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2011年8月29日 (月)

めっけもん!小平ふるさと村の350年前の住居

大きな水が見たくなった。自然の湖は近くにないし、海は遠い。そうだ小学校の遠足で行った多摩湖に行こう!とママチャリで出発。どのくらいかかるか分からないが、狭山・境緑道(多摩湖自転車道)を行けば着くはずだ。

Cimg4749

狭山湖・多摩湖から武蔵境の浄水場へ水を送るためにつくられた道だ。

その先、浄水場から都内へは水道道路と呼ばれていた。今の井の頭通りです。

下に土管が埋まってるから、ずっと真っすぐです。

散歩、ジョギング、サイクリング・・・思い思いに緑の道を楽しんでいる。

小金井公園北側から先は未体験だ。

西武新宿線の花小金井駅を過ぎたら「小平ふるさと村」があった。家を出てからⅠ時間、汗もかいたし、お茶も飲みたい。ちょっと休憩していこう。

当たり!でした。

江戸後期の農家は、小金井公園の江戸東京たてもの園、府中の郷土の森でも見られるが、初期の建物は見たことがない。

上の写真が「開拓当初の復元住居」です。古文書に基づいて復元したものですが、後期の家とは全く違います。

住まいじゃなくて物置みたいな印象です。基本的には「竪穴式住居」。地面に穴を掘って、そのまま柱を立ててます。

入り口も小さく、窓も申し訳程度につけてるだけ。


Cimg4750

手前がいろり。今でも虫防ぎや茅葺き屋根の保持のために炭を燃やしてます。

奥は右側が寝室?左の南側は客室でしょうか。勝手口とこちらにも入り口がついてます。

これで2人用だそうです。言ってみれば2LDK。若夫婦が住んで汗水流して、不毛の武蔵野台地を開拓したのかな。延べ床面積は約43㎡だから2人なら十分だ。

いろりの上にあるのは、火がわら屋根に飛ぶのを防止する覆い。

2階はありません。やっぱり竪穴式住居の進化系だ。土台や床をこしらえるようになるのは、いつごろくらいになるのかな。

この建物は、小川村(小平市)の開発名主だった小川家が代官所に出した一種の「建築届け」に基づいて再現したもの。

「柱は栗の丸太を掘っ立てにし、床は竹のスノコか籾殻(もみがら)、わらくずを地面に敷きつめ、筵(むしろ)をしいたもの・・・」などと書かれているという。

届けは明暦年間(1655〜57)のものらしい。

このへんの新田開発は、承応3年(1654)に玉川上水が完成してからのことだ。

上水から小川用水を取水することで「小川新田」の開発が可能となり明暦2年(1656)に開始された。

最初に応じた人の住居だったんだ。

そういえば高校の同級生に「小川さん」がいたな。確か小平から通ってた。開発名主の同族なんだろうな。直系かも。

まだ多摩湖は遠い・・・。


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