素朴な疑問?「九段」はどうして「九段」というのだろう
JRの市ヶ谷から靖国通りを歩いて「一口坂」を下った。
一口坂と書いて昔は「いもあらいざか」と呼んだんですね。
その謎を解くために神田駿河台の太田姫稲荷を目指している。
こちらも昔は「いもあらい いなり」だったんです。
そこまではこちらに書きました。
靖国通りを下っていけば神保町、駿河台に行けるのですが、悪いクセで途中で引っかかってしまいました。
靖国神社の前は九段坂です。
地名は九段。
何の疑問も抱かずにふつうに使ってましたが、「?」が頭をもたげました。
なんで九段と言うんだろう。
坂下に、葛飾北斎の浮世絵と九段坂を説明した石碑が据えられてました。
「右側の黄土色の急な坂は九段坂で、かっては“九段”のゆるやかな段がついていたという」。
段が9つあったので九段。
なんちゅうことはない。
形状そのままでした。
「坂というものは、道路の斜面であって、それを示すには、道路上に何らかの、斜面の形をあらわさなければならない。
そこで道路上に段々の形を書いて、それで坂の意味をもたせたのである」「江戸の坂 東京の坂」(横関英一、ちくま学芸文庫)
この段々に従って屋敷が九段や五段に造られていたからという説もあるが、単に坂の段々の数からというのが正しいようだ。
絵を説明すると、左上は千鳥ヶ淵、下は牛が窪、その間を左に入る道は田安門につづき、今は武道館への入り口。
牛込に浄瑠璃坂というのもありますね。
これも段の数からきてる。
なんでも時代物の浄瑠璃は五段で構成されてたらしい。(あやふやです)。
それで五段坂をしゃれて浄瑠璃坂と呼ぶようになった。
次はちゃんと太田姫稲荷に行きます。
九段からはすぐです。
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