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2014年12月の記事

2014年12月31日 (水)

おいたわし・富士山から引きずり下ろされた観音様の数奇な旅@柴又散歩の3

帝釈天にも下山仏が安置されてると教わったのは、富士宮・大頂寺を訪れたときでした。

やはり下山仏の大日如来にお目にかかりにいったんです。

何かの縁とすぐに柴又散歩を計画して題経寺詣で。

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ガイドのおじさんが「とても珍しい物があるんですよ」

案内してくれたのが下山仏。

「これを見にきたんですよ」

そんなグループもいるのかとおじさんの説明にも力が入る。

向かって左は観音様。

富士山の東賽の河原に納められたもののようです。

室町時代の明応2年(1493)に尾張の吉左衛門が奉納と「甲斐国志」に記述がある。

背面の銘文と記録が一致するので間違いなさそうだ。

ただ納めたのは十一面観音。これは十一面ではありません。

どうしてこんなことになったのか。

復元にあたって他の仏像の顔をつけたのかも。


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背中には擦り傷があるのが、はっきり見て取れます。

題経寺で見つかった時は両腕が失われていたようだ。

廃仏毀釈で破壊されたのを村山(富士宮市村山)の人々が麓まで運んだ。

破壊前にこっそり下山させた仏様もある。

一時は、下山仏は村山の興法寺大日堂に詰め込まれていた。

誰がどうやって東京まで運んだのかは不明だ。

富士宮近くの港から船に乗せ、行徳辺りから江戸川をさかのぼったのか。

この観音像、数年前に富士山に約140年ぶりに里帰りしたことがある。

富士吉田の歴史民俗博物館の企画展で下山仏約20体が各地から集められた。

ガイドのおじさんも足を運んだという。熱心な人です。

向かって右は大日如来。江戸初期の作のようです。

題経寺は日蓮宗。

普通は真言宗の仏を置くなんてあり得ません。

なにしろ「真言亡国、禅天魔、念仏無間、律国賊」と排他的ですから。

ですが題経寺は寛容なんでしょう。

石畳の参道もつけ、花も供えられてます。

     fuji   wave   fuji

修験が盛んだった白山麓にも下山仏が残されてます。

石川県令(知事)の命令で廃仏毀釈が強行されたのは富士山と一緒。

山麓18カ村の総代が願い出て、下山させられたんだって。

こちらは「白山下山仏」として牛首(白峰)林西寺と尾添村に預けられた。

    sun   sun    sun

大みそかです。天気もいいので午後は深大寺にお参りに行こうかな。

大みそかの神社仏閣って好きです。

きれいに掃き清められて人も少ないので、すがすがしくお参りが出来ます。

みなさま、良いお年を。

2014年12月30日 (火)

さすが「彫刻の寺」見事な帝釈堂の彫刻@柴又散歩の2

帝釈天題経寺は「彫刻の寺」とも呼ばれてるんですか。

知りませんでした。世の中、知らないことだらけです。

題経寺の帝釈堂は総ケヤキ造り。彫刻を見に中に入ってみましょう。

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すごいでしょ。

こんな襖大の彫刻が10枚。

内陣の外側に施されてます。

法華経の中から選んだ説話をテーマにしている。

写真の右は「法師守護の図」、左は「常不軽菩薩受難の図及び法華経功徳の図」

無知ですので、なんのことだか分かりませんが・・・。

10人の彫刻師が手がけて発案から15年もかかって完成した。

関東大震災で彫刻師に渡っていたケヤキ材が焼失、再び良材を全国に求めたんだって。


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外をご覧ください。

すでにお賽銭用の囲いがつくられて、見た目はぶちこわしですが・・。

正面に伸びた松が青々しいでしょ。

瑞龍松といいます。黒松です。

この松、1月末に日本酒100本余が注がれるんです。

松にとっても百薬の長なんですかね。

「いくらお酒をもらっても赤松にはなりません」

ボランティアガイドのおじさんの決めジョーク。

パチパチパチ。

2014年12月29日 (月)

とらやとくるまや@葛飾柴又散歩その1

世間様は年の瀬で忙しいのに、ゆったりと柴又散歩です。

柴又くんだりまで出かけたのは帝釈天題経寺に安置してある富士山下山仏を見るためです。

富士宮から東京までわざわざ運んだんです。信仰の力ってすごいです。

その話はおいおいするとしてまずは腹ごしらえのだんご。

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やっぱり高木屋でしょう。

「男はつらいよ」のロケに際しては俳優の控え室や着替え場所としてお店を提供。

なので店内には歴代マドンナや渥美清さんとのスナップショットが飾ってあります。

そういえば「おばちゃん」のモデルにもなった高木屋のおかみさんが11月に亡くなったと新聞に出てたな。

名物の草だんごは何度か食べたことがあります。

ヨモギの香りが濃かったように覚えてる。

写真は売店の方。

向かいに中で食べられるお店があります。

暮れだからすいてました。おいしかったですよ。


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日も暮れて帰りがけに見かけたのは「とらや」。

だんご屋さんです。

こちらは第1作から4作まで映画の撮影に使われたそうです。

その後、店内は大船の撮影所にセットがつくられてロケでは街頭の場面だけ。

寅さんが参道を歩いたりする時だけ柴又ロケを行った。

映画では最初、寅さんの実家のだんご屋の屋号は「とらや」だった。

それが第39作「寅次郎サラダ記念日」(1988年)から「くるまや」に変更になった。

なにかあったんでしょうな。

今の「とらや」は柴又屋だったが、昭和末期に経営者が代わり、屋号も「とらや」にした。

そして屋号を登録商標にしたそうです。

そのため映画では「とらや」が使いづらくなったようです。

ロケでお世話になってる高木屋さんに気をつかったのかもしれません。

あたしゃ、そそっかしいので赤坂の老舗が苦情を訴えたとばかり思ってました。

大人げないななんて感想も。とんだ誤解でした。

羊羹、おいしいです。

2014年12月28日 (日)

縁起物なんだけどなあアメリカじゃ有害植物・マンリョウ@植物多様性センター

はびこったクズが樹木を枯らすので有害な侵入植物としてアメリカで問題になってる。

そんな話は聞いたことがあります。

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国際自然保護連合(IUCN)では「世界の侵略的外来種ワースト100」のひとつに選んでます。

日本じゃ秋の七草として愛でてるのにねえ。

マンリョウも「帰化有害植物」に指定されてます。

アメリカのフロリダ州のこと。

強い繁殖力と家畜への毒性が問題になってるんだって。

27日は土曜なので職員さんが園内をガイドしてくれる日。

「日陰でも育つので、あちこちで増えてます」

教えられると意識と目が合致します。

なるほど、そこにもここにも・・。

鳥が種を運んだんです。


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もう一つお勉強。

マンリョウの葉の縁がふくらんでます。

ここには葉粒菌が住んでます。

この菌は空気中の窒素を固定してくれる。

三大肥料の窒素、リン酸、カリのうち窒素を与えてくれるんです。

だから繁殖力が強いんだ。

まあマメ科の根粒菌みたいなものですよ。

自分で勉強したんじゃないです。掲示内容の受け売りです。

上の写真はイチリョウ(アリドオシ)

こちらは神代植物公園の山野草園です。

鋭いトゲがあるので気をつけてください。


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ことしもモズのはやにえ(早贄)を見つけました。

つかまえたカエルやカマキリなどを木の枝にさしておきます。

食料保存のためでもなさそうです。

ひからびたはやにえをモズが食べることはないそうです。

モズは足が発達していないので獲物を足で押えてくちばしでついばむのが苦手。

それで枝に刺して固定するという説もあります。

2014年12月27日 (土)

京王線は玉川上水の下を走ってるようだ@玉川上水を歩く会8回目の6

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改札口に掲出してあった地図をご覧ください。

新国立劇場や東京オペラシティのある方が北です。

京王新線の初台駅で遅れて参加のメンバーと待ち合わせ。

初台駅は甲州街道の下につくられた。

左側の緑に破線はなんだろう。

われわれが歩いてきた上水跡の緑道でしょう。

京王新線も黒の破線であらわしてます。

ということは京王線。

新線は甲州街道の下、京王線より深いところを通してるということになっている。

実際は上水跡の方に京王線の線路を掘ったみたい。

これまで、そしてこれから京王線の上を新宿まで歩くんだ。

なんか大発見をした気分。


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これは手前の幡ヶ谷を過ぎたあたりの山下橋。

水車をかたどってます。

話は戻って「初台」

気にも止めなかったが変わった地名です。

ここらは武蔵野台地の先端。

つまり下から見れば「台」

なので縄文遺跡もあります。

縄文人は海や川を見下ろす岬で集落を営みました。

太田道灌も今の代々木八幡の地に砦を築いた。名称は初台砦かな。

時代は下って江戸の初め。2代将軍秀忠の乳母が代々木に200石を賜った。

移り住んで初台の局と呼ばれたんだそう。


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上水跡は甲州街道と並行して新宿に向かってます。

新宿南口の手前まで緑道になってます。

夕方なので一段と冷え込んでます。

気温は2、3度でしょう。

音をあげる人は1人もなく、元気に歩きます。

新宿御苑横の上水を模したせせらぎの歩道を進めばゴールはすぐ。

夕方4時過ぎに着きました玉川上水水番所跡。

「水道碑記(すいどういしぶみのき)」の前で女子が記念写真。

この後野郎だけでも撮りましたけどね。


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御苑の東側、民家との間に空間が残されてます。

御苑の中を流れた上水の分水です。

ここから渋谷川へ流れてました。

千駄ヶ谷方面へたどろうとしたけど、寒いのでやめました。

あったかいところに入りましょ。

羽村から四谷大木戸まで踏破です。

パチパチパチ。


2014年12月26日 (金)

あっ水が流れてる!代田橋駅付近@玉川上水を歩く会8回目の5

やっぱり川には水が流れてないといけません。

明大和泉キャンパス前の緑道は和田堀給水所の手前で途切れてしまいます。

甲州街道を横切ったあたりに架かってたのが代田橋。

街道を渡ってガソリンスタンドの南側の細い道が埋め立てた跡のようだ。

京王線代田橋西の踏切を渡って駅前通り。

へんに曲がりくねってる。多分、上水だったところでしょう。

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ウロウロしてたら玉川上水にぶつかりました。

なんと水が流れてます。

お世辞にもきれいとはいえず、淀んでます。

土手には桜が植えられ景観を保つ努力はしているようです。

正面は代田橋駅のプラットホーム。

駅近くからここ「ゆずり橋」までに短い区間だけ水路を復活させてるんです。


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緑道に下りてゆずり橋を撮ったところ。

「土手や岸を整備し、1986(昭和61)年に下流にも約20年ぶりに水を流すようになりました」

と世田谷区の説明板が立てられてました。

橋と並行して水道管も玉川上水をまたいでます。

写真の向こう側なので見えない。

こちらは水道局和田堀給水所から代々木方面への水道管。

武蔵野市の境浄水場からの水が各地に配られてるんです。

江戸時代と現代の新旧の水道がここで交差してるというわけです。

この後はまた緑道。環状7号を横切ってお隣の笹塚駅まで南東から北東にカーブ。


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笹塚駅前から急激に南下します。

隣町は幡ヶ谷。

この谷を避けて迂回したようです。

あらま、また水が流れてるよ。

代田橋は世田谷区、笹塚は渋谷区。

笹塚小学校PTAの保存運動が実って、埋められずに残されたようです。

渋谷区だった自然環境を大事にしてるぞって、お役所は考えたんでしょうね。

水は自然の湧水のようです。

100㍍ほどだったかな、あとはまた緑道。

特養ホームを過ぎた先で(北沢5丁目)再び北上。

幡ヶ谷駅南からは甲州街道に沿って新宿、四谷を目指してます。

ずっと緑道です。ゴールは近いぞ。


2014年12月25日 (木)

井の頭線の上を流れていた玉川上水・明大前駅付近@玉川上水を歩く会8回目の4

和田堀廟所で著名人のお墓をひと渡り見学。

そろそろお昼にしようか。

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お隣は陸軍から一緒に払い下げられた明大和泉キャンパス。

久しぶりに学食で食べてみましょう。

その昔に来たことがありますが、ずいぶんと変わっちまった。

バット持った体育会系の学生に追いかけられたなあ。

他大学は入るなって。

星野仙一なんかがいたらしい。

食堂はなんと3階建て。

1階定食、2階麺類、3階カフェとカレー。

正午前でもかなりの混雑。1階の食券売り場が分からなかったので2階のラーメン。

明大ラーメンが確か280円。売り切れだったので塩ラーメン400円。

なかなかおいしかった。誰でも利用出来るようですよ。

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門から出るとすぐに玉川上水公園。

突如、巨大な土管があらわれました。

しかも上下に2本。

なんだろう?首をかしげました。

持ち歩いてた参考資料に出てました。

昭和41年(1966)に玉川上水の暗渠の上に東村山浄水場からの水道管が埋められた。

奥多摩湖もからっからに渇いて水不足で大騒ぎになったのがその頃。

そこで利根川からの水を供給できるようにしたんです。

ですので送水管の方が上水の跡。わたしらは脇を通ってます。


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ここは送水管の終点。

再び地下にもぐってる。

なぜ送水管が顔を出したのか。

下を井の頭線がくぐってるんです。

かつては井の頭線の上を上水の水がとうとうと流れてたんです。

川の下のトンネルを掘って大丈夫なんだろうか。

分厚いコンクリで塗り固めたんだろうな。

電車と土管が分かるショットを撮ればよかったなあ。

今さら悔やんでも遅いです。


2014年12月24日 (水)

珍しいねトネアザミにできたシモバシラ@植物多様性センター(神代植物公園)

最低気温はマイナス、快晴微風、条件良しの23日。

開門は午前9時半、余裕で10分前に到着。

正門から入って一番乗り。西門からは3人。

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シモバシラのとこもちらっと見るが、小さいのしか出来てない。

お目当てのキク科トネアザミに直行。

立派なのが出来てました。

バラの花びらみたい。カザグルマかな。

真ん中の茶色いのは茎です。

勢いよく水分を吸い上げたので盛大に横にはみ出してる。

シモバシラが見られるのはシソ科ばかりじゃないんです。

キク科だって条件が揃えば氷の花がつくんです。


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こっちも同じトネアザミ。

形が違います。

茎の中を上に氷が伸びてます。

こっちは枯れた茎を残してる。

最初のは茎を切ったので水分が横に広がった。

「けがの功名ですね。たまたま刈ったら大きいのが出来たんです」

どういう状態ならシモバシラが出来るのか。

お尋ねしました。

「維管束が真っすぐで・・・」

なにやら難しかったので頭が受け付けませんでした。

この後、神代植物公園に回ったんですが、全然、出来てませんでした。

バラ園の北、流れのところで見られたそうですが、影も形もなし。

もうシモバシラの茎がボロボロになってます。

吸い上げた水分がたまって凍る前にこぼれてしまうんでしょう。

野川公園のシモバシラも何本かは茎がボロボロです。

年内に見た方がいいかもしれません。


2014年12月23日 (火)

♬まぼろしの 影を慕いて 雨に日に・・古賀政男ここに眠る/本願寺和田堀廟所@玉川上水を歩く会8回目の3

ほら、マンドリンの音色が聞こえてきませんか。

まだ本願寺和田堀廟所にいます。

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社務所でいただいた「廟所案内図」を頼りに著名人のお墓をめぐってます。

樋口一葉は前回、紹介しました。

横綱吉葉山、映画監督内田吐夢、歌手の笠置シヅ子、新派の水谷八重子。

もちろん初代です。

二代目はわたしらにとっては水谷良重だもんね。

笠置さんの戒名は「寂静院釋尼流唱」

元気のいいおばさんで、ちっとも静かじゃなかった、なんて思い出してました。

失礼しました。本名が静子なんです。


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ひときわ大きな区画は古賀政男さん。

ここに墓所があるのは納得です。

だって明治大学和泉キャンパスの隣ですもん。

明治大学予科に入学した古賀さんはマンドリン倶楽部の創設に参加。

昭和3年、同倶楽部の演奏会で処女作の「影を慕いて」を発表したんです。

はらわたにしみわたる詞と曲。

失恋、自殺未遂の後につくったんです。どおりですごみがある。

まだ和泉キャンパスの土地は払い下げになってないですが。

まあ、ゆかりのある地ではあるでしょう。

♬ギターを取りて 爪弾けば どこまで時雨 行く秋ぞ

傘をさしながらもごもごとつぶやきました。


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ここらあたりなんだけどなあ。

海音寺潮五郎のお墓を捜してるんですが見つかりません。

この立派なお墓みたいですが、なにも書いてない。

「スマホで調べてみたら」

すぐに分かりました。本名が末富東作。

「末富家」だから間違いありません。

便利な世の中になったもんです。(ガラケーしか持ってないおっさんの述懐)。

このデザインはなんでしょう。

左上はケムンパス(©赤塚不二夫)みたい、まさかね。

正面は閉じられた二枚の襖をかたどったもの。

左上の模様は花柄だそうです。失礼しました。「末富家」は海音寺の自筆。

彫刻家半田富久氏の設計。

「海音寺潮五郎の代表作って何」

「薩摩の人だから西郷隆盛は書いてるだろうけど・・・」

ダメですねえ。読んでないんですよ。

近ごろじゃ、大河ドラマにもなった「天と地と」ですかね。(大河ドラマ化は1969年。おっさんにとっては「近ごろ」です)

     bud    bud    bud

ほかに中村汀女、服部良一、伊馬春部さんらのお墓があります。

レオナルド熊さんもここに眠ってるんだそうです。


2014年12月22日 (月)

樋口一葉、佃島祖先33人のお墓・本願寺和田堀廟所@玉川上水を歩く会8回目の2

そろそろ京王線の下高井戸駅近く。

相変わらず四谷に向かって玉川上水公園を歩いてます。

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左手に立派な建物が見えてきました。

広い駐車場の向こうは塀にさえぎられて屋根しか見えません。

門には大慈会教団と書いた札が下がってました。

霊友会から1953年に分派した新興宗教のようです。

詳しいことは分かりません。HPも開設してないようです。

霊友会からは立正佼成会なども分かれてます。

すぐ近くの地下鉄の方南町には立正佼成会があるな。

日蓮宗系のようです。


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すぐに築地本願寺の和田堀廟所。

樋口一葉がここに眠ってます。

社務所を訪ねて「著名人のお墓の案内はありますか?」

「何人様でしょうか」「20人ですが」

「コピーして差し上げましょう」

「4、5枚で結構です」

なんと20枚コピーしていただきました。

ご親切にありがとうございます。

いただいた廟所案内図を見ると「直参墓地」「佃墓地」がある。

さすが本願寺。門徒に「直参」が多かったんですね。

上の写真は佃島に移住してきた33人の墓所。

「佃島祖先参拾三名之墓」と刻まれてます。

明暦の大火(1657)で焼失した築地本願寺(当時は浜町御坊)の再建に佃島の人々力をつくした。

それで佃島の人々の区画が設けられ、祖先の墓所も設けたんです。


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なんで築地本願寺の墓地がこんな離れたところにあるんでしょう。

もともと江戸時代は幕府の煙硝蔵だった。

明治政府も陸軍省の火薬庫として使っていた。

昭和4年に本願寺と明治大学に払い下げられた。

本願寺は関東大震災で焼失、墓地の移転先を捜してたんです。

煙硝蔵は旧新選組を中心とした甲陽鎮撫隊を蹴散らした板垣退助率いる東征軍に発見されてしまった。

ここの火薬が上野に立てこもった彰義隊に使われたという。

なんたる皮肉。

一葉のお墓も築地から移転してきたんです。ちゃんとお花が供えられていました。

ほかにも著名人のお墓があります。

それは次回に。


2014年12月21日 (日)

暗渠になってても歩きます・下高井戸あたり@玉川上水を歩く会8回目その1

物好きです。埋められて暗渠になってても玉川上水をたどります。

この先ずっと四谷大木戸まで。しかも雨。傘さしてテクテク歩くんです。16日のことです。

天気くらいじゃめげない、おっさんおばさんたちです。

あとで調べた人がいて最高気温が5度だったんだって。

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前回は復活した「清流」が途切れ、暗渠になる浅間橋を確認した。

高速道路のそばを進んでもつまんないので京王線の上北沢駅集合。

地下の改札を出たらもうポツポツ来ました。

まずは甲州街道を渡り高速道路をくぐって玉川上水公園。

写真の左が甲州街道、上は高速。

地図でたどると、ここから四谷大木戸まで、上水跡がほとんど緑道になってます。

名称は場所によって変わりますが、だらだら歩いても事故の心配はなさそう。

交通標識には鎌倉街道入り口とあった。

ここにも鎌倉街道があるんだ。

あちこちにあるからね。

井の頭線の浜田山駅そばからJRの阿佐ヶ谷駅方面まで通じてるみたいです。


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緑道の左(つまり北)は急な坂になってます。

玉川上水は谷を避けて尾根伝いに造られたのがよくわかります。

水は下には流れるけど、上には上れない。

それで谷をよけて掘り進めたんです。

この谷は神田川の侵蝕で出来たもの。

神田川は並行して湾曲して流れてます。

そのあと永福町あたりから北上して離れてしまいます。

自然の地形をたどると北上しちゃうので、上水は東に向けて掘り進めたことが分かります。

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橋が残されてます。小菊橋。

ここからは玉川上水第三公園。

今までは第二公園。

第一もどこかにあるんでしょうが確認出来てません。

堀が残されて公園になってます。

下りられます。

玉川上水っぽくていいね。


2014年12月20日 (土)

午後でも間に合うよ氷の華シモバシラ@植物多様性センター(神代植物公園)

お寝坊さんでも間に合うよ。凍える寒さが苦手な人だって大丈夫。

シモバシラは融けずに氷の芸術をみせてくれます。

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まだ見られるかなあ。

去年まではこの時期だけ立ち入り禁止の場所を開放してました。

今年から別のところに植えたので、新しい場所で鑑賞。

なので午後でも見られるか半信半疑。

ついたのは午後零時半。

日も高いし気温も上がってる。

でも、ちゃんと残ってくれていました。

かなり融けてしまったようですが。


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10時前には来園くださいと案内はあるんですが、朝の冷え込みは厳しい。

ズボラをかいていつも午後から。

何とかなるもんです。

係の人に訊いたら、この日はトネアザミの切り株に大きいのが出来てたんだって。

写真をみせてもらったらカザグルマみたいな形。

あとオトギリソウにも出来てたそう。

シソ科じゃなくても出来るんですね。

要するに茎は枯れても根が生きてれば水分を吸い上げる。

それが凍っていろんな造形を作り出してくれるんです。

神代植物公園の方でも見られます。

バラ園北の流れのところ。

来週にでも寒風をついて午前中に出かけてみよう。


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こっちは本物?の霜柱。

立派なもんです。

みんな真っすぐに上に伸びてます。

まず地表面の水分が凍る。

地中の水分が毛細管現象で地表面に引き寄せられる。

引き寄せられた水が氷となって、地表の氷を押し上げる。

これの繰り返しで霜柱が出来上がる。

ザクザク踏むと気持ちいいよ。


2014年12月19日 (金)

幻想的でした・夕闇に浮かぶ浅間大社@またまた富士山行その5

浅間大社に着いたらもう日は落ちていました。

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街灯がともってるのに、まだ富士山がくっきり。

向かって左の方が大沢崩れ。

正面からみえる田貫湖から下りてきました。

白糸の滝からは路線バスで30分ほど。

富士山がずいぶん小さいです。

一日中、富士山を仰ぎながらすごしました。

なんたる幸せ。


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コノハナサクヤヒメに感謝しましょう。

大社の拝殿がまた幻想的。

もうあたりは夕闇がおおってます。

ともされた灯りが朱の拝殿を浮かび上がらせてる。

写真とはダンチの違いです。

午後5時になると神官が扉を閉めにやってきます。

閉め終わるまで黙って見つめていました。


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大社をあとにして振り返ってみました。

あたりはとっぷりと暮れているのに富士山が見えている。

沈んでしまっても太陽の光が富士山に届いてるんですね。

高い山だからなんでしょう。

これから東京までかえります。

その前に朝から番まで顔を出してくれた富士山に感謝の乾杯をしなければ・・。

7時半ごろの列車に乗れば十分に間に合う。

富士宮焼きそば何ぞをつまみにのどをうるおしましたとさ。


2014年12月18日 (木)

さざ波に揺れる逆さ富士・田貫湖@またまた富士山行その4

雲ひとつない富士山。

「ふじの山 のぼりてみれば なにもなし よきもあしきも 我がこころなり」(食行身禄)

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見てるだけでも心が映し出されるようです。

ここは田貫湖。休暇村手前の小さな岬から眺めた姿です。


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ズームしないとこのくらい。

風よ止まれ。

さざ波が立ってます。

それでも湖面に白い富士山が映ってます。

大沢崩れも見て取れます。

みんな無言。

ひたすらに逆さ富士に見とれました。

田貫湖はもともと狸沼と呼ばれていた。

富士山本宮浅間大社の神官の田貫次郎実長がこの地に隠居。

以後、田貫沼と呼ばれるようになった。

大社神主の苗字は富士氏。

調べると傍系に田貫氏があります。隠居は事実のようです。

隠居して地名をとって田貫氏と名乗ったのでしょう。狸じゃあんばい悪いからね。

1923年の関東大震災で、芝川の水量が減ったため狸沼を掘り起こして人造湖にした。

関東大震災の影響はこんな遠方まで及んだんだ。すげえなあ。


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車で10分ほどの白糸の滝にも寄りました。

10月に訪れた時は雨だった。

晴天の滝を見ておかないと気がすまない。

観光客があんなに小さい。

少しだけ紅葉が残ってましたが、見ごろのころの美しさはいかばかりか。

これで気も晴れました。

そろそろ富士宮市街に戻りましょうか。


2014年12月17日 (水)

まっぷたつに裂けそう富士山の大沢崩れ・田貫湖から@またまた富士山行その3

パンパカパーン、本日のハイライト!(古いです。by漫画トリオ)

いよいよ田貫湖到着です。

仕事でお忙しい「ローリング父さん」に甘えて車で送っていただきました。

ありがとうございます。

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何が有名かって、湖面に映る逆さ富士です。

その前に大沢崩れをとくとご覧ください。

田貫湖からはほぼ正面、侵蝕の激しさが分かります。

現状は山頂直下から標高2200㍍付近まで延長2・1㌔、最大幅500㍍。

ほぼ1000年前から崩れ始めて、今でも崩壊がすすんでる。

年に10㌧積みのダンプ3万台分の土砂が流出してるんだって。

この様子じゃ山頂も削られるんじゃないかと心配。

200年後には山頂に向かって大きく開いた扇形になると考えられている。

山頂が失われるのはその先か。

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北側の湖畔荘にレストランがあるので湖を半周。

早起きしたからお腹はペッコペコ。

20分ほどで着いたが、なんと本日休業。

土曜日なのにそりゃないよ。

仕方ないのでキャンプ場の自炊場でおやつ。

持参のお菓子や手づくりクッキー(byカネコさん)など食べて休憩。

タジマさんがお神酒「村山古道」をしょってきたので富士山に乾杯。

おいしかった。

お昼は南側のレストハウスに戻ってうどんを食べました。

↓雲もとれてきました。みんないい子にしてたからね。


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ガンバ3冠とアギーレ問題について@マチダのJ

年の瀬でマチダ家も忙しいようです。

おなじみA大サッカー部OBのマチダさんから山形の走力とアギーレ問題についての感想が届きました。

     shoe   shoe   shoe

ガンバの3冠、我が家のイベントの為見てません。結果は見えてましたけれど。

とはいえ、山形を軽んじたわけでもありません。

何よりよく走力で決勝まで来たんですから。

怯むことなく戦ったようですね。大健闘。

走るとは、速くだけではありません。

サッカーでは30㍍をトップスピードで何回走れるかの方が重要です。

100㍍を9秒台で走れれば、もちろん大きな武器です。

しかしそれだけでは使えないのも事実。

山形は全員が30㍍を最後まで走り切ったのだと思います。

他のクラブも走ることの意味を真剣に考えるべきです。

特に日本人監督は練習から鬼にならないと。

技術も走らなければ生かせません。

footfoot

アギーレ問題。結果が無実であっても、検察が動いているのですから噂だけで起訴まではされないでしょう。

結果が無実であっても国の代表を率いるわけですから、この先どうなるかわからない監督との契約は破棄するべきでしょう。

トロい協会なので、不祥事の条項なんか契約書に入れてなかったのと違いますか。

もたもたしているのは保身と杜撰さを隠すためかも。

早くすっきりさせた方がいいのは分かりきっています。

報道によると白黒がつくまで時間がかかりそうでしすしネ。

                              マチダ

2014年12月16日 (火)

3度目でようやくご神体を遥拝・山宮浅間神社@またまた富士山行その2

全国にあまたある浅間神社発祥の地、ということになります。

まことに由緒正しいんです。なので、いにしえの信仰形態が残されている。

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拝殿も神殿もなくて、遥拝所だけがもうけてある。

手前に石を積んだり組んだりしてあります。

ここが遥拝所。

拝むのはもちろん富士山。

山そのものがご神体なんです。

大神神社なんかもそうですね。

三輪山がご神体。

自然物を祀った原始の面影をとどめてるんです。

3度目ですよ、山宮浅間神社に参るのは。

ようやくご神体を拝めました。


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ズームで寄ってみましょう。

思わず手を合わせたくなるでしょ。

たった3回で姿をあらわしていただけたご神体に深く感謝。

山頂に雲がかかってますが、奥ゆかしくベールをかぶっていらっしゃるのでしょう。

やがて時代を降ると山宮から麓に神様が下りてくる。

いろんな神社でも見られますね。

浅間神社も里に下りて湧玉池のそばに建物がつくられて鎮座する。

それが富士山本宮浅間大社。

もっとも、その逆で後世に山宮が置かれたのではという疑いも残ってます。


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大頂寺下山仏の前に寄ったのが平等寺。

この三門は廃仏毀釈で廃寺となった富士市今泉の東泉院の中門を貰い受けたもの。

東泉院は下方五社と総称される有力神社(富知六所浅間神社、瀧川神社、今宮浅間神社、日吉浅間神社、入山瀬浅間神社)の総別当を勤めていたお寺。

今川氏の時代は村山修験と関係が深かったようだ。

廃寺にされたのはよっぽど目の敵にされるわけがあったんでしょう。

多分、勢威を誇っていたので集中砲火を浴びたんでしょう。

それにしても富士宮市に来ると、どこから見ても富士山が大きい。

もうそれだけで満足です。


2014年12月15日 (月)

柴又の帝釈天にもあるんだぜ富士山下山仏@またまた富士山行

雲ひとつない富士山が見たい・・・。

10月に人穴富士講遺跡縄文の千居遺跡を訪ねたがあいにくの雨でした。

ならば再チャレンジと行ってきました富士宮。しばらく富士山旅におつきあいのほどを。

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この半月は天気予報を気にしてばかり。

13日の気圧配置は西高東低、静岡地方は西の風強く晴れ時々曇り。

絶好の富士山日和。朝5時半には起きていざ西へ。

車窓からはきれいな富士山が見えて、心ははやる。

新幹線こだまからバチバチ撮ってる人もいましたが、ここはぐっと我慢。

後でもっとすばらしいのが撮れるんだから、と言い聞かせます。

でも身延線からはなだらかな稜線が広がる姿。

あとで雲がかかることだってある。

一応、残しておきましょう。

この日は逆さ富士で有名な田貫湖と白糸の滝などをめぐる予定。


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その前に訪ねたのが浄土宗の大頂寺。

富士宮駅から徒歩10分ほど。

廃仏毀釈の嵐をかいくぐった富士山下山仏が祀られてるんです。

10月の富士山行では富士高砂酒造に残されてる下山仏を拝見しました。

13日は月に1度のご開帳日。

なので日取りが決まったんですが、下山仏の大日如来がピーカンに導いてくださったんですね。

大日如来の慈悲に深く感謝して、お賽銭をはずみましたとも。

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祀られてるのは門からすぐの虚空蔵堂。

本堂に上がるのかと思ってたので、あっさりお参り出来るのにびっくり。

富士宮市教育委員会によると「富士山から下ろされた仏像は、当時浅間神社とかかわりの深かった中屋・かぎや等が分割して貰い受けたといわれる」。

中屋、かぎやってなんだべ。

商店の屋号のようですが・・。

ここで「ローリング父さん」が教えてくれました。

富士山でいつもムラヤマフジコちゃんがお世話になってる方です。

私も須走口で幻の滝、グランドキャニオンに行ったときにお会いしてます。

「吉良(だったかな。現愛知県西尾市)や題経寺にも下山仏があるそうですよ」

(吉良じゃなくて岐阜県可児市のようです。いい加減に聞いてました)

ええっ、柴又の帝釈天にもあるの。下山仏ってそんなに身近な存在なの。

ブログ「四季歩のつれづれ」が詳しく紹介してました。

釈迦堂の横に大日如来像と観音菩薩像が納められてるそうです。

富士講の人が捨てられてたのを持ち帰って安置してもらったのかな。

さらにショッキングな事実が。背中には無数の擦り傷がついている。

山頂から引きずり下ろされたときについた傷のようだ。

柴又に行かなくちゃ。


2014年12月14日 (日)

コンデジではこれで精一杯カワセミ撮ったけど・・@神代植物公園

カワセミが来てるかどうかはすぐに分かります。

三脚に大砲を構えたおじさん、おばさんがいますから。

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大砲の向きを見なくてもどこに止まってるか、すぐに見つけられます。

だっていつも同じ桜の枝なんだもん。

でも、池のこちらから桜の木までは30㍍近くある。

30倍ズームのコンデジの威力を試してみました。

ピントが枝にいってます。

まあこんなもんでしょう。

100㍉や150㍉にはかないません。

もう少し近ければ何とかなりそう。

10㍍先くらいの野川公園で試してみましょう。


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アジサイの裏、カツラのあたりにオオハナワラビが群生してます。

3、40本以上もある。

胞子嚢穂に元気がないので写真は来年まわしです。

近くにノゲシが。

チチコグサ、キツネアザミなんかも咲いてたんですが霜が降りて散ってしまいました。

皇帝ダリアもしおれてましたねえ。


2014年12月13日 (土)

メギは目木なり・目にいいからです@植物多様性センター

赤い実っていつまでも残ってる気がします。

赤くなるのは鳥に見つけてもらうためのサイン。

なのに初めのころ鳥は見向きもしない。しかし、いつの間にかなくなってる。

色とは別に食べごろのサインがあるのかもしれません。

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職員さんが写真を撮ってました。

「なんですかあ」

「メギの赤い実です」

ほんとだあ。いい色をしてます。

長円形もかわいい。

何度も通ってるけど気づきませんでした。

なのでメギの実は初めて。

だいたい、ここにメギがあることすら認識してない。

こうやって少しずつ覚えていきます。

乾燥させた幹を煎じると洗眼薬になる。

なので目木。別名コトリトマラズ、コトリスワラズ。

嘘みたいな名前。トゲがあるからです。


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ボケが見ごろです。

寒ボケでしょうか。

なんか一年中咲いてる気がしてる。

そのせいかありがたみが少ない。

ぜいたく言ってちゃいけません。

この時期、開花してるのは貴重です。


2014年12月12日 (金)

仲がいいねゴイサギとコサギ@野川公園

「橋の下にゴイサギ、コサギ、ダイサギが一緒にいるよ」

ボランティアのおばちゃんが教えてくれました。

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そりゃ珍しい。

おっとり刀で駆けつけます。

ありゃ遅かりし由良之助、下流に移動してます。

それでもゴイサギとコサギは仲良くひなたぼっこ。

ゴイサギはじっと遠くを見て動かないのが普通。

なのに素早い動作で川にくちばしを。

餌を捕まえてました。

(アオサギの間違いとご指摘が。どおりでやたらに動いてました)

ダイサギは橋のそばにとどまっていて3ショットはならず。

サギって種類は違っても仲がいいみたいです。


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花は少ないので植物観察会ものんびり。

「あそこにモズが」

ボランティアさんが見つけてくれました。

「どこどこ」「あの木の枝」

観察会でいつも顔を合わせる奥様が教えてくれました。

30倍ズームの威力発揮。

ちゃんと撮れてます。


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植物も載せましょう。

落ち葉のせいばかりじゃありません。

冬の日射しって茶色がかってる。

フィルターをかけたみたい。

写真にするとはっきり分かります。

なのでムサシアブミの実も、やや茶色。

倒れないで持ちこたえてるのは、添え木がしてあるため。


2014年12月11日 (木)

氷の華シモバシラ出来てます・・高尾山と時期が変わらんねえ@植物多様性センター(神代植物公園)

10日の八王子の最低気温は−2度ですよ。調布も同じようなもんです。

緑が多い多摩地方は冷えます。

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だったら、もうできてるだろうと様子見。

ことしから門柱にこんな張り紙をするようになりました。

「出来てます」。

ドキッとしないでね。シモバシラですから。

10月からスタッフになったお兄ちゃんに訊いたら、

「まだ小さいですが早いうちに見られました」

数日前にも氷の華が見られたんだって。

多分寒波が来た6日でしょう。

張り紙で示されたのは、ことし植えた新しいところです。

茎がほどよく枯れて本格的に楽しめるのは2週間ほど先かな。


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☜写真は今年1月のもの。

ふだんは立ち入れない雑木林で大振りのが見られます。

シモバシラの時だけ開放されてたんです。

「ことしはどうなの?」

「お客様の声として会議にあげます」

頼むよお兄ちゃん。

ついでに言うと高尾山での初観測は6日。

《12月6日 植物のシモバシラに「氷の華」と呼ばれる現象ができました。昼過ぎには初雪がチラつきました。【自然解説員】》

高尾ばかりでなく八王子市街でも雪がちらついたらしい。

いつも買いに行く肉屋のおやじが話してました。

八王子から帰ってきたお客さんが言ってたそうだ。

     fuji    fuji   fuji

週末にはまたまた寒波襲来。シモバシラにも絶好の条件でしょう。

なんでも初物がお好きな方はどうぞ。

     snow    snow   snow

高尾山の観察ポイントはこちらです。(ビジターセンターのHPより)


①稲荷山の登り口付近 シモバシラ以外にも、カシワバハグマにできた氷の花も見られます。

②5号路 日当たりがいいので、早めに来ないと融けてしまいます。

③もみじ台の北側巻き道 日影なので遅い時間でも見やすい場所。ただし、踏み込みに注意!

③でいっぱい見られるようです。私は軟弱なので早朝に行ったことはありません。

2014年12月10日 (水)

宮本武蔵のお地蔵さん・行徳(市川市)の徳願寺@地下鉄の地上を歩く会・東西線の7回目その4

行徳のお隣、船橋の法典ヶ原で宮本武蔵は開墾をはじめた。

ある日、徳願寺を盗賊が襲ったが武蔵が駆けつけて撃退。

村人たちが感謝する中、上人に木造の観音像を渡して旅立っていったーー。

巌流島の決闘の直前だったという。

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「続・いちかわの昔話」に「宮本武蔵のだるまの絵」として紹介されてるそうです。

「妙典の昔話」では、藤原玄信と名乗って徳願寺を訪問したという。

徳願寺にはちゃんとお地蔵さんも立ってます。

「新免宮本武蔵藤原玄信二天道楽大徳菩提」

「新免」は祖父方の姓。「二天道楽」は号。

こんなに仰々しいと信じちゃいますよね。

でも船橋、あるいは行徳にあらわれたというのは伝説のようです。

出所は吉川英治の小説「宮本武蔵」のようだ。

決戦前のひとつのエピソードとして船橋界隈を登場させた。

それがいつの間にか伝説として語られるようになったーーが真相らしい。

小説が発表された昭和の初めはもう伝説になっちゃうんですね。

読んだのかって?中村錦之助(萬屋錦之介)や三船敏郎の映画は見てますがね、読んじゃいません。


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行徳には別の見どころがあります。

江戸川が京葉道路をくぐったあと、川が2つに分かれます。

下流に向かって右に分かれるのが旧江戸川。

江戸川本流は放水路としてつくられた流れ。

ここに江戸川水閘門と行徳可動堰があります。

閘門はパナマ運河と同じ方式で、水位の違う水面を調節して船を送り出します。

江戸川を眺めながら、おやつタイム。

江戸の初期は江戸川は渡良瀬川(太日川)の下流部。

その後、利根川が流れたが、利根川は銚子に向けて今の姿になった。

これによって江戸の船運は飛躍的に発達していった。


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ここはもう行徳を過ぎて原木(ばらき)。

立派なお寺です。

原木山妙行寺といって日蓮宗のお寺です。

天文7年(1538)の開創だから古い。

京成中山駅近くに日蓮宗大本山の法華経寺があって、そちらかと思ってました。

テレビで見た時はにぎやかな参道からお参りしてた。

線路が違うから別のお寺だと気づいたんですが、それでも大きなお寺です。

こちらの駅は東西線の原木中山。西船橋の1つ手前です

     cherryblossom   cherryblossom   cherryblossom

桜吹雪に送られて中野駅からスタートしたのが4月初め。

テクテク歩いて無事に西船橋駅までたどり着きました。

パチパチパチ。

浦安から西船橋は何もないだろうと思い込んでいたんですが、行徳を「発見」したのは収穫。

歩かなければ分かりません。

新年は新しい地下鉄路線です。どこになるのかな。

2014年12月 9日 (火)

冬将軍にも負けずにロウバイ一輪@野川公園自然観察園

7日は月イチの植物観察会。

木の実草の実が主な目的。なのでいつもより参加者は少なめの20人強。

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だけど縮こまって家で背中を丸めててはいけません。

花だよりにすき間はありません。

ほらこの通り。

ソシンロウバイが咲いてました。

一輪だけですけど。

ほかのつぼみもいっぱいに膨らんでます。

もう少しで、あのいい香りが真冬の日だまりにただよいますよ。

(ただしこの一輪、花が落ちてしまいました。誰かさんが「ソシン」を見せようとしたらポロリ)

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スイセンだってこの通り。

みなに先駆けて春近しを感じ取ってるんでしょう。

だって半月もすれば冬至。

それからあとは日が長くなって春の足音が聞こえ始める。

人間だって昔から冬至が新年の始まりだった。

クリスマスはゲルマンの風習がキリスト生誕と結びついた催し。

太陽復活のお祝いなんです。

こんなことをつらつら書いてるのはミーちゃんの心境になってるからでしょう。

赤い鼻緒のミーちゃんですよ。

写真は6日に撮ったもの。

7日は霜が降りたので折れてしまいました。


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イイギリの葉が落ちて赤い実だけの姿に。

向こうのイチョウも葉が散ってじゅうたんに。

コントラストを狙ったんですが、写真になるとイマイチ。

それでも掲載してしまう図々しさ。

   pencil  pencil

自然観察センターからのお知らせです。

観察園のシモバシラ(植物)を見たいという希望が寄せられたので早朝開門するそうです。

12月26〜28日、午前8時に開門。

私が毎年見に行ってるのは神代植物公園の植物多様性センター。

9時半開門ですが融けないで残ってます。


2014年12月 8日 (月)

「男がいなかった」浦和と好セーブ連発の山岸がいた山形@明暗分かれた大一番

闘莉王はよく言ったものです。「浦和には男がいなかった」。

古巣にカツを入れた言葉ですが、勝てば優勝だったのになあ・・。

6位からの昇格を果たした山形は、GK山岸の気迫に男を見ました。

プレーオフにすすんだのも山岸のヘッド。

こちらも古巣に無言のカツを入れてたんですが通じませんでした。

おなじみA大サッカー部OBのマチダさんは、浦和のふがいなさにあきれかえっています。

    shoe    shoe    shoe


優勝と入れ替戦。勝負の綾というかゲームの持つメンタルな部分を興味深く見ました。


G大坂0-0徳島 浦和1-2名古屋 山形1-0千葉


ガンバは引き分けだと浦和勝利なら逆転されてしまいます。

押して押して、それでも得点できません。

あのパトリックが力みかえって何本もシュートミスするありさま。

ジャストミートしないんですから。

人の子だったんですね。

浦和がもう少し大人だったらV逸だったかもしれません。

ある意味薄氷でした。

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浦和はなんというか、もうあきれ返るだけです。

先制したのですからガンバがどうなろうと勝ちにこだわった戦いをすればよかったのに。

最少得点でも手形が出ているのですから、のらりくらりと逃げ回ればいいわけ。

しゃかりきに2点目なんて考えるからやられてしまうんです。

そこが本当のマリーシアでしょう。

いかにも日本人の試合の読み方、運び方が下手な面が象徴されていました。

前節と同様にCKからの失点。

同じパターンで試合を落とすなんて、良くなったと言われていた守備のメッキも剥がれました。

ボールを収めて間を作ることができる興梠が負傷したのも痛手でした。

代役がいないだけ骨折時点で勝利の女神から見放されたのでしょう。

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千葉は引き分けでも昇格でした。

先制されたのも計算外だったに違いありません。

ここもゆったりゲームを進めればよかった。

追いつくために必死に攻めまくりました。

そこに無理が出ます。

ショートパスを繋いぐのは分かりますが、有効な縦が出せない。

というかあまり意識をしていないようでした。

山形は楽です。

真ん中に絞っていれば大きな破綻はないんですから。

時間が経つにつれて千葉には焦りが出てきます。

たまさかサイドにボールが出てもPE内は密集地帯になっているので、味方を探して持ち過ぎ、つまらないパスを選択するありさま。

試合終了前のパワープレーでも、ロングボールが蹴れず相手にぶつけてチャンスすらつかめませんでした。

パスは上手いけれど決定的な場面は作りきれない。

千葉のサッカーは少し古いようです。

J2に長居したためにアカがついてしまっている印象でした。

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アギーレ問題。

協会トップの責任は重い。

仮に“無罪”でも、です。

調査能ゼロですから。

ヨーロッパ界隈では噂は流れていたはずです。

消息通はいないものですかねえ。

仮にいたとしても何とか力学で排除されてしまいますけれど。

                            マチダ

2014年12月 7日 (日)

宮本武蔵が押し入った盗賊を撃退した徳願寺・市川市行徳@地下鉄の地上を歩く会・東西線の7回目その3

源頼朝がごちそうになったうどん屋に続いて剣豪宮本武蔵も出現します。

行徳ってのは奥が深いね。

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常夜灯公園に掲示されていた地図。

卍卍卍卍卍。

お寺ばっかりです。

先日訪ねた東京・烏山寺町と違って移転したのでなくて戦国末期あたりからずっとある。

なんでこんなに集まったんでしょう。

まあ豊かだったんでしょう。

塩田は多大な利益をもたらしたのか、ほかにも理由があったんでしょうか。

分かりませぬ。

徳願寺は上の方。全部写さなかったので入ってません。

向かいは東京都なんですね。

江戸川(今の名称は旧江戸川)が江戸と千葉の境というのが初めて実感できました。

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徳願寺にたどり着く前に八幡神社にも。

おおっ、感嘆の声が上がります。

裏手に富士塚があるじゃありませんか。

成田山の講だけじゃなくて富士講もあったのね。

小さいですが押切稲荷にも富士塚がありました。

門には鍵がかかってたんですが、ワイワイやってたら、おばちゃんが出てきて開けてくれたそうです。

喜び勇んでお転婆さんが山頂へ。

牟礼の里公園では栗の木に上るお転婆さんがいたっけ。


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あちこちのお寺をのぞいて徳願寺。

スッゲエ山門。こりゃびっくり。

鄙(ひな)にはまれ、といったら失礼だろう。

鄙じゃなかったんでしょう。

元は浄土宗勝願寺の末寺。

徳川家康が帰依したことにより、「徳」をいただいて勝願寺と改めた(慶長15年=1610)。

三つ葉葵の紋所も許されてます。

本尊の阿弥陀如来像は北条政子が仏師運慶につくらせたもの。

本堂には湛慶(運慶の長男)作の閻魔大王像。

もっとあるよ。円山応挙筆の幽霊の絵、宮本武蔵が描いた「八方にらみのだるま」も寺宝となっている。

もう恐れ入るしかない。

武蔵までたどり着きませんでした。次回まで乞うご期待。


2014年12月 6日 (土)

塩づくりで栄えた行徳(市川市)@地下鉄の地上を歩く会・東西線の7回目その2

江戸入りした徳川家康がまず最初に手を付けたのは運河の整備だった。

江戸城は後回しで「都市計画」を優先したんです。

東国で不足しているのは塩です。東西の決戦になれば西からの塩は断たれる。

目を付けたのが小田原北条氏時代から行われていた行徳の製塩。


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塩を安定的に運ぶために行徳と江戸を結ぶ運河・小名木川を開いた。

それまでは海路だったが、気象条件に左右されずに輸送ができること。

さらに「安定した輸送路を確保するという軍事的配慮が第一の目的だったのである」

(「江戸の川 東京の川」鈴木理生、井上書院)

とまあ、行徳の位置づけについてお勉強。

塩を運ぶだけじゃもったいない。

庶民もおおいに利用します。

成田山詣でにはちょうどいい。

日本橋小網町から小名木川、新川を通って江戸川(現在の旧江戸川、ややこしいですね)を上れば行徳河岸。


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かつての船着場が公園になってます。

スーパー堤防のモデル地区としてつくられたんだそう。

名前は常夜灯公園。

常夜灯は文化9(1812)日本橋の成田講中の人々が建てたもの。

ここで船を降りて徒歩で成田に向かったんでしょう。

「舟をあがれば、馬にものらず、細脛のちからをためさんと、かちよりぞゆく」

(松尾芭蕉「鹿島紀行」)

鹿島へも行徳からだったんですね。

船から上がった人、船を待つ人でにぎわったから前回紹介したうどん屋も繁盛したわけだ。

この絵は明治になってからのもの。蒸気船ですからね。


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「江戸名所図絵」ではこんな光景です。

やっぱり常夜灯が目立つように描かれてます。

小さな舟です。

運河の小名木川はともかく江戸川を上るのはそうとうに揺れたでしょうね。


2014年12月 5日 (金)

侮れないぞ行徳・源頼朝も食べた?うどん屋@地下鉄の地上を歩く会・東西線の7回目その1

はじめて行徳を訪ねましたが、江戸時代にたいそう栄えた町だったんですね。

歩いてみると町の古さと繁栄を実感できます。

追い追いに紹介していきます。まずは頼朝も食べたといううどん屋。

伝説も壮大になると気分がいいですなあ。

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ここは旧行徳街道。

成田山詣でのために江戸初期に開かれた。

笹屋うどん店の跡が残されてます。

安政元年(1854)の建物です。

伊豆で挙兵した源頼朝だが石橋山の合戦で敗れ、安房で再興を図る。

その途中に寄ったのだとか。

うどんをごちそうになった頼朝は源氏の家紋の笹りんどうを与え、「笹屋」と名乗らせた。

頼朝は真鶴から直接、船で安房に逃れているので、行徳には寄ってないはずなんですがね。

まあいいでしょう。

行徳には徳川家康が鷹狩りの際に通った「権現道」(こちらは事実みたい)もありますからね。

家康より古くないと箔がつかないと考えたんでしょう。

うどん屋は船着き場の近くだったので江戸時代に繁盛したのは本当です。

「音のない滝は笹屋の門にあり」「行徳を下る小船に干うどん」「出ますよと笹屋に船頭声をかけ」。

土産物の干しうどんがつるしてあった光景でしょうか。

船を待つ江戸っ子が笹屋でひと休みして、土産に干しうどんを買っていったそうだ。


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こちらは旧浅子神輿店店舗兼母屋。

店は昭和4年(1929)の上棟。

豪快な正面の造りなどから国の有形文化財に登録されている。

行徳って神輿づくりが地場産業だったんです。

ちっとも知らなかった。

昭和期には関東地方の神輿の4割が行徳産。

あの日本一の神輿もここで造られたんだって。

深川・富岡八幡の一の宮の神輿ですよ。

行徳との距離がぐっと縮まります。

浅子神輿店の初代が行徳にやってきたのは室町時代末期。

仏師だったようだ。

お寺が多いからね。

まだまだ行徳には訪ねるところがいっぱいあります。


2014年12月 4日 (木)

楷書の語源になったカイノキ(楷樹)@乃木神社

サントリー美術館「高野山の秘宝」展のあとは近くの乃木神社。

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「あっカイノキ!楷書の楷はこの木から出てるの」

初耳です。

黄葉が傾いた日を浴びて輝いてます。

どれどれ説明を見ましょう。

「楷とは樹姿端正で一点一画が整っていることから書法の楷書の語源になってます」

そういわれれば姿がありがたく見えるような・・。

中国山東省の孔子廟から種子を持ち帰った由緒正しいもの。

しかも神田の湯島聖堂、岡山の閑谷学校と同系統。

木にも由緒があるんだ。


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拝殿から本殿が見通せて実にすがすがしい。

障子など目をさえぎるものはすべて取り払って、さわやかな空気が四方を抜けていきます。

こんなに気持ちのいい造りは初めてです。

本殿の扉もどうぞご覧くださいと開けられてます。

乏しい知識しかないのですが、乃木大将らしい、と言っていいのかどうか。

宝物殿には遺品や殉死の際の刀などが展示されている。

全滅につぐ全滅、旅順戦における乃木さんの胸中はいかばかりか。

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「乃木の手もとには、その無能を痛罵し、自決をすすめる手紙が二千四百通も届けられた」(「日本の百年4明治の栄光」橋川文三編著、ちくま学芸文庫)

これが旅順開城で転換する。

「独り息子と泣いてはすまぬ 二人なくした方もある」

(万朝報がのせた俚謡)

乃木大将はこの戦いで長男、次男を失っている。

旧乃木邸と厩が残されてます。

回廊がもうけられていて外から内部が見えたんですが地震のため今は立ち入り禁止。

質素な木造家屋ですが、厩はれんが造り。

軍馬を肥やすのは武人のたしなみなんです。

水師栄の会見でステッセル将軍から贈られた壽(ス)号もここですごした。


2014年12月 3日 (水)

黄色いじゅうたん赤いじゅうたん@野川公園

毎年晩秋、12月ですから初冬ですかね、にはこれを見にきます。

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イチョウの梢は衣が落ちて寒々しい。

でも降る積もって地面はじゅうたんにおおわれて暖かそう。

木の影もずいぶんと長い。


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こっちは赤いじゅうたん。

下にも日が当たってくれるといいんだけど・・。

わがまま言っちゃいけませんね。

いつも使ってるけど「もみじ」って言葉を考えたことなかったな。

岩波古語辞典にあたってみます。

もみ【紅】染色の名。紅色。また、紅色に染めた生地。

「もみ」で赤をあらわすんだ。

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もみうら【紅裏】着物に紅染の裏地をつけること。

もみがへし【紅返】紅裏を表に返して縁取りしたもの。「紅返の下着」(西鶴・一代女)

色っぽいね。

♬艶姿ナミダ娘 色っポイね まつ毛もぬれて 色っポイね「艶姿ナミダ娘」(小泉今日子、作詞康珍化)

「もみじ」で捜すとありません。

もみぢ【紅葉ぢ・黄葉ぢ】《四段・上二》とあるので動詞なんですね。

「草や木の葉の色が秋の末に霜のために紅や黄色に変わる」

間違ってます。霜のためではありません。

むだなエネルギーを使わないように自分で紅葉して落とすんです。

もちろん名詞にも使われます。

「紅葉鳥」は鳥じゃなくて鹿のこと。花札ですな。

花札の十月。鹿で十月なので「シカト」

これには春日大社の鹿を殺してしまった少年と母の悲しい物語があります。

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ではイチョウも調べてみましょう。

ちょっと考えて「いてふ」で引いたら「⇨いちゃう」。

「室町時代以後に字書類などに見え、イチャウと振仮名がある。

「銀杏」の宋時代の発音インキャウの訛がイチャウとなったものであろう」

なるほどね。中国音がなまったのね。

つづいて、「いてふ」と書くのは、語源を「一葉」と考えたからで、イチエフが詰まってイテフとなる。(以下略)

勉強になるなあ。


2014年12月 2日 (火)

胸騒ぎの腰つき・国宝八大童子@ミッドタウン・サントリー美術館

上野の国宝展に続いてサントリー美術館の「高野山の名宝」展(12月7日まで)。

ミッドタウンに入ってショップを眺めてキョロキョロしてたら案内の人が「どちらへ」

時間があったので店の様子などを見ていただけなんですが、お上りさんに見えたんでしょうね。

花の六本木には似つかわしくないおっさんですから。


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サントリー美術館と告げたら「そちらのエレベーターで3階です」

ちゃんとパンフレットも渡してくれました。

親切です。

各フロアに案内係がいるみたい。

店には客もまばらで、もうかってるようには見えないけど、人件費だけでも大変だなと余計なお世話。

国宝展と違ってこちらは行列なしですんなり入場。

目玉の展示は「国宝八大童子像」。

八大童子は不動明王に仕え、仏の智恵である四智などを司る。

童子ですから頬がぷっくらしてういういしい。

名前も、こんがら童子、せいたか童子、うぐばが童子、あのくた童子・・。

いたずらっ子みたいで、かわいがってあげたくなる。

ポスターに使われているのは制多迦(せいたか)童子です。


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作者は運慶だが、運慶1人ではなく監修のもと複数の仏師によってつくられたらしい。

国宝に指定されているのはうち6躯。

残りの2躯は鎌倉後期から南北朝のもの。

写実的で質実剛健な作風だと思い込んでいたけど、ちょっと違うみたい。

あどけなさも残していて親しみを感じさせます。

そして腰つきが優雅というかなまめかしいというか。

立像ですから立ち姿です。

微妙にひねっていてとっても色っぽい。

仏さんだとズドンと立ってるものとばかり思っていたんですがね。

変なところに感心してしまいました。

快慶作の重要文化財「四天王立像」はもっと腰のひねりがダイナミックでした。

こっちもいいよ。


2014年12月 1日 (月)

ようやく会えた「縄文のビーナス」と「縄文の女神」@日本国宝展・東京国立博物館

初顔合わせです。国宝に指定された土偶5体がそろうんだから見逃す手はない。

雨の中70分待ちの行列もものともせずにビーナスと女神に会ってきました。

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この秋に「縄文王国」の長野県茅野市に行こうかなとぼんやり考えてたんです。

尖石(とがりいし)縄文考古館のHPをのぞいたら東京に出張するので留守のお知らせ。

なら出張先で会いましょう。

「縄文のビーナス」はもっとも古い国宝です。

縄文時代中期の前3000〜2000年につくられたんですから。

突き出たお腹、どっしりしたお尻。

でもおっぱいは小さい。このバランスも絶妙。

大きなお尻をどっしりと支える太い脚。

いいですねえ素朴な豊かさ。

切れ長の目と小さくあいた口。とっても愛らしい。

耳にはピアスの穴がありますよ。

頭は帽子をかぶってるんでしょうか。それとも髪型。

腕はつけているが手は省略。

この思い切りのよさが全体のバランスを絶妙にしてる。


雑念ばかりの現代人にはとても考え出せない造形でしょう。

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こちらは山形県舟形町西野前遺跡出土の「縄文の女神」(山形県立博物館)。

ビーナスと女神に同時に会えるなんてなんて幸せなんでしょう。

ことし(2014)国宝に指定されたばかり。

女神も妊婦です。全長34㌢。

お腹が突き出て出っ尻。

なんといっても8頭身美人ですよ。

パンタロン風の脚部がよく似合ってます。

同時期の「ビーナス」は5頭身もないのに、どうしてこんなにすらりとした全身を思いついたんでしょう。

日本で8頭身美人が流行語になったのは伊東絹子がミスユニバースに出場した1953年(昭和28)。

つい半世紀前に理想のプロポーションと騒がれたのに縄文人はすでに理想を思いついていた。

すごいです。

「人の姿を究極まで象徴化しつつ、高い様式美を誇る姿は、学術的にも造形的にも日本を代表する土偶です」(同館HP)

顔なんてつくらずに、思いっきり省略。角張った肩からW字に乳房が張り出してる。

とてもこんなふうにはつくれません。

お見事!縄文人の美意識も相当なもんです。


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ビーナスと同じ尖石縄文考古館にある「仮面の女神」。

逆三角形の仮面がかっこいい。

ビーナスよりも新しく前2000〜1000年の縄文後期のもの。

へそが真ん中にあってふくらんでるので、こても妊婦でしょうか。

女性器もつくってます。

仮面土偶としては国内最大級の34㌢。

こちらもことし国宝に指定されたばかり。

国宝土偶はビーナス、女神、仮面と八戸市の合掌土偶、函館市の中空土偶の5体。

そのうち2体が茅野市。国宝が2つもあるなんてすごい。

    sun   sun   sun

どうして八ヶ岳山麓や山形に縄文文化が花開いたんでしょう。

縄文前期(約6000年前)は温暖期だったが、後期から晩期は小寒冷期。

この気温変化が内陸部の中央高地に緩やかな植生の変化をもたらした。

縄文中期の八ヶ岳山麓は雑木林が繁茂するようになった。

この結果、食用となるクリ、ナラ、クルミなどの落葉樹の林になった。

人口も増えて「縄文王国」が形成されていったのです。

あーあ勝手にこけて優勝遠のいた浦和@マチダさんもお冠

きのうは朝からお出かけ。マチダさんからのJリーグ通信は1日遅れで掲載。

それにしても浦和はなんということでしょう。ブラジルW杯もそうでしたが、いざというときのメンタリティーの弱さ。

どうすればいいのでしょう。

        shoe     shoe   shoe


鳥栖1-1浦和 野球の阪神、サッカーの浦和です。


熱烈ファンをバックに期待されて、優勝しそうで勝手にこけちゃう。


ガンバとの前節も、ホームとはいえ引き分けりゃいいものを勝ちに行ってやられて。

鳥栖戦も意識の空回り。


攻めあぐねていた前半22分、ロングフィードに旨く抜け出た李がPKを得て先制します。

しかも1発レッドで相手は10人。

どう転んでも負けはないはずです。

豊田を狙ったロングボール攻撃さえ注意していればいいんですから。

最後まで敵の得点源を抑え込むには成功したのに、ラストプレーのCKを決められるなんて。

しかも途中出場の小林にです。

footfoot

タイムアップが近づくにつれて選手が勝手にばたついていました。

画面を通しても分かるくらいですから相当なものです。

浦和だけでなく、日本はゲームの終わらせ方が下手。

なんでなんですかねえ。

後半数的優位を生かし切れず追加点が取れなかったのも痛い。

興梠の負傷が大きく響きました。

李は走力はあるけれど決定力はないですね。

何度もここぞを外していました。

ボールを収めることもできません。

豪州戦のボレーは出会いがしらですから、大きな期待はよした方がいい。

まっ、その走りでPKを貰ったのですから起用は間違っていなかったかもしれません。

それにしても1試合で何点取ってもいいのですから、お役御免とはいかないでしょう。

runrun


浦和のFWには頼りになる、つまりエースがいません。

そこがいざとなると勝ち切れない原因なのかも。

ペトロヴィッチ監督の采配にも疑問が残ります。

なんでマルシオと関根を後半の途中から投入するのでしょうか。

ガンバ戦でも結果的に失敗しています。

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鳥栖の同点はGK林の美技にあります。

後半浦和から仕掛けられ、連続した強烈なシュートを防ぎました。

あの一連のプレーがチームに反発の活力というかエネルギーを与えました。

最終プレーでは自らゴール前に進出、195㌢の長身で威嚇しました。

いくらGKとはいえデカいですから、浦和の守りもビビったに違いありません。


浦和の自力Vは消えました。

次戦は名古屋。ガンバは徳島。得失点差も1試合じゃ追いつけないほどあります。

勝負は下駄をはくまでは分からないとはいうものの、サポーターにまたしても待ちぼうけを食わせるのは確実です。

来年、同じようにV戦線に絡む保証はどこにもありません。

                               マチダ

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