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2013年12月 7日 (土)

「府中宿」「水喰土」2度の失敗伝説を流布したのは三田村鳶魚@玉川上水工事のナゾ

不思議なことに玉川上水工事に関する記録はほとんど残されていない。

公式記録は「上水記」だけと言っていい。

これは3代目玉川庄右衛門・清右衛門の書状を元に江戸幕府普請奉行石野遠江守弘道がまとめたもの。

1部は将軍徳川家斉に、1部は老中筆頭松平定信に献上した。

上水開削から140年後の正徳5年(1715)のことだ。

ただ工事の詳細については触れられていない。

「府中宿」や「水喰土(みずくらいど)」の失敗については何も伝えていない。

なのに2度の失敗が事実であるように語られていて、私も水喰土伝説をなかば信じていた。

Dsc02514

兄弟が掘り進めたとされるあたり、府中の滝神社上の「筏道」(古甲州街道、御滝道ともいう)を行ったり来たりしている。

このあたりは立川段丘の下で、なおも崖は続いている。

江戸に水を通すためには三鷹、武蔵野市あたりの武蔵野段丘へ多摩川の水を上げなくてはならない。

通称ハケ(国分寺崖線)が武蔵野段丘面と立川段丘面の境。

とても高い方に流れる水路はつくれません。

ところが国分寺を過ぎ立川市幸町の先になるとハケの段差がなくなります。

ちょうど、このあたり西武拝島線玉川上水駅近くを玉川上水は流れているのです。

標高は約100m。

武蔵野段丘へ楽に上がるためには、ここより標高が高いところに取水口をもうければいいのです。

羽村の水門の標高は約126㍍。

青柳村(国立市青柳)からの取水はあり得ないということです。


Dsc02529_2

→御滝道から多摩丘陵を望む。

多摩川ははるか下を流れてます。

2度目の失敗は「水喰土」(福生市熊川)。

羽村の堰から4㌔と少し。

ここまで掘り進め通水したところみんな地面に吸い込まれてしまったという。

この地点は「みずくらいど公園」として整備されており、古堀跡がある。

現在、玉川上水が流れているのは公園のすぐ北側の目と鼻の先。

しかし古堀も今の上水も同じ段丘の地層の中を流れている。

古堀だけ水が地面に吸い込まれるとは考えにくい。


Dsc02461

←(左は境浄水場、右は玉川上水)

「上水記」から12年後の享和3年(1803)に「玉川上水紀元」が老中松平伊豆守信明に提出された。

八王子千人同心の小嶋文平の「書状」を元に普請奉行佐橋長門守がまとめたものだ。

ここに初めて2度の失敗が登場してくる。

だが、「玉川上水紀元」が知られるには昭和を待たなければならなかった。

昭和9年(1934)、三田村鳶魚(江戸風俗文化研究家)が東京朝日新聞に「埋もれた功労者ー玉川上水開削の記録」を投稿したのだ。

ここで玉川兄弟の失敗がクローズアップされる。

昭和17年、三田村は「玉川上水の建設者安松金右衛門」を出版する。

上水の真の功労者は玉川兄弟ではなく安松金右衛門だというのだ。

こんな人知りません。

    pencil   pencil   pencil

ふう、疲れた。

長くなったので稿を改めます。

「玉川上水ー親と子の歴史散歩」(比留間博、たましん地域文化財団)、「玉川上水紀元 剖検 幻の玉川上水」(青山第一出版)を参考にしました。

    eye    eye    eye

玉川上水工事などについてつづけて書いてます。

こんなのです。良かったらこっちも読んでください。

「玉川兄弟って何ものだったんだろうか@出自をめぐるナゾ」

「かなしい坂・玉川上水掘削失敗の伝説は事実なのか・その1@府中市清水が丘あたり」

「玉川上水の「府中宿失敗堀」伝説地を歩く・その2@府中市競馬場近く」


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旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。
玉川か加藤かの話題なのですが、東京都のHPにこんな記述が残っていました。出展が明記されていないのですが、水道局の記述抹消に手落ち?
 
〈江戸町奉行の命により町人、加藤庄右衛門、清右衛門兄弟の手によって始められました。
(略)
兄弟は幕府から玉川の姓を賜り帯刀を許されました。〉
PDFとhtmlとあります。最終頁に記載。
 
あまり役に立たないとは思いますが、ご一報。
 
第3部 活断層との共存 - 東京都防災ホームページ
http://www.bousai.metro.tokyo.jp/japanese/knowledge/pdf/tachikawa/X0B3E300.pdf

第3部 活断層との共存
http://www.bousai.metro.tokyo.jp/japanese/knowledge/pdf/tachikawa/X0B3EY00.HTM

マイマイさん、ありがとう。
よく捜されましたね。検索のプロ!

役に立ちました。

証拠がないことでも、こうやっていつの間にか伝説が事実になっていくんです。

はじめまして
「東京競馬場単身宿舎(寮)建設に伴う事前調査報告書」という考古学発掘調査報告書で、この大溝伝説と関係があると考えられる、江戸初期に構築された5m以上の深さを持つ掘削路が確認されていますよ。ちょうど、「無駄堀り」の延長に当たる場所です。

 目の前の地形に比高差がある程度あったとしても、目的箇所との相対的な流路勾配が設定できるのであれば、古代からの土木技術で掘削路を作るのは何の問題もありません。事実、東山道武蔵野路も狭山丘陵の山脚をぶち抜いていますし。(発掘調査で確認されている。)

 なお、急激に砂礫層厚が厚くなり地下水瀑布が形成されている地域であれば、地表水は地下深部に簡単に吸い込まれます。扇状地では起こりやすい地下水現象です。

神代さん、ありがとうございます。

単身宿舎は東府中駅への途中ですか?
またその辺を歩いて確認してみます。

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