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2011年11月13日 (日)

中野サンプラザは犬屋敷跡だった@祝ブラタモリ第3シリーズのスタート

いよいよ始まりましたNHK「ブラタモリ」第3シリーズ。

しょっぱなは「江戸の動物〜中野編」。11月のオンエアなのに、タモリも久保田祐佳アナも半袖です。タモリが忙しいから夏から撮りだめしてたんですね。

中野で動物と来れば、お犬様ですね。北口のサンプラザから区役所一帯、そしてもっと西の環七の方まで、南口の桃園町も、広大な敷地にお犬様が収容されていた。

その痕跡を訪ね、桃園の由来を明かし、さらに新宿淀橋近くへと足を伸ばす。

犬屋敷が廃されたあと、南口部分には桃が植えられ名所になった。それで桃園町。

北口の方は陸軍中野学校、戦後は警察大学校、中野区役所など官が使っている。

亨保年間に象を飼っていた人がいるんです。ベトナムから2頭の象が献上され、将軍吉宗にも拝謁した。

しばらくは浜御殿(浜離宮)で飼育していたが、あまりの大食ぶりに幕府も音をあげ、中野の源助という男に払い下げられたのだ。

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どこかで読んだことがあるぞ。種村季弘さんの「江戸東京《奇想》徘徊記」(朝日新聞社、文庫になっている)を引っ張りだす。

ありますね。「中野象小屋犬屋敷」が同じコースをたどっている。種本になったかな。

種村さんによって少し補うと、「生類憐れみの令」で中野に収容されたお犬様は11万頭。

飼育料は年間3万6000両(今の20億円ほど)。

食いぶちが定められていて、1日10匹あたり白米3升、味噌500匁、干鰯(ほしか)1升。足軽なんかと同じくらいか。

中野の源助は「象を見世物にしたり、押すな押すなの見物客に三色饅頭を売りまくったり、あまつさえ疱瘡に特効があると称して象酪(ぞうらく)なるもの(実は象の糞)を売り出してボロ儲けした」。

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ついでに他の章もめくってみる。

初めが「碑文谷の蓮華往生」。蓮華の台の上に座ると蓮の葉が閉じる。

やがて、おもむろに葉が開くと中に入った人は、往生している。

即身成仏がかなうというので大評判になった。

その実は、蓮華台の下に潜り込んだ黒衣の男が、槍で肛門を突いて死に至らしめていたのだ・・・。

「目黒の近藤富士」は、広重「名所江戸百景」に描かれた2つの富士に惹かれて目黒新富士を訪ねる。

これをつくったのは近藤重蔵(1771〜1829)、千島に渡り、エトロフ島に会所を設けて日本の漁場を拡張した功労者だ。

目黒には「元不二」が文化9年(1812)に造られているので、数年遅れた近藤の方は新富士。

広重の絵で見ると絶好のフジビューポイントです。下の流れは目黒川。

登ってみたかったなあ。

残念ながら、昭和34年に取り壊されてしまった。


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