フォト
無料ブログはココログ

« 逃げ切った浦和だが、イケイケだけでは・・@浦和2−1柏マチダのJ | トップページ | 研究され弱点を突かれたヤングジャパン@日本1−2スウェーデン »

2013年10月29日 (火)

東京中の火消しが勢揃いして見送った最後の将軍@地下鉄の地上を歩く会・有楽町線の5・文京区小日向

終えんの地というと、はかない感じもするけど徳川慶喜は「もっぱら趣味の生活」(文京区教育委員会の案内板)を送っていた。

誕生の地の小石川水戸屋敷(現小石川後楽園)から歩いて10分ほどの文京区小日向の地で没した。

大正2年(1913)、歴代将軍で最長寿の77歳になったばかりだった。

ことしは没後100年。静岡市美術館では11月2日から展覧会が開かれます。

Dsc02009

7月以来の地下鉄の地上を歩く会。

埼玉県の和光市駅をスタートし歩き次いできて5回目。

今回は江戸川橋駅に集合、大通りを避けて小さな通りを歩いてます。

国際仏教学大学院大学の門前に慶喜終えんの地の標識が立ってます。

中に入れないのかな。

横の坂を上がっていきますが門は堅く閉ざされてます。

このイチョウだけが往時の姿をしのぶただひとつのものです。

官軍、明治政府に対してひたすら恭順の姿勢を示し続けた慶喜は、水戸で蟄居。

謹慎を解かれた明治2年(1869)には静岡、30年に東京に戻り、34年(1901)には、この地に移り住んだ。


静岡では趣味の生活だったという。

銃猟や囲碁、謡、刺繍、自転車、油絵、写真などに没頭した。

「子を為すことに専念」(「最後の将軍」司馬遼太郎)でもあった。

明治4年の長男、次男誕生を初めとして成人した子だけで10男11女という。

むろん母親はひとりではない。

東京でも趣味の生活だったんだろう。

葬儀は上野寛永寺の特設斎場で神式でおこなわれた。

会葬者は6000~7000人に及び、沿道には拝観の人々が垣をなす有り様だった。

東京市民は歌舞音曲を停止して哀悼の意を表した。


Dsc02008

「ことに異風であったのは、東京中の火消したちが、新門辰五郎を愛してくれたこの最後の将軍をおくるため一組ごとにももひきやはんてんを新調し、その装束に身をかため、江戸の名残りのまといをかかげてせいぞろいしたことであった」(最後の将軍)

目に浮かびます。

  subway  subway

大学の北側は地下鉄丸ノ内線の線路です。

後楽園から茗荷谷間のほとんどはトンネルでなく傾斜地を削って走ってます。

奥は茗荷谷方向で、地下鉄の車庫があります。

奥に電車が停まってるでしょ。

地下鉄の車庫なんて珍しいよね。

今回はこのへんを歩きました。10月27日(日)快晴。


大きな地図で見る


« 逃げ切った浦和だが、イケイケだけでは・・@浦和2−1柏マチダのJ | トップページ | 研究され弱点を突かれたヤングジャパン@日本1−2スウェーデン »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 逃げ切った浦和だが、イケイケだけでは・・@浦和2−1柏マチダのJ | トップページ | 研究され弱点を突かれたヤングジャパン@日本1−2スウェーデン »

2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31