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2014年11月 1日 (土)

富士山の溶岩流を風よけに利用した縄文住居・大鹿窪遺跡@富士山ぐるっと半周聖地めぐりNo.7

日本最古級の定住集落跡だよ。およそ1万1000年〜1万3000年前。

縄文時代でも早期の遺跡が富士山の裾野にあります。

Img_0289

こんな景色が見たかったんですよ。

旅行2日目もあいにくの雨。

写真は遺跡に建てられた説明パネルから拝借したものです。

縄文人たちは噴火の恐怖におびえながらも朝な夕なに富士山を仰いでいたんです。

遺跡の南側は丘になっていて、ここまで溶岩流が迫っていたんです。

この溶岩流を利用して住居が作られた。

それまでの洞窟や岩陰から野原に住居を移してきたんです。

何か技術を獲得したんでしょうね。

溶岩流は住居やたき火の風よけになったものと考えらています。

また、動物を待ち伏せる時に身を隠すのにも役立った。

溶岩は穴が多いのでドングリをすりつぶすのにも適してるんだって。


Img_0291

現在、遺跡は埋め戻されて、ただの野っ原です。

富士宮市では155カ所の縄文遺跡が発見されている。

これって多くないですか。

富士の裾野は昔から食べ物も豊かで比較的温暖。

縄文人にも住みやすかったんでしょう。

今と比べて年平均気温が低かった縄文時代早期(約9000年前)には標高100〜200㍍にまとまっている。

気温が高くなった縄文時代中期後半(約4500年前)標高900㍍にまで広がった。

富士山をあがめていたと見られる帯状配石が残る千居(せんご)遺跡は中期のもの。

ぐっと富士山に近づいてますもんね。


Img_0295

遺跡近くに鎮座している福石神社。

右の高くなっているところが溶岩流の堆積でしょうか。

遺跡はこの後ろに広がってます。

鳥居に注目してください。

本体を支える形で稚児柱があります。

両部鳥居といい、神仏混淆の名残りです。

厳島神社が有名です。

祭神は、国常立尊、大日霊尊、木花開耶姫。


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