フォト
無料ブログはココログ

« 1万年前の縄文人と心を通わせたいな・大鹿窪遺跡&山宮浅間神社@Eテレ「富士山と日本人」を見て | トップページ | 実が落ちたら拾おうかなオニグルミ@野川公園 »

2013年6月14日 (金)

富士をご威光の支えにした徳川家康@Eテレ「富士山と日本人」に触発されて

列島に人があらわれてからずっと富士山は尊崇されてきた。

富士に対する思いは変わりません。

縄文や奈良・平安の人々は心のよりどころとして信仰にまで高めます。

Eテレ「富士山と日本人」は1万年も続く富士信仰の流れをたどって、おおいに刺激を受けました。

豊臣秀吉の陣羽織にも富士が描かれてます。

Shokusai2

これは北斎の「江都駿河町三井見世略図」です。

左が越後屋呉服店(日本橋三越本店)、右は三井本館がある場所。

江戸城の石垣の向こうに富士が見えます。

家康は意図的に商業地区を日本橋に配置したというんです。

町人が住む地区から江戸城をながめると富士を意識せざるを得ない。

お城と富士が一体化して町人には植え付けられる。

こうして家康は富士のご威光を幕府の権威付けに使ったといいます。

そういわれればお城の西側(四谷辺り)は武家地。

日本橋近辺は埋め立てて商業地を広げていった。

もちろん船運など他の要素もありますが、こうした巧みな配置が功を奏して徳川300年につながったのかもしれません。

武家政権には大義名分がないですもんね。

そこまで考えていたのかと驚かせられました。


Dsc01582_2

次いで庶民の間に爆発的に流行した富士講について。

中興の祖・食行身禄(じきぎょう みろく、1671〜1733)が取り上げられました。

名前だけは知ってます。

昨年、「地下鉄の地上を歩く会」で墓のある文京区海蔵寺に行きました。

富士山の烏帽子岩近くの石室で断食入定したとフジコちゃんから教えてもらいました。

そのときは「ふーん、そうか」くらいの感想だった。

「宝永噴火(1707)の義援金が流用されたことなどに憤って断食した」

番組ではそう説明してました。

権力というのは同じようなことをやるんだ。

3・11の予算も流用し放題。

官僚というのはろくなことに頭を使わない。

身禄は民衆の不満をすくいあげたんです。

入定後、彼の系統の富士講は爆発的に支持されていく。

説いたのは、財産や富貴の虚構性や平等思想。

身禄の系統には四民平等を掲げて幕府ににらまれた指導者も出た。

革新的な思想です。

番組で富士講流行の背景を知りました。

身禄のことが知りたくて図書館から新田次郎「富士に死す」も借りてきました。

新田次郎は昭和7年から12年まで富士山頂観測所に勤めて、富士山は知り尽くしてます。

飢饉や物価高騰など社会不安を背景に庶民に受け入れられた富士講。

金がすべてを動かしている現代と二重写しに見えてきたのだが・・。


« 1万年前の縄文人と心を通わせたいな・大鹿窪遺跡&山宮浅間神社@Eテレ「富士山と日本人」を見て | トップページ | 実が落ちたら拾おうかなオニグルミ@野川公園 »

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1320081/52013601

この記事へのトラックバック一覧です: 富士をご威光の支えにした徳川家康@Eテレ「富士山と日本人」に触発されて:

« 1万年前の縄文人と心を通わせたいな・大鹿窪遺跡&山宮浅間神社@Eテレ「富士山と日本人」を見て | トップページ | 実が落ちたら拾おうかなオニグルミ@野川公園 »

2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30