フォト
無料ブログはココログ

« アッパレなでしこの根性・マチダも感嘆@日本2−1中国 | トップページ | 昼なのにムササビに出合った@雨の御岳山〜ロックガーデン »

2014年5月24日 (土)

海に臨む岬に作られた江戸城の旧本丸に立つ・東御苑@地下鉄の地上を歩く会・東西線の3回目

皇居の東御苑に足を踏み入れるのは初めてです。

Dsc05663

まずは天守閣跡の天守台に上ります。

焼けてからは再建されなかったとしか知らない。

土台は残ってるんだ。

じゃあ、もっと早く来るんだった。

最初の天守閣は秀忠の代に完成。

その後に大修築。

家光の代に国内でもっとも大きな天守閣ができた。

外観5層、内部6階で地上からの高さは58㍍。

しかし19年後の1657年、明暦の大火(振り袖火事)で全焼。

その後は再建されなかった。

建築物で徳川の権威を示す必要がないほど政権が安定したからでしょう。


Dsc05667_2

日比谷方面をのぞんだカット。

ーードーナツのまん中には穴が開いている。

それと同じように、東京の中心にも穴が開いている。

この都市の中心は空なのである。(略)

中心部に開いた穴には、それとはまったく異質な時間がゆっくりゆっくりと流れている。

そこでは現実原則にしたがっている時間ではなく、遠い過去と現在とをひとつに結ぶ「神話」の時間が流れている。(「アースダイバー」中沢新一、講談社)

天守閣ということはドーナツの中心の中心。

「神話」の時間を味わおう。いや、もっと以前の古代人もしのぼう。


Dsc05666_2

手前から大奥、中奥、表と日比谷の方に作られている。

表の西が松の廊下。

ーー大田道灌が江戸城を築城した当時、その城は、関東に広がる巨大な洪積台地が海に向かって突き出した「ミサキ」の場所に立てられていた。

ーー眼前に広がる雄大な江戸前の海水は、城の足許をたえず洗っていて、自分の立っているのが、ミサキの境界領域だとすぐにわかった。(同)

そう、今の日比谷公園のあたりまで入江が入り込んでいた。

徳川時代になってせっせと埋め立て中世的な城から、都市のエッセンスを象徴する場所に改めたのだ。

でも痕跡は残されている。

偉大なる「空」は、はるかな縄文にまでさかのぼらせてくれる。

ミサキ続きの芝公園には芝丸山古墳群がある。

この天守台のすぐ横には縄文時代の貝塚があった。

旧本丸西貝塚で大森貝塚と同時代らしい。

ミサキ沿いに縄文、弥生人、古墳時代人が暮らしていたのだ。

Dsc05669

横穴古墳かなと思ったら石室でした。

大奥の横にあるところから、火事などの非常の際に調度を納めるためのものらしい。

広さは20㎡。

伊豆半島産の伊豆石(安山岩)で作られています。

東御苑には雑木林も残されていて、気持ちのよい散歩ができます。

先日発見された新種の「フキアゲニリンソウ」がないかなと捜してみました。

吹上御所と違って、こちらは整備されてますから新種が見つかるわけがありません。

でも、すぐ近くに新種が自生してると考えるだけでもうれしいよね。

        bud    bud    bud

ーー「アジール」というのは、権力やお金によって人を縛るものから、完全に自由になれる空間をいう。

いまの世界の支配者は押しつけがましい西欧育ちの資本主義経済で、この支配者は自分の原理にしたがわないアジールを、どんどんつぶしてきた。

それに対抗できる原理が天皇制にはあるかもしれないのである。(同)


« アッパレなでしこの根性・マチダも感嘆@日本2−1中国 | トップページ | 昼なのにムササビに出合った@雨の御岳山〜ロックガーデン »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« アッパレなでしこの根性・マチダも感嘆@日本2−1中国 | トップページ | 昼なのにムササビに出合った@雨の御岳山〜ロックガーデン »

2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30