを与え、「笹屋」と名乗らせた。

頼朝は真鶴から直接、船で安房に逃れているので、行徳には寄ってないはずなんですがね。

まあいいでしょう。

行徳には徳川家康が鷹狩りの際に通った「権現道」(こちらは事実みたい)もありますからね。

家康より古くないと箔がつかないと考えたんでしょう。

うどん屋は船着き場の近くだったので江戸時代に繁盛したのは本当です。

「音のない滝は笹屋の門にあり」「行徳を下る小船に干うどん」「出ますよと笹屋に船頭声をかけ」。

土産物の干しうどんがつるしてあった光景でしょうか。

船を待つ江戸っ子が笹屋でひと休みして、土産に干しうどんを買っていったそうだ。


Img_0863

こちらは旧浅子神輿店店舗兼母屋。

店は昭和4年(1929)の上棟。

豪快な正面の造りなどから国の有形文化財に登録されている。

行徳って神輿づくりが地場産業だったんです。

ちっとも知らなかった。

昭和期には関東地方の神輿の4割が行徳産。

あの日本一の神輿もここで造られたんだって。

深川・富岡八幡の一の宮の神輿ですよ。

行徳との距離がぐっと縮まります。

浅子神輿店の初代が行徳にやってきたのは室町時代末期。

仏師だったようだ。

お寺が多いからね。

まだまだ行徳には訪ねるところがいっぱいあります。


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