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2011年8月 5日 (金)

神宮の森百年計画・昔の人はエラかった

神宮の境内ははじめ熊本藩主加藤家の別邸で、その後彦根藩主井伊直孝の下屋敷となった。加藤清正ですね。

豊臣恩顧の大名は、お取りつぶしになってしまったんです。

周囲は原宿村、千駄ヶ谷村、穏田村などで、米麦のほかダイコン、ニンジンなどを作って神田や日本橋の市場に出荷していた。のどかな農村でした。

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明治7年(1874)に井伊家から買い上げて代々木御料地(南豊島御料地)となっていたのを明治天皇ゆかりの地として、ここに神社が造営されることになった。

境内の森づくりにあたっては、武蔵野に昔からあった森林の状態を再現することに重点が置かれた。

それは100年後、150年後の森の成長を予想し、100年前後でうっそうとした天然林の姿になるという長期的な自然育成プランだった。

昔の人はエラいですね。

木を植えて、それらしく見せればグリーン計画でございと促成栽培ばかり考えている現代とは大違いです。

もうすぐ100年、森は計画通りにうっそうとしてます。

↑ 上の池は宝物殿前の北池。月並みですが、都心にいることを忘れさせてくれます。

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いまはあちこちでヤブミョウガが盛りです。日陰を好むからぴったりなんですね。

植林にあたっては、日本に自生しているスギ、マツ、モミなどの高木と、モッコク、ツゲ、サカキなどの灌木に限られた。

あくまでも自然の姿を目ざしたんです。

花をつけるものはサクラ、ツバキ、サザンカだけ。それ以外の華美な花をつけるものや、実のなるものは除かれた。

何となく分かります。

これらの木は全国からの献木によった。実に9万5559本にも及び、延べ11万人の青年ボランティアが植え付けを行ったという。

おかげで、すばらしい景観が保たれてます。

(森づくりのくだりは「江戸・東京 農業名所めぐり」(企画・発行JA東京中央会)を参照しました)。

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