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2013年12月 8日 (日)

「かなしい坂」「水喰土」2度の失敗説を世に出し玉川兄弟をおとしめた三田村鳶魚の意図は@難工事の玉川上水をめぐって

三田村鳶魚が出版した「玉川上水の建設者安松金右衛門」(昭和17年刊)は、老中松平伊豆守信明に提出された「玉川上水紀元」(享和3年=1803)を元にしていた。

信明は上水掘削の総奉行松平信綱の子孫。

政情が不安定で先祖の功を表面化して失脚を免れようとした節がある。

安松は川越藩主信綱の家臣で、野火止用水の工事監督。

「玉川上水紀元」では、玉川兄弟の2度の失敗により信綱が安松を補佐役に任じ、このため無事、竣工したとする。

Dsc02520

←(滝神社の湧水)

知恵伊豆・松平信綱は玉川上水と野火止用水工事をワンセットで考えていた節がある。

野火止用水が通れば川越藩の耕地が広がり利益は莫大だ。

玉川兄弟もこれを知っていたようだ。

完成後は名字帯刀のほか、上水の経営管理などの職権、水道料取り立ての利権を手にした。

野火止の工事費は3000両、兄弟が自己負担した不足工事費も同額。

何かあると勘ぐる向きもある。

     punch   punch   punch

中里介山の母方は羽村の名主加藤家だと「玉川兄弟って何ものだったんだろうか@出自をめぐるナゾ」で書きました。

それで中里介山は玉川兄弟は加藤家の出身という「証拠」を加藤家の蔵の中から発見する。

江戸水道の恩人を先祖に持ち中里介山はさぞ鼻を高くしていたことだろう。

大正のころのことです。

Dsc02525

→(滝神社、なにやら色紙が飾ってあります)

昭和になって三田村が「大菩薩峠」を酷評、2人は絶交します。

中里介山も黙っちゃいない。

「大菩薩峠」に、八王子の江戸っ子「よた村とんび」なる出しゃばりを登場させる。

こうなりゃ三田村だって意趣返しを考える。

それが玉川兄弟の無能ぶりをさらけ出し、玉川上水の功労者は実は安松金右衛門だったという著作ーー。

面白いな。

恩田政行氏の「玉川上水紀元 剖検 幻の玉川上水」で想像をめぐらせてました。

あっそうそう。

杉本苑子「玉川兄弟」(1974)は三田村の著作にヒントを与えられたとあとがきに書いてますので、そのつもりでお読みください。

    horse   horse   horse

これでシリーズ玉川上水はひとまず締めくくり。

いつか羽村に行ったらまた書くかもしれません。


Dsc02523

ところで写真は滝神社ばかりです。

ここはくらやみ祭りの競馬式の前に騎手や馬が身を清めるところ。

有名騎手の色紙が両サイドに飾ってありました。

武豊、横山典弘、後藤浩輝・・・。

神社にも色紙にも頭を下げてきました。

有馬記念が当たりますように・・・。

   pencil   pencil  pencil

玉川上水工事などについてつづけて何回か書きました。

こんなのです。良かったらこっちも読んでください。

「玉川兄弟って何ものだったんだろうか@出自をめぐるナゾ」

「かなしい坂・玉川上水掘削失敗の伝説は事実なのか・その1@府中市清水が丘あたり」

「玉川上水の「府中宿失敗堀」伝説地を歩く・その2@府中市競馬場近く」

「『府中宿』『水喰土』2度の失敗伝説を流布したのは三田村鳶魚@玉川上水工事のナゾ」

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