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2012年12月12日 (水)

48人いる義士の墓所・泉岳寺@地下鉄の地上を歩く会・都営浅草線その3

四十七士の墓所には48の墓碑があります。

Dsc06686

ヤマザキ君が気をきかせて家から持参した線香を分けてもらってひとつずつ線香を手向けます。

墓所の図を見ていた誰かが気づきました。

「4藩にお預けになったのは46人なのに碑は48人分ある」

こういうことです。

寺坂吉右衛門は、討ち入り後に姿を消した。

諸説あるが、瑶泉院など関係者に報告するために離れたという。

自首したが許され83歳の天寿を全うした。

萱野三平は、討ち入り前に切腹。

芝居の、お軽勘平。

この2人の供養墓も一緒に建てられているというわけです。


Dsc06692

四十七士のうち大石内蔵助ら17人が預けられたのは肥後熊本藩細川家の下屋敷。

すぐ近くです。歩いて10分足らず。

路地を入った高松中学の南側。

門は閉まっていたが「大石良雄外十六人忠烈の跡」の案内板があります。

大石らは元禄16年(1703)2月4日、見事に切腹した。

訪ねたのは12月9日。

大石らもこの見事なイチョウの黄葉を眺めたんだろうか。

細川家下屋敷は明治維新後、皇室の御殿として使われた。

大正時代に、昭和天皇の東宮御所だったこともある。

昭和になって高松宮邸に。

終戦直後に敷地の約半分の1万1400平方㍍が国に物納され、残り9900平方㍍が高松宮さまの私有地になった。

納められたところに高松中学や都営高輪アパートが造られたんですね。

物納された理由は知りません。

まだまだ高輪御殿は縮小される。

高松宮さまが亡くなられた1987年はバブルの真っ最中。

土地の評価額が300億円超。

相続税のために土地の9割にあたる8100平方㍍を国に寄贈。

残されたのは1800平方㍍。

高松宮妃殿下の喜久子さまが相続した。

これも04年に喜久子さまが亡くなられて妹ら親族が相続。

課税対象の遺産総額は18億6000万円(土地分が8億6000万円)。

相続税は約7億8960万円。

こうして、また一部にマンションが建設された。

土地を切り刻む一方の相続税というのも、ちょっと考えるところがあります。

緑を保ってる農家や農地は残っていてほしいですものね。

高松宮邸の相続については(AERA:2006年3月6日号)によりました。

   cake    cake     cake

旧高松宮邸、いまは高輪皇族邸の正面となりにあるのが和菓子の松島屋。

東京3大豆大福の店なんだそうです。

東宮御所だった頃にお住まいだった昭和天皇もお気に入りだったという。

高松宮さまもぶらりと買われていったといいます。

食べざあなるまい。

残念でした。

日曜日のためかお休みでした。

押上駅目指してまだまだ歩きます。


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