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2011年12月26日 (月)

芝東照宮で八切止夫の「徳川家康は二人いた」を思い出す@芝公園

若い頃、八切止夫の本をむさぼり読んだなあ。芝東照宮でそんなことを思い出した。

今じゃ忘れられてるけど、結構ベストセラー作家だったんです。年に10冊も20冊も新刊本を出していた。

よくいえば大胆でユニークな発想、そこに惹かれたんですね。

上杉謙信は女だったという「戦国川中島」や、ジェロニモは日本人だったとする「サムライ無宿」なんてのもあった。

奇想天外もつづくと食傷してあきちゃいましたが・・。

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「徳川家康は二人いた」というのもありました。

実は家康は途中ですり替わってるというんです。

こんな発想はどこから来るのかと感心していたら、八切の全くの新説ではなくて元本があったことを最近知りました。

明治時代の地方官村岡素一郎が著した「史疑」。

「史疑」にも元本があって林羅山の「駿府政事録」に、そんな記述があるらしいが、幻なので確認のしようがないようです。


なるほど・・・。

隆慶一郎「影武者徳川家康」(新潮文庫)も、そうでしたね。

家康は武田忍びに暗殺され、影武者世良田二郎三郎が家康に仕立てられた・・・。

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群馬県太田市の世良田には、世良田東照宮がありますね。

家光が日光から奥社殿を移築したんです。

世良田は徳川家発祥の地といってます。

同宮によると「徳川家康公の先祖は、新田氏の始祖である義重から新田荘のうち、当地『世良田』 他5カ郷を譲り受けた子の義季である」となってます。

その後、南朝方として活躍したが、北朝方によりこの地を追われた親氏が三河の松平郷に身を寄せたとしています。

ホントかねえ・・と疑ってみると小説の題材になる。

史実では、徳川のルーツは、三河国の松平氏に婿養子に入った時宗の遊行僧・徳阿弥。

家光の代になって徳川政権も安定して、遊行僧が先祖ではカッコがつかないので、世良田の武家に仕立てた・・なんて発想も成り立つでしょう。

司馬遼太郎「街道をゆく43濃尾参州記」にこんなくだりがある。

「それ(大久保彦左衛門の「三河物語」)によると、徳川家の祖は、『徳』とよばれている流浪の法体の人だったという。時宗の僧だった。

当時、こういう漂白の人を時衆ともいった。・・・一カ寺をもつ正規の僧からは、はなはだ賤視されていた。・・・。

父とともに流浪していたというから、漂白が家業だったらしい」。

偉くなればなるほど、ルーツを飾りたくなるのは人のならい。

小高い場所にある芝東照宮から下ると東京タワーが青空に映えていた。

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