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2011年8月26日 (金)

20年ぶり!所在不明だった曽根中生監督に会いました

「何をなさってるんですか?」

「発明家」

変わってないな。相変わらず人を食った答えだ。こっちはずっと心配してたのに。

映画監督と発明なんて、およそ真逆のこと、我が方の思考回路には、そんな組み合わせは入ってない。

でもこれがウソじゃないんです。本当だからびっくり。


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曽根監督が映画界からぷっつりと消息を絶ったのは1990年代の初め。

自ら開いた映画学校で多額の負債を抱え逃避行を続けている、などとささやかれていた。

沖縄の海岸で亡くなったなんて噂もまことしやかに流れた。

しかし消息はようと知れなかった。

九州にいるらしいとまでは、なんとなく伝わってきたが、単なる伝聞。

曽根さん捜しはあきらめていた。

好きな監督の一人だった。

私らの学生時代には、日活にはすごい助監督がいるらしいと事情通が話していた。

若松孝二監督の問題作「壁の中の秘事」などの脚本、鈴木清順監督作品の脚本家グループ「具流八郎」のメンバー。

学生時代に夢中になって、あちこちの名画座をまわった作品の多くにかかわっていた。

清順さんが日活を解雇されるきっかけになった「殺しの烙印」の独特の美学は、曽根さんの頭の中の映像化なんじゃないか。

ロマンポルノで監督昇進、「(秘)女郎市場」(72)の泥絵の具のような感覚で注目した。そして「嗚呼!花の応援団」(76)が大ヒット。

「どうして消えたんですか?」

「見切りをつけたんだ。剣道の見切り」

「映画界にですか・・・」

見切りで切っ先をかわして、今や「発明家」。

きょう26日、湯布院映画祭にゲストで現れる。「博多っ子純情」(78)の上映にあわせてだろうと思うが、詳しくは知りません。

これでデビューした光石研はゲストでトークショーをするらしいんで飛び入りで現れたら、びっくりするだろうな。

長くなったので「発明家」までの道のりは次回に。電気関係の特許をもってるそうだ。


結びつきませんね。ぽかんと口を開けちゃいます。


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