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2011年9月 1日 (木)

縄文時代からの聖地、三鷹の古八幡神社by「アースダイバー」中沢新一

崖上にある国立天文台裏の遊歩道から富士山を眺めていたら「古八幡」に行きたくなった。大沢八幡神社の宮司をしている小学校の同級生と話していて「コ八幡」と発音したら「ああ、フル八幡ね」と訂正されたことがある。

Cimg4775

名前の通り古い八幡様です。天文台から坂を下った野川沿いに鎮座してます。

小さな小さな神社です。

かつて大沢八幡は、この地に祀られていたが、度重なる洪水のために坂上に遷された。今の天文台の構内です。

大正になって天文台誘致のために再び遷座。ICU(国際基督教大学)の裏門近くに落ち着いた。

ご神体は遷されたが、古八幡は依然として前の場所に祀られた。

不思議でしょ。

祀らずにはいられなかったんでしょう。

ここは縄文時代からの聖なる土地だから。

中沢新一著「アースダイバー」(講談社)の序章にこうあります。

「いまICU(国際基督教大学)のある高台には、このあたりでも有数の縄文の村があったが、そこから森を抜けて野川に近づいていくと、川が大きく湾曲して典型的なミサキの地形をつくりだしている地点に、おあつらえむきのように『古八幡』の神社が建っている」。

Cimg4771

「ぼくの想像では、かつてここには男根のかたちをした石棒を祀った、このあたりの中心的な聖地があった(はずである)。

川に向かって突き出した『さきっぽ』の地点につくられた聖地で、人々はなにを祈ったのか」。


中沢は、こうも続けている。

「小さな社殿の縁先にお多福人形。・・・そこにはぷっくらとした女性器が隠されていた」。(誰かが人形をしまったのか、今はない)。

地図の右の緑が天文台。古八幡は「現在位置」のやや下のところです。


中沢は縄文や弥生の遺跡を縄文地図に書き込んでいった。海が今より内陸に入り込んでいたころです。

そうすると古墳や神社、寺などが半島や岬の突端に位置していることに気づいた。

「縄文時代の人たちは、岬のような地形に、強い霊性を感じていた、そのためにそこには墓地をつくったり、石棒などを立てて神様を祀る聖地を設けた」。

芝増上寺の隣にある全長106㍍の芝丸山古墳もそうですね。ここは江戸時代までは日比谷入江が入り込む海沿いの高台だった。

増上寺だって霊的な聖地を選んで建てられたのだ。

縄文人が感じた霊性は、2000年以上が経っても日本人の中に受け継がれているんだ、すごいことです。

箕輪将監によって三鷹の大沢村が開かれたのは江戸開府の直前。初めは古八幡を中心としたあたりだったのだろう。

だが大沢八幡の移転にともない、現在の野川公園方面近くの高台に住居を移したようだ。箕輪姓はそちらに集まっている。

古八幡を新たに祀った人たちはその後に移り住んだのか。姓は榛沢(はんざわ)が中心のようだ。同級生がいた。

昔、今の埼玉県に榛沢郡があった。深谷、寄居のあたりです。箕輪さんたちがいなくなった土地に移住してきたんだろうか。

ちょうど夏祭りが終わった後で、境内に寄付者の氏名を書いた半紙が並んでいた。箕輪姓はなく、榛沢が多かった。


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