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2011年8月27日 (土)

行方が知れなかった曽根中生監督に20年ぶりに会った・その2

約20年間も行方が知れなかった曽根中生監督(73)、今じゃ発明家だそうだが、いったい何をしてたのか。前回の続きです。

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痩せたかな。

胃を切除したそうだ。だから食は細い。食事をしたがビールはほとんど飲まず、肉も少々をつまんだだけ。

それでも朝は6時に起きて、特製のトーストを食べて出勤する毎日。

なんでも燃料の製造装置などを作っているようだ。これに曽根さんが持つ特許が使われている。

「私が会社に行かないとみんな困っちゃう。その日の指示をするんだ」。

経営する映画の学校が倒産、映画にも見切りをつけた曽根さんがたどり着いたのが大分県の臼杵。

「競艇の野中さんがヒラメの養殖を勧めてくれたんだ。知ってる?」

ハイ、知ってます。競艇で帝王と呼ばれた名選手の野中和夫さん。選手会の会長までつとめた。

競艇選手を目ざす若者を描いた「フライング飛翔」の縁だな。横山やすしさんの企画だった。(やすしさんとは映画「唐獅子株式会社」=83年=の監督、主演で知り合っている)。

「なんちゅう映画をつくるんや!と、野中さんに怒られました。それでも声を掛けてくれたんです。スポーツマンですね。感謝しきれません」。


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その後、一念発起、50歳を過ぎて九州大学に学士入学する。勉強したのはなんと物理。東北大学の文学部出身だよ。

「ジュールの法則とか一からやりました」。電気の勉強をしたのかな。

ともかく、これで特許を取るまでに至る。2つも持ってる。目算があったんだろうな。どうせ分からないから詳しいことは訊きませんでした。

どういう頭脳をしてるんだろう。

特許をつかった燃料の製造装置は順調に推移、曽根さんは、この会社の副社長だ。さらに研究を重ねているらしい。

婿さんが大分トリニータの選手だったとかで、サッカーファン。映画を見に行ったりはしないそうだ。臼杵には映画館はないのかな。

「勤め人は決められた手順に従って、きちんと仕事をこなしていく。映画界とは全く違うね」と妙なところに感心していた。

心の整理もついたのだろう。26日は湯布院映画祭のシンポジウムに参加、どんな話をしたのかな。


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