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2011年5月26日 (木)

弘法神社って知ってます?・廃仏毀釈に抗した庶民の知恵

弘法神社なんて知りませんよね。こうぼうじゃなくて、ひろのり神社というらしいです。

察しのいい人は弘法大師を祀る神社とピンとくるでしょう。高野山にあるのか? でも、あり得ませんよね。

こういうことなんです。明治維新で神道中心の機運は高まるばかりで、廃仏的な風潮はエスカレートする一方。

お寺はみんな廃してしまおうとの極端な論調も生まれていた。ずっと神仏習合でやってきた庶民は戸惑うばかりで、こんなことがまことしやかにささやかれたんです。

すなわち真言宗総本山の東寺も神社にさせられ、名前も弘法神社に改められる、と。真宗の親鸞は大谷大明神の勅号を与えられるらしい、と。法隆寺だって聖徳神社に改められそうになった。

さすがにこれらは実行されず、風聞に過ぎなかったようだが、廃仏毀釈の嵐は凄まじかった。

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東京の片田舎野崎村(三鷹市)の野崎八幡の氏子たちも額を寄せあった。

「薬師さまをどうすべえ」。三鷹もちょっと前までは「べえべえ言葉」です。

薬師如来はどう考えたって仏教の仏さま。

神仏分離令で八幡さまに薬師さまを置いてはいけないとおふれもまわってきた。

ここに薬師さまが祀られたのは江戸の末期で、維新の直前。愛知県・鳳来寺の尼僧梅風尼が四国巡礼後にもたらし、以来毎年10月8日には「だんごまき」が行われてきた。

このだんごは薬師だんごと呼ばれ、薬師さまは眼病に霊験あらたかだったという。

うっちゃるわけにもいかないし、よそでも預かってくれない。農民たちは考えた。「八幡さまに置かなければいいんだ」。

こうして氏子たちは、順番に各自の家で薬師さまを預かることになった。15㌢ほどの小さな木像だ。

役人には知られないように、まわりもちは続けられた。「もうよかんべえ」と、八幡さまに戻ったのは実に約60年後の大正14年(1925)のこと。

それでも八幡さまと一緒にはせずに、なんと社務所に置かれた。今では薬師堂が建てられているが、いつのことかは知りません。多分戦後でしょう。

薬師さまがまわりもちの間も、だんごまきは欠かさずに行われたようだ。基本的には八幡さまの神事だとごまかしてたんでしょう。

庶民の勝ちですね。

もちろん、今でも10月8日の夜9時からだんごまきが行われてます。

ついでに廃仏毀釈のもう1つの例を。

それまで富士山頂に祀られていたのは大日如来で、山中にはさまざまな仏像があった。これらはすべて除かれ、山頂には浅間大神が奉斎された。

地名も文殊岳→三島岳、釈迦の割石→割石、薬師岳→久須志岳、釈迦岳→志良岳、大日堂→浅間堂ーーなどと改められた。

廃仏毀釈の悲喜劇はいっぱいありますのでいずれまた。

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コメント

富士山大好き!な私が「富士山 村山古道を歩く」の本を読んで村山古道にのめりこみ、ムラヤマフジコちゃんが生まれました。
その本で富士山の登山道の歴史や廃仏毀釈を知りました。富士宮口登山道を登る機会も多くなりました。
駿河湾を下に臨み、宝永山を横に見ながら登る静岡県側からの富士登山もいいですねー。

fuji ムラヤマフジコちゃん、てっきり「ルパン三世」かと思ってました。由緒ある名前なんですね。失礼しました。

来週は館山から富士山を見に行ってきます。露天風呂から見た富士山がすばらしかったので再訪です。

つゆで見られないかな?

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