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2013年12月 3日 (火)

玉川兄弟って何ものだったんだろうか@出自をめぐるナゾ

立川断層にぶつかってやむなく迂回した立川市砂川町の「大曲」を見てから玉川上水のことを知りたくなった。

難工事だったというのはなんとなく聞いたような・・。

工事を請け負った兄弟が、その功によって玉川姓を許されたくらいしか知りません。

Dsc02459

《写真は武蔵境駅北口の境浄水場》

上水沿いに「上水の歴史」という説明パネルが立てられていて2種類の記述が入り混じっているという。

1つは「玉川上水の建設者は、玉川庄右衛門と清右衛門の兄弟で・・・」。

もうひとつは「玉川上水の建設者は、加藤庄右衛門と清右衛門の兄弟で・・・」

工事後に許された玉川姓と加藤姓。

加藤姓なんて初耳です。

そんな説はどこから出たんだろう。

昭島市の小欠橋と拝島上水橋、および立川市砂川の宮の橋には、左岸と右岸に異なった説明パネルが混在してるという。

近所の武蔵野、三鷹市では、うど橋が「玉川姓」、井の頭公園のほたる橋、幸橋などが「加藤姓」だという。

こりゃ面白いや。この目で確かめなくちゃ。

ある晴れた日、ONE FINE DAY、勇んで出かけました。

Dsc02464_2

右上の旧境水衛所(水番所)からずっと下ってみました。

まず、うど橋。見当たりませんなあ。

老朽化して取り外されたのかな。

だいぶ下ってほたる橋、幸橋も確認しますがありません。

いつの間にか外してしまったのね。

混在はまずいというので、東京都が触らぬ神に祟りなしを決め込んだようです。

混在を指摘したのは恩田政行著「玉川上水に纏う ぎ惑」(青山第一出版)

95年の発行。

恩田氏は東京都の見解をただすために、都建設局公園緑地事務所を訪ねたが、そんな説明板は見たことも聞いたこともないとの返事だったという。

目と鼻の先のほたる橋にも設置してあったんですがねえ。


Dsc02460

「清流復活」の説明板は残ってます。

セットになってたはずなんですけど・・。

玉川兄弟が工事を請け負ったのは事実。

各種の資料は江戸町人説が大半。

江戸在住の土建業者、しかも追加工事費の2000両を手持ち資金、町屋敷3カ所の売却金1000両を会わせた3000両を用立てるほどの財力があった。

大正になって、羽村の庄屋加藤家出身説が浮上。

知らなかったなあ。

羽村はご存知の通り取水口があるところです。

誰がかかわってるかというと、かの「大菩薩峠」の作家中里介山。

羽村市の「大菩薩峠記念館」(閉鎖)に所蔵されていた文書に「加藤家の息子」と記されていた。

しかし、この文書は明治末か大正に書かれたもので江戸時代ではない。

中里の母親は加藤家の出身。

「中里介山は母方に繋がる羽村の名主加藤家所蔵の古文書の中に発見したとして系譜を創作し、玉川兄弟の出自を縁の繋がる加藤庄右衛門・清右衛門に仕立て上げた」「玉川上水起元 剖検 幻の玉川上水」(恩田政行、青山第一出版、発行1996)

地元の羽村、福生あたりでは加藤姓説が一般的になってるようだ。

小説家はどうしてるんだろう。

杉本苑子「玉川兄弟」は、折衷してました。

すなわち兄弟は加藤家の次三男。長男が羽村で加藤家を継いでるということにしてました。

うまいこと考えるなあ。

   danger   danger   danger

このほか兄弟が今の国立市青柳に取水口を設定して掘り進めて失敗。

次に福生市に変えたが、ここも水喰土(みずくらいど)のために流れがすべて地中に吸い込まれて失敗。

ようやく羽村からにして成功したといわれてます。

どうも後世のつくり話のようです。

そんなこともいずれーー。


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コメント

一時、地元で玉川上水を「世界遺産に!」との運動があったけど
どうなったのかな?
ローマ水道の様に石造りの水道橋があるわけじゃなし、云ってみれば
地面を掘っただけの水路だからなぁ。
でも、19世紀世界最大の百万人都市「大江戸」を支えたのは事実。
江戸の繁栄の裏には玉川上水あり、なのですね。
開削から400年以上、今も東京都民の飲料水を賄っている。
玉川兄弟の恩恵、今に有り。

芙蓉酔人さん。
そんな運動があったんですか。近所なのにちっとも知りませんでした。

今さらながらですが、徳川幕府の初期の都市計画は見事です。武士や町人が生きていくために何が必要なのかをきちんと考えている。

土建屋のための土木事業ではなくて住民のために利根川の流路を変えたりしてる。

それが体制のためでもあるんですが。

おはようございます。
おもしろそうな話ですね。加藤姓説があるなんて知りませんでした。
気になってネットを調べましたら、確定説は見つからないものの、面白そうなサイトがでてきました。
 
もうご存知かもしれませんが
 
「多摩川誌」建設省関東地方建設局京浜工事事務所 財団法人河川環境管理財団
http://www.keihin.ktr.mlit.go.jp/tama/04siraberu/tama_tosyo/tamagawashi/parts/mokuji/index.htm
第4編利水 第2章玉川上水 第1節玉川上水の成立 1.3玉川上水の開設
1.3.4玉川圧右衛門と清右衛門
http://www.keihin.ktr.mlit.go.jp/tama/04siraberu/tama_tosyo/tamagawashi/parts/text/042134.htm
 
また、福生市立図書館 福生デジタルもありました。
「玉川上水と福生」坂上洋之
http://www.lib.fussa.tokyo.jp/digital/digital_data/connoisseur-history/pdf/08/01/0012.pdf
ただ、この頁、トップからは辿れませんでした。
 
多摩散歩人さんの調査の続きは如何に。 

マイマイさん、いろいろ調べてくださってありがとう。

きょうは玉川上水の続きで「かなしい坂」を見に行きました。
珍しい名前でしょ。
府中の競馬場東側のあたりを徘徊して東郷寺(東郷元帥の別荘だったところ)の脇で見つけました。

ここで上水の水が地面に吸い込まれたために中断、取水口を上流にしたそうです。

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