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2014年12月 6日 (土)

塩づくりで栄えた行徳(市川市)@地下鉄の地上を歩く会・東西線の7回目その2

江戸入りした徳川家康がまず最初に手を付けたのは運河の整備だった。

江戸城は後回しで「都市計画」を優先したんです。

東国で不足しているのは塩です。東西の決戦になれば西からの塩は断たれる。

目を付けたのが小田原北条氏時代から行われていた行徳の製塩。


Img_0865

塩を安定的に運ぶために行徳と江戸を結ぶ運河・小名木川を開いた。

それまでは海路だったが、気象条件に左右されずに輸送ができること。

さらに「安定した輸送路を確保するという軍事的配慮が第一の目的だったのである」

(「江戸の川 東京の川」鈴木理生、井上書院)

とまあ、行徳の位置づけについてお勉強。

塩を運ぶだけじゃもったいない。

庶民もおおいに利用します。

成田山詣でにはちょうどいい。

日本橋小網町から小名木川、新川を通って江戸川(現在の旧江戸川、ややこしいですね)を上れば行徳河岸。


Img_0868

かつての船着場が公園になってます。

スーパー堤防のモデル地区としてつくられたんだそう。

名前は常夜灯公園。

常夜灯は文化9(1812)日本橋の成田講中の人々が建てたもの。

ここで船を降りて徒歩で成田に向かったんでしょう。

「舟をあがれば、馬にものらず、細脛のちからをためさんと、かちよりぞゆく」

(松尾芭蕉「鹿島紀行」)

鹿島へも行徳からだったんですね。

船から上がった人、船を待つ人でにぎわったから前回紹介したうどん屋も繁盛したわけだ。

この絵は明治になってからのもの。蒸気船ですからね。


Img_0857

「江戸名所図絵」ではこんな光景です。

やっぱり常夜灯が目立つように描かれてます。

小さな舟です。

運河の小名木川はともかく江戸川を上るのはそうとうに揺れたでしょうね。


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