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2011年10月 2日 (日)

万徳旅館と富山の薬売り@江戸東京たてもの園

いつの間にか来なくなったです、富山の薬売りのおじさん。

三鷹のわが家にも薬箱が置いてありました。紙製だったかな、確か、赤い箱で引き出しになってた。

Cimg5153_7

おじさんが縁側に座って世間話をしながら、使い切った薬を交換してたのは、いつのころまでだったか。

夏休みなんかで家にいると紙風船をくれた。

年に一回来てたのか。昭和の30年代までだったか。

熱や鼻水がでて風邪っぽいと、すぐに頓服を飲まされた。

病気には頓服。なんにでも効いた。

けがは赤チン。

お腹を壊すと正露丸。

みんな富山の薬箱から出してたんじゃないか。

そうそう、正露丸は昔は征露丸でした。

日露戦争中に発売されたので、露西亜を征するーーだった。第二次大戦後に、正しいに変更した。連合国の指示だったという。

写真の箱は、富山の薬売りがしょっていた箱。


Cimg5155

これをしょってあちこちの家庭を訪れた。

薬箱を各家庭においておき、使った分だけ新しいのを補充。そのお代を支払った。

引っ越しちゃったら取りっぱぐれなんだろう。

おおらかな時代。

薬売りなど行商人が定宿にしてたのが青梅にあった万徳旅館。

青梅駅から少し東青梅の方に戻った甲州街道沿いに建ってました。

江戸末か明治初めに建てられ平成5年まで営業してました。

ここを拠点に、奥多摩の村々まで訪ねていったんだろうか。

わが家に来てた人はクルマじゃなかった。まだクルマなんて庶民には無縁だった。

自転車だったか徒歩だったか。公共交通機関を利用してテリトリーを訪問したんだろう。

一人が受け持ったのはどのくらいの区域か。相当に広そうだ。富山に戻るのは盆と正月?


Cimg5150_10

小金井の江戸東京たてもの園に入ってます。

無料ですから。

9月初めから新しく加わった万徳旅館と、乾物屋の大和屋本店がお目当て。

万徳旅館の帳場に置かれていた薬箱にはるか昔を思い出してしまいました。

少年の日・・・。

キラキラしてたなあ。

裏に回るとつるべ井戸がありました。

ただし形だけです。井戸は掘ってません。

五右衛門風呂もトイレも外です。

汲み取り口のふたを子どもが面白がって開けてました。

珍しいもんね。

使ってませんから清潔です。

そういえば母方の実家のトイレも外だった。なので夜はトイレに行かなかった。

行商人なども減っただろうに、よく平成5年まで営業してたな。

観光客相手でやっていけたのか。

青梅から通っていた同級生がいっぱいいたので青梅泊というのは、なんだかピンと来ないな。

田舎の学校だからそう思うのか。

伊達家門前の野点でお茶を頂こうと思ったんだけど待たされるみたいなので、やめてしまいました。

仙台じゃなくて宇和島の伊達家の門です。


Cimg5148

去年も、この風景をブログに載せた。きっと赤が好きなんだ。

2日も入場無料です。


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コメント

子供の頃、薬売りのおじさんが来ていたのを覚えています。
そうそう、紙風船もらいました。
「ケロリン」とか飲んでました。

富山の薬売り、懐かしいですね。今、松岡修三が宣伝していますが、なんか雰囲気ちがいますね(=´Д`=)ゞ。キハも子どもの頃、ケロリンや熊の胆を飲んで、風船をもらったの覚えていますhappy01

たまさん、キハさん、コメありがとう。

あの薬箱どうなったんでしょう。多分、回収はしてないですよね。

わが家は、いつの間にか消えてました。

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