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2011年9月17日 (土)

相馬の景勝・松川浦から南相馬の警戒線まで南下

福島市内から国道を一路東へ。約1時間で相馬市に入る。

ここは、相馬氏の居城だった中村城の城下町。そのため道は隘路や丁字路などが残っている。

敵の侵入を防ぐためです。

相馬野馬追の総大将が出陣する妙見様(相馬中村神社)は城跡の一画にある。

市街地を抜けて、なおも東へ行くと日本百景にも数えられる景勝地の松川浦だ。

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ここは阿武隈高地から太平洋に注ぐ宇多川と小泉川の河口が、砂州によってせき止められた潟湖。潮干狩りや海水浴が楽しめる。

潟湖に面して漁港や水産会社があったが、1階部分は津波が流してしまった。途中の旅館なども根こそぎにやられている。

すでに残骸は片付けられ、復旧のために重機が入って地面をならしている。この槌音が未来への希望だ。

砂嘴(さし)の部分に渡る松川浦大橋は通行止めだ。

津波の恐ろしさをただただ感じるばかり。

たとえようなど何もない。

ここから南相馬へと太平洋沿いを南下。

南相馬には国史跡の真野古墳群がある。南相馬市鹿島区真野川流域は、古代の陸奥の国行方郡真野郷で、120基を超える古墳があったとされる。

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行方、相馬、鹿島など千葉や茨城の地名があるのは、頼朝と藤原氏の奥州合戦の論功行賞で千葉氏らが黒川、宮城、亘理(以上宮城県)、行方(相馬郡)などの地頭職に任じられたためだ。

地域は離れるけど、伊豆の伊東氏は安積郡(郡山市)。それで郡山には磐梯熱海(熱海町)、王宮伊豆神社など伊豆由来の名がつけられた。

南相馬に入ると、田んぼは荒れたまま。作付けがされてない。稔り豊かな土地だったろうに・・・。

漁船が畑の中に転がっている。何艘もだ。

何㌔くらい運ばれてきたのか。

道路脇にプランターが置かれ除染を期待してヒマワリが植えてある。

効果はなかったようだが、やらないよりはいい。田んぼは野草が繁るに任せている。

ここはもう原発から20〜30㌔の区域だ。

Cimg4934_7

どこまで行けるのか?浪江町まで行けるのか。

とんでもない。

そのはるか手前の南相馬市の原町まで。奥州浜街道の宿場町として栄えた。

南相馬の一部は、計画避難地区なのだ。

警戒線の手前のコンビニが営業してたのでジュースを買いがてら様子を聞いてみる。

「ここは放射能は低いです」。マップで見ると南相馬中心部は0・44マイクロシーベルト。

ここからの帰路は無人の飯舘村を抜ける道になる。


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